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【広島芸術学会】会報第157号 2020年8月22日発行
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□目次□
1.広島芸術学会 令和2年度総会・第130回例会・第34回大会のご案内
2.研究発表要旨
3.年報編集部会より(おことわりとご案内)
4.インフォメーション(会員の活動から)
5.事務局から
・新入会者のお知らせ
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1.広島芸術学会 令和2年度総会・第130回例会・第34回大会のご案内
下記のとおり、令和2年度総会・第130回例会・第34回大会を開催いたします。
日程:令和2年9月5日(土)
場所:広島県立美術館講堂(広島市中区上幟町2-22)
【令和2年度総会】9:30〜10:20(9:10開場)
【第130回例会(3月15日開催予定で延期された例会)】10:35〜12:10
研究発表
1)10:35〜11:20
山本美咲(広島市立大学 元協力研究員)
「作品鑑賞と救済についての考察—アンリ芸術論より」
2)11:25〜12:10
石橋健太郎(広島大学大学院総合科学研究科博士課程後期)
「内裏御所の床の間を飾った芸術的営為としての「いけばな」—『言國卿記』の記事を中心に—」
— 昼休憩:12:10〜13:20 —
【第34回大会】13:20〜14:55
研究発表
1)13:20〜14:05
林淳(広島大学大学院総合科学研究科博士後期課程)
「井島勉の現代書思想—伝統的な書に対する問題点を中心に」
2)14:10〜14:55
河野ななみ(広島市役所 学芸員)
「狩野松栄の画風について—狩野松栄筆《花鳥人物図》を中心に—」
※注意事項
新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、ご参加の際には以下の点にご協力をお願いします。
・事前にご自宅で検温をしていただき、37.5度以上の熱がある場合や体調がすぐれない場合は、ご参加をお控えください。
・会場入口での手指の消毒をお願いします。
・会場内では常時マスクをご着用ください。
・着席の際は、間隔を空けてお座りください。
・会場(県立美術館館内、講堂内)では飲食禁止とします。
・一般の方のご参加は不可とします。
2.研究発表要旨
【第130回例会(3月15日開催予定で延期された例会)】
1)山本美咲(元広島市立大学協力研究員)
「作品鑑賞と救済についての考察—アンリ芸術論より」
ミシェル・アンリ(1922−2002)は、従来の現象学が具体的な諸事物や事象がいかにして現れるかを問題としたことに対して、そうした諸事物・事象が現れること自体がいかにして可能となるかを問題とし、現象学の問いをより根底的なものとすることを試みた哲学者である。アンリはあらゆる現れと現れること自体の根拠を自己–触発auto-affection、すなわちパトスとして現れる自己自身の直接無媒介的体験のうちに見出しており、自己による自己の体験を欠いては生ける者たりえないという性質から、自己–触発は<生>と同一であるものとされる。
自己–触発と生という鍵概念によって芸術を分析するアンリは、作品鑑賞とは作品において強調され表現されている特定の印象や感情等を鑑賞者が自らにおいて現し受け取ることであるとし、この体験において鑑賞者に固有の生は平生よりもいっそう強く自己自身を体験するのだと考える。さらにアンリは芸術鑑賞を通じて遂行されるこのような自己–触発の激化をアンリ的な意味における救済salutであると捉えている。
本発表が考察の対象とするのはこの救済に関する問題である。アンリの議論を振り返るとき、我々は作品鑑賞において鑑賞者は作品を媒介として作者によって救済の契機を与えられていると想定し得るのだが、こうした作者と鑑賞者の関係が可能であるとして、そこに至るまでの詳細な過程の検証が必要である。この検証を通し我々は芸術作品が担う役割の一つを明らかにするとともに、アンリが多くを語っていない生ける者同士の間に成立しうる関係の可能性を探る。
2)石橋健太郎(広島大学大学院総合科学研究科博士課程後期)
「内裏御所の床の間を飾った芸術的営為としての「いけばな」—『言國卿記』の記事を中心に—」
本発表では、室町時代における「いけばな」の確立及び様式の発展の契機として、書院造建築の床の間(押し板)が重要な役割を果たした事実およびその背景の事情について、文献実証的に明らかにする。今回、主として取り上げる『言國卿記』(室町時代の公家・山科言國の日記、記録期間1471-1502)では、書院造の特徴的施設である「床の間」(床・押板)が内裏の小御所や学問所に新設され、そこに「たてはな」が飾られたことが確認できる。内裏御所における「床の間」等の新設と「たてはな」の導入の関係についての歴史学的言及は、前例がないと思われる。
そこで本発表において、書院造の床の間と花を飾る芸術的営為との関連について、儀礼性を視点として分析・解釈する。書院造は、式正の格式を持つ住宅の特徴的様式として、将軍家や大名家、最終的に天皇家にまで導入された。儀式の行われる公共空間となった書院造に付属する床の間は、儀礼や格式に相応しい装飾としての「たてはな」を必要とした。高度な儀礼的役割を担うべく、「たてはな」は新たな様式や機能を獲得していく。私的で趣味的なものであった「たてはな」の性格が、公的で正式,必須の存在に変わる。公的儀礼的性格の装飾、つまり「表」の装飾としての「いけばな」が成立したことが契機となり、「いけばな」が飛躍的に発展するのである。
