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● 巻頭言 ―1980年代の広島のアートシーンを思い出すままに― 伊藤由紀子(インディペンダント キュレーター) 「殿敷侃:逆流の生まれるところ」展が広島市現代美術館で開催されている。私が現代美術の世界に入るきっかけとなったのは、殿敷侃との出会いであったので、出会った頃の広島のアートシーンを思い出してみる。というのも殿敷さんをはじめ、吉村芳生など、その頃一緒に活動したアーティストが殆ど亡くなってしまい、又皆が集っていた、バー「マダム・ド・グース」、居酒屋「へい」も亡くなってしまった。 当時は現代美術の展覧会と言えば、石を投げられるような時代だった。そんな時、殿敷さんは山口県長門のアトリエから広島へ猛烈な風を吹き込んできた。 1982年春、広島の「永田画廊」で開催されていた吉村芳生の展覧会に誘われて初めて現代美術の世界を見た私は、次回同画廊で開催された殿敷侃の版画展に赴き、殿敷さんと出会った。殿敷さんはその時の収入を手に世界一周の旅に出るところで、丁度ヨーロッパへ行くところであった私は、訳も分からず、ドイツで行われていたドクメンタ7 カッセルで再会を約束したのである。 ドクメンタ会場でヨーゼフ・ボイスに会って興奮している殿敷さんがいた。鮮明に思い出す。その後彼は一切の版画制作を止め、インスタレーションに移行していくのである。その殿敷さんが世界一周旅行から帰国したので、「マダム・ド・グース」に来てくれと言う吉村さんの連絡を受け赴いたそこには、当時ロンドンから一時帰国していた鈴木たかしが居た。初めての出会いであったが、ここから広島の新たなアートシーンが始まったと思う。鈴木たかしさんが吹き込むロンドンからの刺激、殿敷さんのエネルギーが相まって、鈴木たかしさんのアトリエ「Studio Odd」で英国のアーティストとの国際展を何度か企画した。画廊と言えば、「永田画廊」は閉廊になり、新たに殿敷さんの従妹が「ミチコ ファイン アート」を上幟町にオープンした。壁全面への鉛筆ドローイング、赤い絵の具を壁にまき散らす等、殿敷さんの実験的なインスタレーションが多数行われた。ここには作家がいつも集い、船田玉樹さんのお散歩コースだったそうだ。「Studio Odd」と近い所でもあったので、上幟町は現代美術作家の集う界隈となった。 また、広島市現代美術館がオープンするというので、地元作家と協力して、広島県立美術館の貸し室で展覧会「広島ニューアーティスト展 ’84」+シンポジウム「広島の現代美術館ってなぁに?」を企画した。殿敷さんはその後広島市内で屋外でのインスタレーションを何度か行ったが、その結晶というか、大規模な屋外展を1988年春、岩国市の錦帯橋下の河川敷で行った。私は側の旅館で皆と合宿して手伝ったのであるが、私も含めて、そこに参加した日本人アーティストは、その後アメリカ、ドイツ、ロンドンと旅立って行った。殿敷さんからの刺激を受けた事もあるが、当時現代美術はヨーロッパ、アメリカへ行かなければ経験できないものであった。 「ミチコ ファイン アート」も「Studio Odd」もなくなり、今やあの熱い上幟町界隈は消滅してしまったが、1980年代の広島を現代美術の風が吹き抜けた跡は私の身体に刻まれている。
追記:数日前水仙の花が咲いた。殿敷さんが亡くなって翌年くらいに、長門のアトリエから移したものだが、今まで花が咲いた事は無かった。この水仙に背中を押されて書いた次第です。
● 第118回例会報告 第1部(研究発表)報告 日本人形とそれを取り巻く環境?近代日本における人形認識の一断面? 発表:兼内伸之介(広島大学大学院総合科学研究科・博士課程後期) 報告:赤坂由梨子(広島大学大学院総合科学研究科・博士課程前期) 明治から昭和前期にかけて、日本人形は美術、工芸、玩具など様々なジャンルに分類されてきた。明治初期には、人形は美術制度に組み込まれていたが、高村光太郎らの批判により、美術制度から排除されてきた。氏は、こうした近代日本の認識を紹介したうえで、どのような人形が美術品として認識され、どのように鑑賞されてきたのかを明らかにしようと試みた。