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広島芸術学会会報 第108号
広島芸術学会第24回総会・大会案内日時:2010年7月24日(土) 9時30分~17時場所:広島県立美術館 講堂・3階大会議室《総会》 9時30分~10時《大会》 10時10分~17時<研究発表>①アジア映画においてネオリアリズムを理解することについて(10時10分~11時)―黒澤の「生きる/IKIRU」とサタジットのPather Panchaliを例としてー広島大学大学院総合科学研究科 エラヒ モハメド トウフィック②善導大師像について(11時10分~12時)―知恩寺本画像を中心としてー 広島大学大学院文学研究科 髙間由香里<昼休憩>12時~13時30分★午後からは会場が変わり、3階の大会議室に移動します。③ヤン・ファン・スコーレル作 13時30分~14時20分《エルサレム巡礼者たちの肖像画》考察尾道大学芸術文化学部 深谷訓子<シンポジウム>14時30分~17時テーマ: 画で描く人、街、営み基調講演:部谷京子(映画美術監督)司 会:井野口慧子(詩人)パネリスト:袁 葉(広島大学)、蔵本順子(サロンシネマ・シネツイン)水島裕雅(広島大学名誉教授)<懇親会>17時30分頃~。場所は未定なので当日お知らせします。広島芸術学会第24回大会資料●研究発表要旨①アジア映画に於いてネオリアリズムを理解することについて―黒澤の「IKIRU/生きる」とサタジットのPather Panchaliを例としてーUnderstanding Neorealism in Asian Cinema: Kurosawa’s Ikiru andSatyajit’s Pather Panchali広島大学大学院総合科学研究科 エラヒ モハメド トウフィック 一般的には、ネオリアリズムは、第二次世界大戦の最中或いはその後に、イタリアの映画産業(1942年?1951年)における映画運動や映画の大量生産を指すと考えられている。一般的には、その特徴は、独特のモードによる映画スタイルや技術に拠る社会的ドキュメントとして識別されるが、また多くの映画歴史学者や評論家は、ネオリアリズムを「何よりもまず道徳的なステートメント」であると考える。 ファシズムの遺灰から新たに復興した際、イタリアン・ネオリアリストの 画は容赦なく直ちに戦後の国家の社会、政治、経済再編の動きに結び付けられていた。新しい映画技術の出現――ジャンル/スタイルの特徴付け(非俳優、自然光、ロケ撮影の使用、そしてメロドラマの欠如)と結合して、ネオリアリズム映画におけるローカルおよび地域の現実の再主張は、ファシスト時代の国家的理想を描く描写から抜け出した。都市環境に貧困、階級闘争を注入することと農村の田園風景を解体することにより、ネオリアリズムは、支配勢力に対抗する階級意識と合意に基づく想像の共同体への理解に新しい方法を提供した。 なお、この論文では以上のようなパラダイムを説明するためには、発表者は二つのアジア 画「IKIRU」(上映、1952年。日本の有名な映画監督黒澤明が監督)とPather Panchali (リトルロードの歌Song of the Little Road、1955年。インドの素晴らしい監督サタジット・レイが監督)を議論する。その場合、どのようにそしてどの程度、これらの二つの映画をネオリアリズム映画として考えることができるか? それは文化的そして映画的移行なのか? つまり、ネオリアリズムは、映画監督にこのようなジャンル/スタイルを実践させるような影響を与えたか。どのように西洋(イタリア)以外の映画監督が、例えば、黒沢とレイに影響を及ぼしたのか? もしそうなら、日本とインドとの戦後の経済、政治と文化的要因は、どのようにイタリアン・ネオリアリスト 画の特徴に接続されていたのか? このような問題意識に答えるべく、この論文は、これらの二つの映画のテキスト、コンテキスト、モード等を詳しく精密に分析することにより、アジア映画におけるネオリアリズムの理解を目指し、説明を試みる。