【第34回大会】
1)林淳(広島大学大学院総合科学研究科博士後期課程)
「井島勉の現代書思想‐伝統的な書に対する問題点を中心に」
美学者の井島勉(1908〜1978)が、森田子龍(1912〜1998)ら戦後に新機軸を打ち出した書家に影響を与えたことはこれまでも指摘されてきた。それは森田自身の証言や、その編集雑誌『墨美』に度々登場する井島の立ち位置のほか、座談会での会話からも明らかである。
森田と共に「墨人会」を立ち上げ、新しい書のあり方を追究した井上有一(1916〜1985)なども、その制作背景には「芸術」としての書を創るという自負が見られるが、彼らの「芸術」観念の形成に井島が一役買ったことは間違いない。その背景に焦点を当てた先行研究には、森田や井上の制作背景や作品分析にかなり踏み込んだ栗本高行の『墨痕』(森話社2016)があり、井島の思想自体についても萱のり子や岩城見一がその思想の特徴をまとめ、森田の思想との相違点も指摘している。
特に萱は井島の書に対する思想に時に批判も加えているが(『書芸術の地平』大阪大学出版会2000)、井島が一貫して「伝統的な書」に批判的であった点については特に掘り下げていない。論者は、現代書に大きな足跡を残した森田らに影響を与えた井島が「伝統的な書」を批判したことが、現在まで「伝統的な書」への理解が進まなかった一因と考えている。井島の「伝統的な書」に対する批判の内容を検証しておくことは、書芸術の全体像をより適切に把握するためにぜひとも必要な課題である。本発表では井島の現代書思想の問題点を指摘し、現在も残る「伝統的な書」への偏った見方に一石を投じたい。
2)河野ななみ(広島市役所 学芸員)
「狩野松栄の画風について—狩野松栄筆《花鳥人物図》を中心に—」
狩野松栄(1519年〜1592年)は室町から安土桃山時代に活躍した狩野派の絵師で、父・元信と息子・永徳の間で狩野派の屋台骨を支えた。近世の画論書によると、狩野松栄の俗名は「源七」あるいは「源七郎」といい、「民部」(または「民部卿」「民部少輔」)とも称したと記されている。諱は「直信」といい、『丹青若木集』は、初め「幹信」と名乗り、のちに「直信」に改めたと記す。画風については、先行研究において静かさを感じさせる水平・垂直的な構図法や、樹木の屈折表現の特徴などが指摘され、全体の印象としては「温和で親しみやすい」といった表現で語られる。松栄筆とされる作品は、100点近く存在しているが、それらの作品の詳細な分類は、未だ行われていないと思われる。
本発表では、広島市立大学所蔵の狩野松栄筆《花鳥人物図》を中心に、松栄筆とされる作品の画風を分析・検討する。《花鳥人物図》は左右幅に花鳥、中幅に人物を描く掛軸装の三幅対で、紙本墨画である。昭和3年10月の『伯爵徳川家御蔵品入札目録』に、狩野松栄の作品として写真とともに掲載される徳川伯爵家(一橋徳川家)に伝来の作品であり、本図に付属する狩野栄川院典信(1730年〜1790年)による折紙では、筆者が狩野松栄であると鑑定されている。発表では、狩野松栄の基準作や「松栄画風を有する」とされる作品と、《花鳥人物図》の図様・描写を比較しながら、松栄画風の検討を行う。
3.年報編集部会より(おことわりとご案内)
広島芸術学会年報『藝術研究』は、例年総会・大会に合わせて7月中に刊行しておりましたが、今年刊行予定の第33号は、さまざまな事情により当初の投稿数が少なかったことから、編集が遅れております。総会・大会までに刊行できなかったことをお詫び申し上げます。現在、9月末から10月上旬までのあいだに会員のみなさまにお届けできるよう、鋭意編集作業を進めております。今しばらくお待ちください。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
年報編集部会長 柿木伸之
4.インフォメーション(会員の活動から)
会員の桑島秀樹氏が以下の著作を出版されました。
桑島秀樹『司馬遼太郎 旅する感性』京都:世界思想社、2020年3月
<内容紹介>
本書の内容は、2012年度以来、広島大学で教養科目「人間・歴史・風景の感性哲学」として講じてきた話題を核にしています。司馬遼太郎が『街道をゆく』であつかったアイルランド、オランダ、アメリカ、近江(滋賀)、朝鮮半島、芸備(広島)など各地の紀行はもとより、補章として筆者によるオリジナル篇たる、上州ふるさと紀行(「群馬・渋川金島のみち」)も主題連続的に付しております。こんかいは、私の専門分野とおぼしき美学とか芸術学とかのオーソドックスな「枠」にこだわらず、文学・歴史学・考古学・民俗学・宗教学・地理学・地質学・火山学などの領野を自由かつ大胆に飛びまわったつもりです。
処女作『崇高の美学』(講談社選書メチエ、2008年5月)では美的カテゴリーたる「崇高」をめぐる諸問題を、第二作『生と死のケルト美学—アイルランド映画に読むヨーロッパ文化の古層』(法政大学出版局、2016年9月)では映画分析をギミックに「アイルランド/ケルト」固有の感性を、それぞれ探究しました。三冊目の単著である本書は、私の「美学=感性の学」の学問的方法論の起源を、みずからの原風景体験のうちに探ったものと言えるかもしれません。「大地の肌理を読む美学」ないしは「風景をめぐる感性哲学」の試みとして、ご一読いただければ幸いです。 (桑島秀樹:広島大学大学院教授/美学・感性哲学)
5.事務局から
◆ 新入会者のお知らせ(敬称略)
火村遥(ひむら・はるか/美学)
石橋健太郎(いしばし・けんたろう/日本文化史、日本伝統文化史)