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【広島芸術学会】会報第151号 2019年2月19日発行
□目次□
1.会報電子化にあたって かねてから会報上でお知らせしていましたとおり、本号より、広島芸術学会会報を電子版でお届けすることとなりました。それに伴い、体裁および掲載内容についても、新たな形式と時代に合わせた変更を加えております。会員諸氏には、どうぞよろしくご了承くださいますよう、お願いいたします。 (広島芸術学会 委員会)
2.第126回例会(3月9日)のご案内 下記のとおり、第126回例会を開催いたします。どうぞ多数お集まりください。
懇親会:18:00~20:00頃 於JR西条駅前・居酒屋「満天」(広島酒あり)
●14:30~15:30:研究発表1 「李卓吾の『童心説』と本居宣長の『もののあはれ論』をめぐる比較美学的考察」 郭陸歓(広島大学大学院生) 近世の中国と日本に於いて、朱子理学を批判し、内在する「こころ」の自然状態を肯定する代表的な思想家―李卓吾と本居宣長―が現れた。本発表では、李卓吾の「童心説」と宣長の「もののあはれ論」の異同を検討し、文芸美学的な角度から両者の思想を比較考察する。 市民社会が発達し、朱子学が明王朝の官学になる中、李卓吾(1527-1602)は「童心説」を提出した。「童心」を偽りのない自らの真心として解釈し、外在する「道理見聞」を排除し、私欲を人間本来の一部分として肯定し、内在的な価値を発見することを重視する。その結果、文芸評論もまた「童心」を表す飾り気のない自然な文学作品こそ「至文」であると主張した。 江戸時代、朱子学が国の文教政策に導入される一方で儒家神道が現れた。この間、日本文化の自立性を探求する国学も発展してきた。近世国学の大成者である本居宣長(1730-1801)は『古事記伝』を書き、伝来の儒教・仏教を強く批判し、和歌と物語の批評から「もののあはれ」論を導出した。その営為には、日本の神話から古来の精神を蘇らせようとする意志が窺える。 「童心説」と「もののあはれ」論は、外在的な道徳倫理を否定し、内在の純粋自然を提唱する点で共通し、これを文芸批評の基礎とも文芸の本意ともした。両者の相違もあり、「儒学への批判」、「童心」と「こころ」の区別、「欲」と「情」の三点で、両者の相違にも分析のメスを及ぼしたい。
●15:30~16:30:研究発表2 「唐津焼奥高麗茶碗と高麗茶碗の造形比較 -土見せ表現に着目して-」 金好友子(広島大学大学院生) 桃山時代の茶の湯はそれまでの娯楽的なものから精神性を重視したものへと変化し、茶人一人ひとりの精神世界を表現するための道具の創作が始まった。その頃製造された唐津焼奥高麗茶碗も茶人の好みを反映させた、井戸茶碗や熊川茶碗などの高麗茶碗を手本としたやきものと説明されてきた。確かに、奥高麗茶碗の製造背景には高麗茶碗の受容高揚があるが、これまで両碗の比較分析がなされず、明確な定義も与えられないままに、奥高麗茶碗は高麗茶碗をオリジナルとする摸倣形式と捉える傾向が根強くあった。 そこで、高麗茶碗と奥高麗茶碗の相違点を検証し、奥高麗茶碗特有の造形表現を明らかにすることを試みた結果、両碗の大きな違いの一つが、土見せの有無や施釉範囲であることがわかった。筆者が調査対象とした奥高麗茶碗89碗のうち、土見せがあるものは86%に上り、特に土見せの有無が顕著な形状は、井戸形と柿の蔕形であった。高麗茶碗には土見せがなく総釉であるのに対し、奥高麗茶碗には大胆な土見せがあり、同形状ながら施釉範囲に大幅な違いが見られた。 このように、奥高麗茶碗は、本来朝鮮半島において雑器や祭器を製造していた朝鮮陶工の陶技に起源があり、従来の自由奔放で無造作な手遣いによって作られた高麗茶碗に似た情趣が感じられる。その一方で、高麗茶碗の造形要素を維持しつつも、奥高麗茶碗には大胆な土見せに見られるように、高麗茶碗とは異なる意匠が認められる。それは、茶の湯の精神的価値の志向性に応じながら茶人の趣向に沿った造形要素を自在に取り入れることで、独自の造形を追求したともいえる。こうした点において、奥高麗茶碗は単なる「高麗茶碗写し」を超越し、一つのやきものとしての個性を備えた、新たな茶碗を生み出そうとした創造の意志から産み出された茶碗であると考える。