発表では、三越の展示や趣味人、文化人の言説などを交え、当時の日本人形のあり方が分析された。日本人形は、教育の重要性が説かれ始めた時代背景の下で、高島平三郎により教育と結び付けられ、教育玩具として売り出された。一方で、その実態は必ずしも子供が遊ぶToyではなかった。美術的な人形は故実に基づくことが求められ、美術的価値の認められるNovelty、室内装飾品として存在していた。 質疑応答では、人形の教育的側面について時間が割かれた。教育玩具の提唱者、それがどのようなものだったか、また一般家庭での飾り方について調査を進めることで、より鑑賞者の受容形態を明らかにすることができるのではないか、という指摘があった。 確かに同じ人形でも、幼い頃に遊んだリカちゃん人形とは異なり、日本人形(雛人形)はただ眺めるだけである。作品から距離をおいて眺めるという行為は、美術品に対する一般的な鑑賞態度であり、そうした鑑賞形態を有していた雛人形は社会一般の「美術」鑑賞に共通するところがあると感じた。鑑賞行為に着目すると、人形を美術として再評価しようとする際の一助になる可能性があると感じた。
第2部(批評会)報告 谷藤史彦『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術』(中央公論美術出版)を読む 著者: 谷藤史彦(ふくやま美術館副館長) 批評者: 大島徹也(広島大学大学院総合科学研究科准教授) 報告者: 松田弘(呉市立美術館館長) 今回の例会では初めての試みとして「批評会」が行われた。批評の対象は谷藤史彦氏の著書『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術』(中央公論美術出版,平成28年8月1日発行)である。 初めに谷藤氏からこの著書の内容が説明された。その後、批評者として大島氏がこの著書の意義として、①日本における最初の本格的なフォンタナ研究書、②20世紀イタリア美術を包括的に扱った希少な研究であるということを指摘された。 続いて大島氏はこの著書の主旨は、イタリア20世紀美術の特徴は伝統性と革新性の問題の併存・混在にあること、また本書の結論の部分は「フォンタナは[・・・]伝統的な表現も、革新的な表現も貪欲に取り入れ、それらを混在させることも厭わなかった」こと、フォンタナは「イタリア20世紀美術の体現者」であることなどを紹介された。 大島氏はこの後、批評的視点から本書には四つの論点を挙げることができるとされた。①〈伝統性〉と〈革新性〉の定義、②〈伝統性〉と〈革新性〉という二分法の有効性、③〈穴〉〈切り裂き〉の脱絵画性、④谷藤氏のフォンタナ研究が開く可能性、である。 紙幅の関係で全ての論点について報告することはできないが、今回、特に会場の関心を呼んだと思われるのは③〈穴〉〈切り裂き〉の脱絵画性についてである。フォンタナの特徴的な作品の形式について、大島氏は峰村敏明氏の指摘「『穴』や『切り裂き』は結局のところ、平面的表現における許容範囲内の変異として絵画形式に飲み込まれてしまっている」(1990年)を引用し、谷藤氏が本書の中で述べている「『穴』や『切り裂き』は、絵画や彫刻における表現ではなく、従来の絵画や彫刻を超えようという空間的な考えから生まれたものである。」(214-215頁)に対しては議論の余地があることを指摘された。今回、大島氏は本書を三日かけて精読の上、批評会に臨まれた。例会参加者にもパワーポイントを使用しながら分かりやすく解説されたが、時に鋭い批評を展開されたと思う。 今回の批評会の対象になった著書は、谷藤氏が美術館学芸員として長年関わってきたイタリア20世紀美術の研究が下敷きになっている。かつ直接的には京都大学の学位論文を単行本としてまとめたものである。報告者はこの500頁弱の大著を後日購入したが、そこには著者の冷静な眼差しとイタリア美術に対する熱い情熱を感じることができた。ぜひ一読をお奨めする。
