お知らせ

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第145回例会(4月25日)のご案内

1.第145回例会(4月25日)のご案内

下記の要領で広島芸術学会第145回例会を開催いたします。ご参加をお待ち申し上げております。

日時:2026年4月25日(土)15:00~17:10

開催方法:対面とウェブ会議システムZoomを用いたオンラインとのハイフレックス開催

 

[対面での参加]

 会場:エリザベト音楽大学3号館6階600会議室(広島市中区幟町4-15)
  ※JR広島駅南口から徒歩約12分
  ※広島バス・広電バス「銀山町」バス停、市内電車「銀山町」電停下車、徒歩約4分
  ※キャンパスに駐車場はありませんので、お車の場合は近くのコインパーキングをご利用ください。

 

[オンラインでの参加]

  アクセス用URLなど参加方法の詳細については、開催1週間ほど前にメールなどでお伝えいたします。

 

【プログラム】 

  • 15:00~16:00:研究発表

「人物図様からみる洛中洛外図屏風上杉本の制作意図」

発表者:村上春海(久留米市美術館学芸員) 

(要旨)

 洛中洛外図屏風は室町時代から江戸時代にかけて多くの作例が確認でき、そのうち〈歴博甲本〉、〈上杉本〉、〈歴博乙本〉は、その制作年代や構図から初期洛中洛外図と呼ばれる。上杉本研究の現在の見解としては、上杉家の新史料により制作者は狩野永徳、制作年は永禄8年(1565)、注文主は室町幕府第13代将軍足利義輝であることが確実視されている。

 発表者はこれまで、岩佐又兵衛筆の洛中洛外図〈舟木本〉(慶長19年(1614)頃成立)の人物表現に見られる型や特異性について、前述の初期洛中洛外図と、職人尽し絵の一種である〈七十一番職人歌合〉(明応9年(1500)頃成立)の人物図様を手がかりに検討してきた。その過程で、上杉本には七十一番職人歌合に登場する職人像が非常に多く、一服一銭や鉢叩きなどの図様について、歌合のものを踏襲していることに気づいた。すなわち、上杉本に関しては、その人物図様の職種などの選択において、室町時代の職人尽し絵が参照された可能性がある。

 また、その図様構成において、既に指摘があるように制作年代より遡る室町時代の景観年代で建造物が描かれており、本発表の指摘は、上杉本の制作意図や状況を解明することと関わってくる。本発表では、永徳による上杉本の構想の中で、職人尽し絵が特に関わってくる可能性を検討する。上杉本は、町並みだけでなく、人物図様の観点からも昔の京都の繁栄を復元的に制作する意図をもった構想だったことがうかがえる。

 

  • 16:10~17:10:研究発表

「禅僧肖像画の画賛から制作背景を読み解く試み-妙心寺蔵「関山慧玄像」の事例研究」

発表者:森田美樹(広島市立大学芸術学部協力研究員) 

(要旨)

 禅宗美術における頂相はしばしば師僧の寿像が弟子に与えられるが、また遺像も多く、儀礼に用いられることなどが知られている。多くの作例で人物像の上部に漢詩文を主体とした賛が記され、頂相の制作背景や用途を解明する手がかりとなることがある。

 妙心寺開山・関山慧玄の現存最古の肖像である『関山慧玄像』(妙心寺蔵、文明2年〈1470〉)は、関山の没後110年を経て制作された遺像である。雪江宗深によるとされる本像の画賛には、花園法皇の帰依による開創の経緯や関山の画像の制作契機が記されている。「吾が祖の頂相を禁ずるの遺嘱は 一代の奇範なり。然りと雖も末代の児孫、甚を以てか憑拠と為さん。」とあるように、関山の実際の姿を写しているかということを超越して、一時廃絶と応仁の乱を経た妙心寺復興期における一門の精神的支柱としての役割を担ったという評価がある。

 本発表では画賛を構成する表現の典拠をつきあわせて比較・確認することで、本肖像画の制作背景に関する新たな視座の提示を試みたい。具体的には本画賛と内容を同じくする、あるいは類縁関係にある諸文献、特に以下の三点との比較検討を行う。第一に応仁元年(1467)年記の雪江の草稿とされる『禅林諸祖伝』所収本との語句の相関、第二に雪江の弟子である東陽英朝が師の遺稿を補筆・編集した『正法山六祖伝』中の「妙心関山玄禅師」との記述上の共通性、第三に東陽をはじめとする雪江周辺人物の語録などに散見される関連語句の検討である。画賛の分析を通じて、本像に求められた役割と意味をより深く考察する一助となしたい。

 

【懇親会】 

 例会終了後に懇親会を予定しています。