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                                            広島芸術学会会報 第113号

 

 

斎藤稔先生 瑞宝中綬賞 受賞のお知らせ

 斎藤稔 広島大学名誉教授・広島市立大学名誉教授が、平成23年春の叙勲者に
選ばれ、西欧美術史並びに芸術学を基軸とする一連の研究業績に対し、瑞宝中綬賞を授与されました。先生は、広島芸術学会の設立当初から委員、またアドバイザーを歴任され、指導的役割を果たしてこられました。先生のご受賞は本学会にとりましても、まことに名誉な慶賀すべきことと思われます。ここに先生のご受賞に祝意を表しますと共に広く会員の皆様にお知らせいたします。
 以下、先生の履歴と功績を簡単に記します。

略歴
1931年、東京生まれ。早稲田大学大学院博士課程修了。ミュンヘン大学、ミュンヘン国立美術史中央研究所留学を経て1965年、玉川大学文学部に奉職。1980年、広島大学学校教育学部教授、1987年、広島大学教育学部教授を歴任。1995年、山形大学教授。1997年、広島市立大学国際学部教授、同芸術学部大学院芸術学研究科教授。2003年、東北文化学園大学東北文化研究所教授。現在、広島大学名誉教授、広島市立大学名誉教授、アルス・ウナ芸術学会会長。

功績概要
ドイツ中世を中心とする西洋美術史の専門家として学問的経歴を開始。その後、長年にわたり西洋美術史と芸術学に関する重厚な人文学的研究を展開したこと。その研鑽を基礎に比較芸術学および比較文化学に関する国際的共同研究の確立・展開に寄与したこと。芸術文化の比較学に基づき、平和や都市やエコロジーの問題等に関する芸術学的認識に尽力したこと。以上の学問的業績が高く評価されてのご受賞です。

代表的著作
『美と知の饗宴―アルス(芸術)の真実を観る―』1997年、大風印刷
『人文学としてのアルス ―西洋における人文主義的藝術の系譜―』1999年、中央公論美術出版
『比較芸術学研究』全6集(共著)1974-1981年、美術出版社
『芸術学研究双書』全4巻(共著)1984-1987年、玉川大学出版部
『芸術文化のエコロジー』(編著)1995年、勁草書房

(以上、文責 青木孝夫)



第95回例会報告

西原大輔

 2011(平成23)年5月29日(日)におこなわれた第95回の例会は、「井原線沿線の歴史と文化を訪ねる旅」と題した見学会だった。華鴒(はなとり)大塚美術館、 り酒屋天寶一の美術コレクション、廉塾、菅茶山記念館、ふくやま美術館の5か所を一日でめぐる充実した小旅行となった。
 台風2号が近付き、前日から雨が降り続く中、広島駅新幹線口に集合した一行10余名は、午前9時にマイクロバスで山陽道を一路福山方面に向かった。最初に見学したのは、岡山県井原市の華鴒(はなとり)大塚美術館である。タカヤグループの社長大塚長六氏が1994(平成6)年に作ったこの施設は、展示室が3つほどの小さなものだったが、ロビーからは手入れの行き届いた美しい日本庭園を見ることができた。また、美術館は上田宗箇流の茶道に力を入れており、当日も茶席が設けられていた。この日は堂本印象展の最終日ということもあって、大変賑わっていた。
 再びバスで移動し、神辺町湯野の池に面した洒落たレストランで昼食をいただき、改めて神辺の り酒屋天寶一に向かう。ここではご主人のご好意で、所蔵するコレクションを拝見することができた。仕込みの樽が並ぶ中を通り抜け、裏の建物の2階に上がると、そこには小林和作や須田国太郎の作品を展示する部屋があり、陶磁器も多く並んでいた。小林和作の海の絵や、須田国太郎の雲崗の石仏を描いた作品が印象に残った。
 ご主人によれば、須田国太郎は戦後しばしば天寶一に滞在し、絵を描いたという。その縁で、須田が描いた天寶一の先代の肖像画なども大切に保管されていた。造り酒屋にお世話になった須田だが、お酒はあまり飲めなかったそうである。天寶一のコレクションは、地方の 封家が画家を大切にもてなしていたことをうかがわせる貴重な作品群である。
 神辺では、江戸時代の漢詩人菅茶山の黄葉夕陽村舎(廉塾)、そして菅茶山記念館を見学した。江戸時代の塾の建物がそのまま保存されており、西国街道の宿場でもあったこの町の文化水準の高さが印象に残った。神辺は、京都で活躍した日本画家金島桂華の故郷でもあることから、菅茶山記念館には何点か桂華の作品が展示されていた。また、最初に訪問した華鴒(はなとり)大塚美術館でも金島桂華の絵画を目にすることができた。
 最後に訪れたのは、福山駅前のふくやま美術館である。学芸員谷藤史彦さんの案内で、一行はまず応接室で須田国太郎のスケッチ帳を見ることができた。大阪の大槻能楽堂で描かれた40枚ほどのクロッキーで、能の西王母や関寺小町、狂言の蛸を、観客席で短時間に写し取ったものだった。また、須田が神辺の廉塾を描いた油絵も拝見することができた。
 ふくやま美術館では、企画展「森村泰昌モリエンナーレ、まねぶ美術史」を鑑賞し、午後5時の閉館時間まで滞在した。
 朝から降り続ける雨の中、マイクロバスは午後7時頃に広島駅に戻り、一日の充実した行程が終了した。

