去る10月3日、4日の2日間にわたって、広島芸術学会・現代音楽プロジェクトの共同主催によるコンサートとシンポジウム、<東アジアの現代音楽祭2009 in ヒロシマ>が、アステールプラザオーケストラ等練習場にて行われた。初日のコンサートは、日本から3人、東アジアから9人、計12人もの作曲家の作品が、総勢28人の演奏者(うち芸術学会会員5名)によって演奏される、非常に大がかりなものとなった。日本人作曲家の3人は、世界的にも著名な湯浅譲二、当会会員で音楽監督を務めた伴谷晃二、そして広島出身の糀場富美子。これに韓国、中国、フィリピン、台湾、香港の作曲家の作品が加わり、きわめて個性的かつ多彩な音楽世界が繰り広げられた。現代の音楽に触れる機会の少ない広島でこうした企画が行われたことの意義は大きい。また、演奏の合間に作曲家らの直接のメッセージが聞けたことも、とかく作り手と聴き手の乖離が問題にされる現代音楽にあって、貴重な機会だったのではないだろうか。 2日目は、湯浅氏による基調講演に続けて東アジアからの作曲家を交えてのシンポジウムが行われ、それぞれの音楽観、世界観をめぐる討議が聞けた。そのなかで、個人的に特に印象深かったのが、現代音楽のおかれた状況をめぐる陳永華氏(香港)の発言だった。記憶に残る主旨はおおよそ以下のようなものだ。すなわち、モーツァルトやバッハなどの大作曲家の作品には、現在でも広く演奏され、人々に愛されているものが数多くある。けれども、現在まで残ってきたそれらの傑作は、何百曲と書かれた彼らの作品のたった1割程度であるに過ぎない。翻って、現代音楽はまだ時による選別を受けていないのだから、現代の聴衆が、たまたま足を運んでみた現代音楽の演奏会でもし一つでも気に入った曲に出会うことができたなら、それはむしろとてもラッキーなこととも言える。だが不運にしてその逆でも、どうかがっかりしないでほしい、と。そして陳氏は、どんな曲が後世に残っていくのか、それを決めていくのは聴衆なのだ、と続けた。その意味で、聴衆の皆さんの責任はとても大きい、と。 確かにそうだ。事情はこと音楽だけに限らぬかもしれないが、ともあれ現代音楽の未来のためには、聴き手の私たちがなじみある既知の世界だけに閉じこもらず、未知の美や面白さに出会う好奇心を持ち続けていくことが必要なのではないだろうか。
(エリザベト音楽大学講師)
第88回例会報告
東アジアの現代音楽祭2009
in ヒロシマに参加して 報告:エリザベト音楽大学 魚住 恵
「東アジアの現代音楽祭2009 in ヒロシマ」での1日目のコンサートにおいて、招待作曲家である湯浅譲二先生の《内触覚的宇宙Ⅳ―チェロとピアノのために―》を、チェロのマーティン・スタンツェライト氏(広島交響楽団首席チェロ奏者)と共に演奏させていただくという貴重な機会に恵まれた。 率直に言えば、現代音楽は一般的には難解だと敬遠されがちであろう。それは、次にどんな高さの音がくるのかほとんど予測不可能であり、親近感がわきにくいという点が原因の一つだと思う。しかし「音」そのものが、例えば言葉の代わりとなって聴く側に何かを伝えるという点では、調性を持つ音楽作品となんら変わりはないはずである。そのため準備段階から最も重視したのが、いかに分かりやすく聴衆に伝える演奏に仕上げるか、ということであった。この作品が持つ独特な音の世界を、スタンツェライト氏と共に、自分たちの内面から手探りで作り上げていくような作業は苦しくもあり、しかし楽しいものでもあった。練習を重ねるにつれ、この作品の持つ美しい、心を動かされる響きが聞こえてきて、少しずつでも自分たちなりの音の「宇宙」を作っていくことができたと思う。 コンサート前日の夕方には湯浅先生がリハーサルに立ち会って下さった。我々の演奏解釈に対して、作曲家ご自身から直接、貴重なアドバイスを頂ける機会である。そして、そこで湯浅先生から出された音色の要求は大変に厳しいものであった。その要求を満たすためにはさまざまな事柄をわずか一晩で変えなければならなかったのだが、そのおかげで自分が思い描いていたよりもはるかに多彩な音色の世界に気づかされた。そしてコンサート本番はスタンツェライト氏の伸びやかなチェロの音色に助けられ、その瞬間にしか生み出すことのできない音の世界を構築することに集中できた。演奏終了直後、湯浅先生から「良かったですよ」と仰っていただき、非常に安堵したことを覚えている。 ところで、このコンサートでは各曲の演奏後に作曲家本人による解説を聴くことができ、これが現代音楽になじみの薄い聴衆から好評であった。さらに現代音楽の譜面に対して興味がわいたという意見もあった。当日は楽譜の販売も行われていたそうだが、「ちょっと中を見てみたい」と思った人々もいたのではないか。販売とはまったく別に、各作品の楽譜の一部分のみを絵画のように展示して自由に見てもらうスペースを作るか、あるいはプログラムに掲載するという案はいかがであろうか。聴覚と視覚からくる刺激を融合させると面白いと思う。 終わりに、今回のコンサートに演奏家の一人として参加するという経験をさせていただき、大変ありがたく、光栄に思っている。湯浅先生、音楽監督の伴谷先生をはじめ、コンサートを支えて下さったすべての方々に、心より感謝申し上げたい。