● 芸術展示報告 去る2月21日~26日に、広島芸術学会芸術展示 第10回展「不在の存在論」が開催されました。企画者・出品会員の立場から、山下寿水氏と千田禅氏に、同展を振り返っての一文を寄せていただきました。 広島芸術学会芸術展示 第10回展「不在の存在論」を終えて 山下 寿水(展覧会企画者) このたび、第10回目の節目となる芸術展示「不在の存在論」を開催した。出品作家は広島芸術学会会員14名と、ゲストである招待作家3名の計17名。会期は2017年2月21日(火)~26日(日)、会場は広島県立美術館とその斜向かいに位置するギャラリーGの2か所で実施した。入場者数は916名。また、2月25日(土)14:00から開始したアーティスト・トークには10名の作家が参加。制作コンセプトについて作家自身から説明がなされた。とりわけ、作家・来場者による質疑応答は、作家がいかにコンセプトを醸成したかを深く知ることができる貴重な機会であった。 広島芸術学会が良い意味で「特殊」な学会であることは、研究者だけではなく、作家会員も擁していることにある。企画者が設定した「不在の存在論」というテーマに対し、出品者一人一人が作家ならではの視点で「不在」という概念を解釈し、素晴らしい作品を生み出していただいた。投げたボールに難があったかもしれないが、それにもかかわらず、見事に作品を成立させたことは各作家の力量の証明であり、企画者としては僥倖であった。
広島県立美術館県民ギャラリーでの展示風景
ギャラリーGでの展示風景
千田 禅(展覧会出品者) 搬入の日、県民ギャラリー4室・5室の広さに作品14点を展示することを思い、「風が吹きぬけそう…」と心配した。しかし、山下寿水氏の配置計画に基づき作品をかけたり設置したりしてみると、非常にいい感じで収まった。展示を見た友人が「会場構成が素晴らしい。たっぷりの空間の中でそれぞれの作品が良く見える。」と言っていた。 この展覧会では、アーティスト・トークが予定されており、作家がどのようにテーマを受け止め、どのように表現したのか分かる良い機会だと興味を持っていた。「不在の存在論」というテーマについても、おもしろいと感じ、テーマに基づく作品をつくりたいと思った。 私の出品作の題名は「当たるも八卦 当たらぬも八卦」であったが、実はこの題名には続きがある―「当たるも八卦 当たらぬも八卦 神様の言うとおり」。 とはいえ、神をどのように表現するかと悩んだ。青木繁の《わだつみのいろこの宮》のような神が描ければベストだが、まず無理なので縄文のヴィーナスなら描けるかという程度で作品は仕上がった。不在の存在とは神だと解釈したわけである。存在しないけれど人の心の中には存在している。というか神とは人がつくったものでしょう。 このような考えでアーティスト・トークを聞いていると、船田奇岑氏が「神は死んだ」と言われ、はっとした。船田さんも神を意識しているのだなとちょっと嬉しかった。彼の《紅梅》二双を指して、才田博之氏が「男と女ですか」と質問された。尾形光琳の《紅白梅図》を見たとき、男と女だなあと思ったことが甦った。「すごい」。更に「神の拵えたアダムとイブだ」とまで考えが飛んでしまった。 テーマと作品が一番ぴったり合っていると感じたのは、的場智美氏の映像作品《あなたがいたころ》である。もう亡くなっている人(=不在の人)を作品の力で強く存在を訴えたと思う。制作にあたっては厖大な作業をされたであろう。さきほどの才田氏の男と女ではないが、父母の写真を並べ、事実(=歴史)を淡々と流して見せる。すごいなと感服した。 「まだ広島芸術学会ってあるんですね」という方がいて、今回の出品には相当困惑・尻込みをしたが、とても良い経験、勉強をさせてもらい感謝している。
● 桑島秀樹氏、第14回木村重信民族藝術学会賞を受賞 このたび、会員の桑島秀樹氏が、民族藝術学会より第14回木村重信民族藝術学会賞を授与されました。同賞は、民族藝術学の振興に寄与するため2003年に創設されたもので、今回、桑島氏は、昨年9月に出版された著書『生と死のケルト美学―アイルランド映画に読むヨーロッパ文化の古層』(法政大学出版局)が美学・芸術学の分野で高く評価されたことによる受賞となりました。授賞式は、4月22日に鳴門教育大学で開催された第33回民族藝術学会大会・総会にて行われました。
● インフォメーション