②善導大師像について―知恩寺本画像を中心としてー広島大学大学院文学研究科教育研究補助職員 髙間由香里 日本に現存する代表的な善導大師画像(絵巻物所載像も含む)には、二つの特徴が認められる。その第一は口中から化仏を発すること、第二は半身を金色とすることである。 第一の特徴を概括すれば、宋戒珠撰『浄土往生伝』善導項に「即有一道光明、従其口出」、少康項に「衆見一仏従其口出」とあるように、念仏とともに善導は口中より光明を発するのに対して、化仏を出すのは少康であったのが、知恩寺本画像中の曇省讃(紹興辛巳1161)では「仏従口出、信者皆見」と変化し、光明寺本『浄土五祖絵』でも色紙形に『浄土往生伝』を引きながら、善導像から明らかに化仏が現れている。 第二の特徴については、『選択集』で、『観経疏』執筆時に弥陀応現の僧から指授を得た善導もまた、「大唐」で「弥陀の化身」と伝わる旨を記すに留まるものが、知恩寺本画像では袈裟下に着けた僧?支を金色とするに至る。それでも、現実的な服制に即応した脚色と言えるが、増上寺本『法然上人伝』では「善導和尚御腰よりしもは金色にて、夜な夜なきたりたまひてのりをとき給」となり、『源空上人私日記』や知恩院本『四十八巻伝』でもこれを踏襲する。 本発表では、南宋画の影響を少なからず被った知恩寺本画像と、上記諸遺例のほか、善導寺の彫像や二尊院本浄土五祖画像との関連に及び、それら遺例の光画像計測法による実査結果をも踏まえて、美術史学の観点から浮かび上がる浄土宗勃興の歴史的真実について考察する。③ヤン・ファン・スコーレル作《エルサレム巡礼者たちの肖像画》考察尾道大学芸術文化学部 深谷訓子 16世紀から17世紀にかけてのオランダに特徴的な絵画ジャンルのひとつに「集団肖像画」がある。射手組合の会員や外科医たちなど、同じ団体に属する人々の姿をひとつの画面内に描き出すこのジャンルを扱った研究としては、周知のとおりアロイス・リーグルの『オランダの集団肖像画』があり、そこでは他の物語場面に付随するかたちを取らないものとしては最も古い作例としてヤン・ファン・スコーレルの《エルサレム巡礼者たちの肖像画》が挙げられている。実際、ハールレムのエルサレム巡礼兄弟会の面々と自身も1520年に聖墳墓への巡礼を果たした画家自身を描いたこの作品は1520年代後半の制作と推定されており、確認されている集団肖像画の最も早い例のひとつである。またそれだけでなくこの作例は、リーグルの大きな枠組みのなかでいえば同様に「外的統一」を前提にした構成をとりながらも、例えばその直後に描かれたディルク・ヤコープスゾーンの射手組合の肖像画のみならず、同時期に制作された他の巡礼者たちの集団肖像とも根本的に異なる特徴を備えている。本発表では、まずこの作品の入念な構図上のプログラムを他の関連作品との比較を通じて確認した上で、当時の巡礼や巡礼にまつわる著作物、そして16世紀ネーデルラント絵画における全般的な動向という二つのコンテクストからの観点を導入して作品の詳細な考察を行う。●シンポジウム基調講演「 画で描く人、街、営み」 映画美術監督 部谷京子《 講演要旨 》◆映画美術とは・俳優の肉体以外のすべてをデザインする。「シコふんじゃった。」の現場のお話◆映画の創られ方 ―美術監督が見る、企画から公開まで― ・企画・取材・台本作り・準備・クランクイン・クランクアップ・編集仕上げ・完成ゼロ号試写・宣伝キャンペーン・公開◆映画美術の仕事・大道具・装飾・小道具「Shall weダンス?」「それでもボクはやってない」の現場のお話◆映画と街、人との関わり・街で創られる 画「突入せよ!「あさま山荘」事件」-長野県軽井沢町「北の零年」―北海道夕張市、浦河市「マリと子犬の物語」―新潟県山古志村「ハナミズキ」-北海道釧路市、白糠町、ニューヨーク、カナダ・ルーネンバーグ・原作のある映画「陰陽師Ⅰ・Ⅱ」―平安時代の京都「源氏物語」―平安時代の京都「壬生義士伝」―盛岡、京都「容疑者Xの献身」―東京隅田川界隈※文藝春秋発行月刊誌「諸君!」