●16:30~17:00:展覧会紹介レクチャー 「吉村芳生の活動と広島との関わりについて」 吉川昌宏(奥田元宋・小由女美術館 学芸員) 鉛筆を使って一文字ずつ描き写された新聞の一面や、一年間にわたって描き続けられた365枚の自画像など、途方もない時間と気の遠くなるような作業の集積によって、独自の作品を描き出した画家・吉村芳生。2013年の没後、彼の画業をたどる初の大規模な回顧展が2018年から東京ステーションギャラリーを皮切りに全国巡回として開催されている。本展の開催にあたり、吉村の活動の遍歴を整理していく中で、1980年代に一時、広島を拠点として活動していた経歴や、広島ゆかりの現代作家との関わりなどが改めて浮かび上がってきた。 1950年に山口県防府市に生まれた吉村は、山口芸術短期大学を卒業後、広告代理店勤務を経て1976年に上京、創形美術学校にて版画を学んだ。1985年からは現在の山口市徳地に居を移し、中国地方を中心に精力的に個展を開催する一方で、山口県美術展への出品も重ね、2007年には同展大賞を受賞している。山口県内での活動期間が長い経歴ではあるが、実は1980年から5年にわたって広島市内にアトリエを構え活動を行っている。広島市内の画廊での個展開催や、同じ山口県出身の美術家・殿敷侃との交流も持っていたことも明らかになっている。今回の発表では吉村の画業を改めて振り返りつつ、1980年代の広島での活動に特に注目して紹介する内容としたい。
3.芸術展示〈制作と思考〉第11回展「再考!人間と自然」(3月5日~10日)のご案内 本学会では、1996年以来、会員の美術作家たちを中心に毎回新しいテーマの「芸術展示」を隔年開催してきました。このたび、その第11回展「再考!人間と自然」の開催が決まりましたのでお知らせいたします。
戦後美術の美術批評家、針生一郎は、1971年の第10回現代日本美術展で、「人間と自然との関係は、…芸術の永遠のテーマだといっていい。だが、公害や環境汚染の問題をきっかけとして、自然への新しい関心が高まっている…」と述べて、「人間と自然」というテーマを立てました。 それから半世紀、人間の経済活動はグローバルに拡大していき、自然環境にさらに大きな負荷をかけ続けてきました。その結果、自然は異常気象という形で人間社会に襲いかかっています。昨年夏の西日本豪雨は、広島県内をはじめ岡山県、愛媛県にも甚大な被害をもたらし、未だにその復旧復興の苦労が続いています。 このような時期、芸術に関わるものとして、「人間と自然」の関係をもう一度考え直すような展覧会を開催したいと考えました。私たちに迫りくる異常な事態を芸術的な感性で独自にとらえ、それを再解釈して芸術表現として発信していく。本展では、広島芸術学会会員を中心とした約15名の作家たちによるそのような作品群を展示いたします。広く県民の皆様にご覧ただき、一緒に「人間と自然」の関係を再考する機会としていただければと存じます。
7 出品作家:15人
大島愛(招待、広島市)/尾崎公彦(招待、倉敷市)/高地秀明(福山市)/才田博之(東広島市)/椎木剛(府中町)/渋谷清(福山市)/千田禅(呉市)/田川久美子(広島市)/
並木貴子(福山市)/根木達展(東広島市)/橋野仁史(福山市)/范叔如(広島市)/
広田和典(福山市)/船田奇岑(広島市)/薮野圭一(倉敷市)
8 関連催事:アーティスト・トーク 「自作を語る」 2019年3月10日(日) 14:00~ 展示会場内にて チラシ 報道内覧対応につきまして
4.催し物のご案内 ◎日本音楽学会西日本支部特別例会 シンポジウム
「戦争/暴力」と人間―美術と音楽が伝えるもの― 第2回「総力戦体制下の芸術」
・パネリストと発表テーマ 1.平瀬礼太(愛知県美術館) 「戦時体制と絵画・彫刻 1930~40年代」 2.戸ノ下達也(洋楽文化史研究会) 「1930~40年代・音楽文化の諸相」 3.井口淳子(大阪音楽大学) 「外地、ハルピン、上海から戦後日本の楽壇とバレエ界への連続性」
司会/コメンテーター:柿木伸之(広島市立大学) コーディネーター:能登原由美(大阪音楽大学) 主催:日本音楽学会西日本支部 後援:浄土真宗本願寺派総合研究所 お問い合わせ:onpitsusya@yahoo.co.jp シンポジウム・ウェブサイト5.事務局から
◆ 新事務局長 平成28年7月1日から事務局長を務めてきた大島徹也氏が、平成30年12月31日をもって事務局を辞め、新たに関村誠が平成31年1月1日付けで事務局長に就任しました。 (事務局長・関村 誠)
◆ 新入会者のお知らせ(敬称略)
■住所、メールアドレスの変更、入退会については、下記事務局までご連絡ください。
広島芸術学会事務局
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