(にしはら だいすけ・広島大学)



<寄稿①> ビューイングルーム ―魅力的な現代アートの別世界―
広島女学院大学名誉教授 原田佳子

 去る5月31日(火)、芸術学会会員ほか数名の一行は、元広島市現代美術館副館長の竹澤雄三さんの紹介で、ビューイングルームを訪れた。2003年頃、倉庫を改装、以来、年数回、現代アートの展示をしているという。
 倉庫の扉を入り、真っ白い天井と壁から成る展示空間に、一歩足を踏み入れ、立ち止まった。「え? ここは何処?」1980年代に初めて一人でニューヨークを訪れ、ソーホー(South of Houston Street)に住む画家のアトリエを訪ね、ギャラリーを観て回った時の興奮が蘇った。あの時の白いペンキを塗っただだっ広いギャラリーの壁面には一点、ジャスパー・ジョーンズの作品が掛けてあったのを鮮明に思い出した。そして、30年振りに現代アートの最先端の場に身を置く、歓喜ともいえる昂りを憶えた。
 「ここは一体、何処?」ニューヨークじゃない。ヒロシマだ。わが家にも近い安佐南区の西原だ。大発見にうれしい驚愕の一瞬であった。
 現代アートコレクター、佐藤辰美さんのことは、昨年7月の朝日新聞「be」のフロント・ランナーで紹介されていた。佐藤さんは、「自分流」を貫く世界的収集家と記されていた。ドイツ現代美術界の巨 、ゲルハルト・リヒターや、「影」シリーズで脚光を浴びた前衛画家、高松次郎、コンセプチュアルアーティストの先駆者、河原温の作品をはじめ、若手アーティストの作品約2万点を収集。660㎡の倉庫を改装した私設美術館「ビューイングルーム」で、2004年から非公開の企画展を開催しているという。
 佐藤さんの本職は、地元広島市に拠点を置く自動車部品の製造・販売をする会社、大和ラヂェーターの経営者である。26歳の時の古伊万里収集を手始めに、以後、中国の古代裂、俑などの古美術や骨董品、世界各地のプリミティブアートなどを幅広く収集してきた。30代前半、現代アートの面白さに目覚め、収集歴は30年に及ぶ。また同時に、「現代美術の研究」を目的として企画展のカタログなど、40数冊のアートブックを制作・出版している。「自分のための企画展」のカタログ、作家のための作品集というそれらのアートブックは、実は、コレクターや作家の思いを広く世間へ伝える窓口になっていると思われる。
 さて、このたびの企画展は陶芸作家、大島文彦の作品展であった。大島は前衛陶芸家、八木一夫の流れを汲み、やきものの既成流通を批判し、自らを器屋と称している。金属、やきもの、さらに織物などの 材を用い、変化に富んださまざまな造形に施した「錆」が、何とも美しい。「錆は最高の塗装」と言われるが、現代アートに日本的な「侘」「寂」にも通じる「錆」の深い味わいを取り込み、絶妙な美を表現している。
 それにしても、見事な展示技術である。作品の美を最高に引き出した現代アートの展示空間に感動した。佐藤さんは、「アートから刺激を受けるのが人生の喜び」と言う。
われわれにとっても、大いに「刺激」と新鮮な感動を受けた一時であった。