昨年末に、会員の柿木伸之氏が以下の翻訳書を出版されました。 細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(アルテスパブリッシング、2016年12月刊) 聞き手:ヴァルター?ヴォルフガング・シュパーラー、翻訳:柿木伸之 本書は、広島出身の作曲家細川俊夫が、自身の半生と創作の軌跡を初めて語った「対話による自伝」とも言うべき対談書の日本語訳です。現在世界で最も活躍している作曲家の一人の創造の背景にある思想のみならず、音楽そのものについて、さらには自然と人間の関係についても深い思索が繰り広げられていることが本書の特徴です。西洋の音楽と文化に正面から向き合いながら、日本、そしてアジアの音楽の核心にあるものを深い源泉から汲み上げ、響かせ続けている細川俊夫の世界を、その原風景から開く一書と言えるでしょう。日本語版には最新の年譜と作品目録、そしてディスコグラフィが収録されています。 (柿木伸之)
※ 会員の皆さまの活動(出版、作品展、コンサート、受賞、等々)について、随時、会報にて告知いたします。掲載事項のある方は、どうぞご遠慮なく、事務局または会報部会までご一報ください。
─事務局から─ ◆ 学会メーリングリストの作成 前号でお知らせしたように、当学会の情報伝達手段として、新たにe-mail(メール)も利用していくことになりました。学会メーリングリスト(ML)は事務局が管理し、MLによるメール送信は事務局のみが行います。その際、個人情報の保護には充分に配慮し(常にBCC機能を使用)、また当学会の活動に直接関係する目的以外では使用しません。MLを使って事務局が発信する情報は、原則として会報やホームページで発信される情報を超えることはありません。ただし状況に応じて、MLによる情報発信が先行することがあります。MLの運用開始は今夏の予定です。 ML登録希望の方は、登録希望のメールアドレスから、その旨事務局(hirogei@hiroshima-u.ac.jp)までご連絡ください。 (事務局長・大島徹也)
◆ 新入会者のお知らせ(敬称略) 赤坂 由梨子(あかさか・ゆりこ/西洋近現代美術史、ファッション) 李 爽(Li Shuang/美学、芸術学) 趙 真真(ちょう・しんしん/東アジアの美学、茶道) 郭 陸歓(かく・りくかん/日中美学の比較) 李 丹(り・だん/日本近世絵画、画論) 髙橋 舞(たかはし・まい/日本美術史、日本画) 金好 友子(かねよし・ともこ/工芸、陶磁、茶陶) 吉田 拓(よしだ・たく/映画・映像・デザイン・社会学)
─会報部会から─ ・チラシ同封について 会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1,000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は6月中旬の発行を予定しています。 (馬場有里子090-8602-6888、baba@eum.ac.jp)
第31回 広島芸術学会総会・大会のお知らせ(予告) 日程: 2017年7月16日(日) 会場: サテライトキャンパスひろしま・502大講義室 ※ 時間、プログラム等の詳細については、次号会報にてご案内いたします。
※ 研究発表を希望される方は、学会事務局(hirogei@hiroshima-u.ac.jp)まで、メールにてお問い合わせください。
―次回第119回例会のご案内― 新しくオープンした「神勝寺 禅と庭のミュージアム」見学 下記のとおり第119回例会を開催いたします。どうぞ多数お集まりください。 新しくオープンした「神勝寺 禅と庭のミュージアム」見学 昨年9月に、福山市沼隈町に「神勝寺 禅と庭のミュージアム」がオープンしました。移築された江戸期の禅寺から、中村昌生設計による残月亭と不審庵再現の茶室、藤森照信設計の寺務所、現代美術の名和晃平プロデュースの禅体験パビリオン、白隠の展示館、そして広大な新旧の庭園などを見ることができます。
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