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広島芸術学会会報 第114号
アントニオ・ロペス展を訪れて
吉本 由江
この夏、マドリッドのティッセン・ボルネミサ美術館では、国内では18年ぶりとなるアントニオ・ロペス(1938~)の大規模な回顧展が開催され、好評を博している。ロペスはマドリッドの街並みを写実的に描いた風景画で知られ、日本でもドキュメンタリー≪マルメロの陽光≫が紹介された。 このアントニオ・ロペスにベラスケス賞が授与されたのは2008年。今回の記念回顧展ではロペス作品の全貌が概観できる。 会場ではまず初期の魔術的リアリズムの作風に驚かされた。その内の一点≪アトーチャ≫に関し、ロペスは、人気のない街に一組の裸体の男女が抱き合う姿を描き加えたのは「遠くからでは見えない街の内部で進む様々な生の営みを示すため」であり「後年には奥に(風景という)対象を描きこむ中で同じ感覚を表現できるようになったと思う」と述べている。展示された風景画(完成作品)に、細部描写と大まかな塗りの部分が隣り合っている作品があることからも、ロペスの絵画が、対象のすべてを細密かつ均一に再現するリアリズムとは異なることがうかがえる。屋外で風景作品を描く際、ロペスは、適切な光の状態が得られる瞬間に合わせてキャンバスを構え、描き加えるという過程を繰り返す。制作が数年にわたる場合でも、試みられるのは、今・現在の把握とその表現であるという。 近年、ロペスは、人体をテーマとした巨大彫刻を数点公共の場に提供した。ロペスの彫刻のいくつかはアルカイックで、彼が傾倒するギリシャ・ローマの古典美術が、理想の身体の表現としてよりも、原初的な生の表現として捉えられているようで興味深かった。それは、ロペスが乾燥した気候の故郷トメリョソの生活から多くの画題を得ている点や、モデルの多くが家族である点、マドリッドの風景においても、当初は、殺伐としているが見慣れた風景というテーマの近親性からマドリッドの遠景が選ばれた点と軌を一にしているように思われる。 自分に絵を描かせるものは感情だと語るアントニオ・ロペスは、基本的に英雄的要
のない日常の今を飽くことなく追求する。数年先に開かれると聞く日本でのロペス展が待ち遠しい。
(よしもと よしえ・バルセロナ自治大学大学院)
〈広島芸術学会第25回大会報告〉
●研究発表① 伝統工芸産業における芸術家の「創造性」の変容について -石川伝統工芸イノベータ養成を一つの事例研究として-
発表:広島大学大学院博士課程後期 廖 偉汝 報告:九州大学大学院博士後期課程 大山智徳
とても美しいパワーポイントを駆使しながら伝統工芸による産業活性化、さらに政策にまで言及するスケールの大きな勇気ある発表であった。 その一方で、伝統工芸(芸術学)と産業社会(経済学・社会学)、さらに政策(政策学)といういわば三つの学問的蓄積のある学問の接続にはいくつかの難しさを感じさせられた発表でもあった。これは越境的な学際的研究にみられる普遍的な困難であるので、今後のわれわれの研究のためにもいくつか気づきを記してみたい。 まずは伝統工芸の概念を芸術学の概念で定義すること。その上で新しい伝統工芸についての概念を提示されるとよりわかりやすく、より説得的になったのではないだろうか。 次に産業社会モデルのさらなるヴァージョンアップを図ること。フロアーからの質問でもあったが、高級文化と大衆文化、芸術家と職人という二項対立モデルが現代社会でも有効な概念足りうるのだろうか?
デリダの「脱構築」を経験したわれわれにとって二項モデルへの回帰はそれなりの理由がほしいと思う。 政策。これは政策情報のより高いリテラシー(情報解読能力)が必要だろう。 発表者の試みは極めてスケールが大きい。それだけに遠回りでもいいから焦らず、それぞれの学問分野で学会発表、論文発表等を繰り返され、ライフワークとして三つの学問言説の統合を試みられてはいかがだろう? そのためには大学院での仲間はもちろん、広島芸術学会のメンバー、それぞれの学問分野に詳しい方々と異種交流をされるのもいいかと思う。 いずれにせよ、今後のご活躍を期待させるスケールの大きな発表であった。
●研究発表② 日本におけるオルガン文化(楽器、作品、オルガン界) ―1945年以降を中心に―
発表:エリザベト音楽大学大学院博士後期課程修了 佐々木
悠 報告:お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科研究院研究員 大迫知佳子
佐々木氏の発表は、日本におけるパイプオルガン(以下、オルガン)文化形成の歴史的過程について、特に、日本人作曲家によって1945年以降に作曲されたオルガン作品の諸相を考察することにより、解明するものであった。 氏の日本人作曲家への聞き取り調査と、諸オルガン作品の自筆譜(未出版)という貴重な資料の収集・分析からは、創作が盛んになった1945年以降のオルガン作品における、革新的な音を生み出す4つの「新しい演奏技法」が抽出・分類された。それらは即ち、①装置の操作、②楽器内部の改