掲載“そこが知りたい”参照「少女たちの羅針盤」―広島県福山市◆私と広島・映画「鏡の女たち」・「小さな祈りの影絵展」・「世界へおくる平和のメッセージ」・「ダマー 画祭inヒロシマ」・第一回福ミス優秀作「少女たちの羅針盤」映画化◆最後にPR・映画「ハナミズキ」8月21日公開土井裕泰(のぶひろ)監督、新垣結衣、生田斗真主演、主題歌「ハナミズキ」・映画「雷桜」10月22日公開廣木隆一監督、岡田将生、蒼井優主演・映画「少女たちの羅針盤」6月30日クランクイン、2011年公開長崎俊一監督、鳴海璃子、忽那汐里、草刈麻有、森田彩華主演《プロフィル》広島県広島市出身。本籍はいまだに能美島の大柿町、現江田島市大柿町にある。広島市立白島小学校、広島女学院中学高等学校、武蔵野美術大学 形学部卒業。在学中に円谷プロダクションにて美術助手のアルバイトを務め、映像美術に開眼。大学卒業後、ポール・シュレイダー監督「MISHIMA」、黒澤明監督「夢」「八月の狂詩曲」等の美術助手を経て、1992年周防正行監督「シコふんじゃった。」で美術監督デビュー。以後、映画美術ひと筋。2005年から広島市で「小さな祈りの影絵展」を開催。今年で6回目を迎える。2006年に広島で開催された「世界へ送る平和のメッセージ」では構成演出を担当。2009年から「ダマー映画祭inヒロシマ」を立ち上げ、代表を務める。2回目の今年は広島、福山、岩国の3地域で、11月25~28日に同時開催する。《作品歴》「Shall weダンス?」「陰陽師」「陰陽師Ⅱ」「金融腐蝕列島〔呪縛〕」「突入せよ!「あさま山荘」事件」「北の零年」「壬生義士伝」「マリと子犬の物語」「チーム・バチスタの栄光」「それでもボクはやってない」「容疑者Xの献身」ほか多数。今後公開予定の作品:「ハナミズキ」(2010年8月21日全国東宝系)「雷桜」(2010年10月22日全国東宝系)現在準備中の作品:「少女たちの羅針盤」(福山ミステリー文学新人賞の第一回優秀作の映画化)※6月30日からほとんどの撮影を福山市で実施する。2011年公開予定。《受賞歴》「RAMPO」で初の日本アカデミー優秀美術賞を受賞。現在までに10回の優秀美術賞を受賞し、うち2回、「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」で最優秀美術賞を受賞している。「エイボン芸術年度賞」「マックスファクター・ビューティー・スピリット・イン・フィルム」「小倉佐伯賞」を美術監督の活動に対して受賞。2008年、広島市民表彰(広島市民賞)を受賞。■パネリストの発表要旨とプロフィル袁 葉:日本と中国の映画を取り巻く状況について 広島という所は、映画環境にとても恵まれていると思う。それに、映画を通した文化的な活動も活発だ。一方、故郷の北京では、庶民はあまり映画館に足を運ばない。そして、海外で高い評価を受けた中国 画の作品は、必ずしも中国国内で評価されるわけではない。このような日本と中国の映画を取り巻く状況について考えてみたい。《プロフィル》北京第二外国語大学卒業後、中国マスコミ大学日本語講師。1985年に日本政府文部省奨学生として来日。広島大学大学院で日本文学を研究,博士課程前期修了。1989から1995年、テレビのレギュラーコメンテーター、ラジオのパーソナリティーを務めた。1994年から現在広島大学、県立広島大学、広島修道大学で「中国語」「中国文化」の講義を担当する傍ら、講演、通訳、エッセイの執筆等で活動中。て報告していただき、東アジアの芸術文化の意義を再考し議論の場を拡げていきたいと思います。蔵本順子:今年こそ「心の広島革命を」 気がつけば、町なかの 画館が静々と音もたてずに減ってきています。「草木もなびく、本通り」。その昔、祖父や祖母たち、お年寄りから聞かされたものです。すべての賑わいの中心は本通りや八丁堀周辺のことでした。ところが、町なかを東西南北のシネコンの台頭により、一般の人の娯楽、文化、飲食、ファッションなどなど郊外の大型ショッピングセンターに移行し、すっかり様相が変わりました。でも広島の町の文化・娯楽の「元気の源」は、やはり本通り、八丁堀周辺であると広島県人の血がそう信じさせます。 シネコンの台頭はたしかにすごいけれども、広島の町なかの映画館の灯は消してはならないと思います。個人館対全国大手 画館の図式もあるなか、広島人のネバリと忍耐と希望と夢を今こそ見せなくてはならない時期にきています。