<寄稿②>パンダの国から「大キリン」(前半)
広島大学 袁 葉

(一)

 風雪の中、日本の救援隊員が被災者を抱きかかえながら瓦れきの上を歩いてくる―近景は白い雪、その向こうには橙色のユニフォーム。厳寒の中にも暖かさ、力強さを感じさせられる。春休みの3月20日、里帰りした北京の実家での夕食後、テレビに浮かび上がってきた画像だ。
 次は、一面廃墟と化した古里を呆然と見つめる女性の横顔。青空の下、本来なら彼女は庭で草木に水を撒いていたかも知れない。いや、魚屋で魚をさばいてもらっていたかも…
 セリフはない。ただ一枚また一枚、ゆっくりと画面に現われては消えてゆく… 救出した赤ん坊を抱いた消防士の笑顔がフェイドアウトすると、スライドショーは終わった。悲壮感の漂う画像、静かに流れる音楽が私の心を震わせた。
 画面はスタジオに戻り、「震災十日間」と題した北京放送局の特別番組の最中だと分かった。聴衆を前に司会者、ジャーナリスト、評論家によるトークショーが行われている。
「津波が来ます。早く逃げてください!」と、スピーカーから流れる遠藤未希さんの声。25歳の若い命を奪われるまで放送し続けていた。スタジオで再生された雑音交じりの音声に、涙を拭く聴衆の顔… 司会者のコメントが続く。
 「私も人々に言葉で伝える仕事をしています。いざ危機に瀕した時、果たして彼女のように仕事を全うすることができるだろうかと自問していますが、なかなか答えが出ません。だから、彼女の勇気に心より敬意を表します。」
 静まり返った会場に、遠藤さんへの大きな拍手が湧き起こった。
 話題は原発事故直後の修復作業に赴く50人の作業員に移った。あと半年で定年となり、悠々自適の人生が待っているというのに、自ら志願したある消防隊員。娘からのメールが紹介され、「…父の決断を誇りに思います」と読み上げられると、再び大きな拍手が起きた。
 防護服に身を包み、顔も知られず、名前も言わぬ。人類のために勇敢に戦う彼らのことを、中国のマスコミでは「福島五十勇士」と名付けた。「…この同じ地球の同胞に、敬意を捧げご無事を祈りたい」というジャーナリストの一言に、目頭が熱くなった。
 番組を見終わると、中国の友人からの話を思い出した。
 震災直後の数日間、中国で見たNHKの報道。日本のアナウンサーが、淡々と事実を述べようとする姿に新鮮な感じを受けたという。なぜなら、08年の四川大地震の時、最初の二日間はテレビを見るたびに、現地で惨状を伝える報道陣のコメントに涙を流さずにはいられなかった。両国の報道の仕方は、かなり違うという友人の感想。
 また、さっきの番組で、叙情的に流れるスライドショーから、「静」の中に秘めた制作者の情熱が感じられた。もちろん、それは自国で起きた惨禍ではないという余裕のある番組作りなのかも知れないが、事実を述べた後のコメントも、それに応える聴衆の反応も、やはりストレートだと感じられる。

(続きは会報114号に掲載します)

 

                             

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