町なかが危機一髪の状態を知っていただき、地元活性化にお力添えをお願いしたい。《プロフィル》1950年 広島市生まれ。広島女学院大学日本文学科卒業。1981年 サロンシネマ代表取締役1989年 シネツイン オープン(シネツイン本通り)1994年 サロンシネマ2 オープン2004年 シネツイン2 オープン((シネツインン新天地)現在、それぞれの個性を持つ「4姉妹館」の経営にあたっている。主にアート系と呼ばれる芸術性・文化性の高いものから、全国一斉ロードショー作品まで、幅広い作品を上 。いわゆる商業ベース出はない作品も手掛け、少しでも広島の文化に刺激を与えてくれたらと、それだけを願ってチャレンジを続けている。水雅裕雅:なぜ広島に文学館ができないのか 広島に文学館ができないのはなぜか。「広島に文学館を! 市民の会」の代表として広島市と交渉しながら、さまざまな活動をしてきた経緯を踏まえて、反省を交えながら考察したい。 広島に優れた文学がないわけではない。それは数多くの原爆文学の存在が証明しているし、広島生まれや広島在住などで広島に縁があった文学者は枚挙にいとまがない。しかしながら、それを評価するシステムや考え方がなかったか、弱かったといえよう。 広島は日清戦争以後半世紀にわたって軍都として重きをなしてきた一方、文学・芸術を高く評価してこなかった。また原爆によって街の中心部が壊滅し、それに伴い文化の担い手としての豊かな町衆を失った。それは戦後65年たった現在でも、広島の伝統を受け継ぎ、それを誇りに思う主体が存在しにくいことをも意味する。市民運動としての反省点を挙げれば、広島市政に入り込めなかったこと、広島市民の支援をあまり受けられず会員も200人前後で伸びなやんだこと、とくに若い人の関心を引きつけられなかったことなどが挙げられる。 これまでの経緯をお話しし、皆さまのご意見を伺いたいと思う。《プロフィル》1942年9月 東京に生まれる1972年3月 東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専門課程博士課程単位取得後退学1972年4月 広島大学教養部専任講師1997年4月 広島大学総合科学部教授を経て広島大学教育学部教授2006年4月 広島大学大学院教育学研究科教授を定年により退職広島大学名誉教授なお、2001年1月より2010年3月まで「広島に文学館を!市民の会」代表を務め、同会の活動停止(2010年3月)により「広島文学資料保全の会」幹事となる。※事務局から 『藝術研究』バックナンバーの登録許諾について 広島芸術学会では、2010年7月末日刊行予定の『藝術研究』第23号より、広島大学と協力して掲載物の電子公開を行います。つきましては、本誌に掲載の論文・論考の著作権中、「複製権」と「公衆送信権」の権利に関し、本学会への許諾をお願いいたします。 それ以前に『藝術研究』に掲載された論考についても、電子公開への許可をお願いいたします。手続きとしては、返信用郵便物で著者に個別に許諾確認を行います。著作権その他で電子公開に問題がある場合は、登録不可能な巻・号・ページ・図などをお知らせいただければ該当箇所または論文全体を電子雑誌登録から除外します。 また郵送による許諾確認と同時に年報、会報、広島芸術学会ホームページに以下を告知します。(1)創刊号からの全号に掲載された論文等の著作権は著者に帰属する。但し、『藝術研究』の電子雑誌化に伴い、「複製権」と「公衆送信権」は、基本的に著者から広島芸術学会に許諾されることの承認をお願い致します。(2)広島芸術学会では、広島芸術学会に許諾された「複製権」と「公衆送信権」 を更に広島大学に委ね、そのリポジトリ登録を通して論文・論考等を電子化し、電子公開をいたします。論文・論考の著者には、このことのご承認をお願い致します。(3)著作物を広島大学の電子図書館に登録する件について同意をいただけない場合、2010年9月末までに広島芸術学会事務局まで郵送またはメールで連絡くださいますようお願いいたします。
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