、③装置の付加、④声の使用である。発表では、これらの技法の効果を、発表者自身のオルガン演奏の映像によって実際に視聴させることで、「オルガン」、「オルガン作品」、「演奏者」、「聴衆」という、氏の定義したオルガン文化を形成する主要諸要素が、眼前に集約される形となった。 発表の最後に、オルガン文化の現状を巡り、「日本において、オルガン作品の創作・普及、及びホールへの楽器の設置が進んでいない」という問題提示がなされた。佐々木氏によると、西欧諸国での状況とは異なり、日本における「オルガン(文化)は、教会とは別に発達した」。しかし、フロアからの質問でも触れられたように、キリスト教という宗教的背景とこの問題とは無関係ではないとも考えられる。これらの点を詳察したさらなる報告が待ち望まれる、興味深い問題を提起した大変貴重な発表であった。
●研究発表③ アメリー・ノートンの自伝的小説と日本
発表:バルセロナ自治大学院生 吉本由江 報告:九州大学大学院博士後期課程 大山智徳
アメリー・ノートンという日本ではあまり馴染みのない小説家の自伝的小説を「日本性」をキーワードに論理的に構成された完成度の高い発表であった。 いくつかの作品は日本語に翻訳されているとのことだが、私は彼女の作品はもちろん、名前さえも聞いたことがなかった。 そのことを十分理解された上で、作品の大まかなストーリーと彼女の使った技法(私小説でもなく~、自伝でもなく~)を説明されながら緻密な読解を展開された。 作品はまさに自伝「的」でありながら大胆なフィクションも交えるという方法に支えられている。ストーリーは彼女自身の再構築されたライフ・ナラティヴで構成されているという。内容のみならず、こうした方法意識で切り開かれた言説に触れたいと思ったのは私一人ではないだろう。 発表者のノートン読解は小説の構
への新たな亀裂を生じさせた。それは「トポロジー」の概念にこめられた思いにも表れている。 内容とともに「私=語り手=主人公」という日本固有の私小説の構造を意識しつつ、プラスフィクションという構造をもたらしたノートンの小説形式に新しい文学構造を見られたからであろう。 論文として発表されるのが待ち遠しいすばらしい内容であった。個人的には発表者によるノートンのすべての作品の日本語の翻訳をしていただきたいと思う。 今後のますますのご活躍を期待したい。
●特別講演 美術館の危機管理 -東日本大震災を踏まえて-
発表:宇都宮美術館学芸課長 浜崎礼二 報告:ふくやま美術館 谷藤史彦
本年3月11日の東日本大震災の甚大さは、身をもって体験しないとわからない部分がある。今回は、宇都宮美術館の管理職として震度6強という想像を超える地震を体験した浜崎礼二氏の体験談と、そこから得られた貴重な教訓を聞くことができた。 まず、当日の宇都宮美術館の状況から話を始めた。 「関東地方は地震が多いので、地震対策は日常的にできていた。最初の小さい揺れが次第に大きくなり、学芸員室の本棚から全ての本が落ちた。すぐに展示室に行き、お客さん(50人程)を中央ホールに集めたが、皆さんは腰が抜けて動けない状態だった。いつもの通りには何もならないと感じた。外への避難も、各々のお客さんの状態が違うので、何度も往復して誘導しなければならなかった。 そのうち停電になったが、展示室などの作品の状況を見て回った(詳細なチェックはそもそも無理)。作品が落ち、スポットライトが外れていた。館内放送を一度したが、二度目はできなかった。全職員の確認もできなかった。 2回目の地震が来て、職員も外に避難した。市内の信号は消えているようだった。地震の情報はほとんど掴めなかったが、携帯のインターネットだけが通じ、多少の情報がとれた。午後4時頃に全てのお客さんが帰った。ケガをした人がいなかったのが幸いだった。消防車も救急車もすぐには来られない状況だったからだ」 この大震災の直後、今までの危機管理体制を根本的に見直す必要に迫られたという。避難マニュアルを更新した後に何度も地震があったが、避難はスムーズに行くようになった。非常時には連絡手段が断たれ、上意下達の命令系統は崩れてしまうので、それぞれの職員が現場で自主的に判断して迅速に避難誘導するようにしたという。 また、美術作品の保全の問題についても次のような報告があった。 「落下した絵画は額縁を損傷した。ヒートンは直角に曲がり、ワイヤーで拝み止めをしていない作品は、1点吊りとなり大きく振れた。収蔵庫の絵画ラックの長いS管は、大きく振れ、危険だった。彫刻は、腰に紐を回して壁に結び付けたものや、群像の間に緩衝材を入れサラシで巻いていたものは、無事だった。箱に入った作品も安全だった。その後、絵画ラックの作品は、下のほうを紐で固定するようにした」という。他館からの情報によると免振台やEQガードは有効だったとのことだ。 こんな大震災の後、福島県立美術館のジブリ展で4万人以上の入場者を集めたようだが、そのニュースに光明を感じたと述べたのが印象的だった。
〈インフォメーション〉
●美術展
★杭谷一東
彫刻展「水の神とあそぶ。」 会期:10月8日(土)~16日(日) 10時~20時 会期中無休 会場:アシダ画廊(東広島市西条土与丸3丁目4-12 TEL082-423-9536)
広島県世羅群世羅町に生まれる。円鍔勝三氏に師事。1962年に日展に初入選、以後、連続8回入選。1969年にイタリア国立アカデミー彫刻科に入学。その後もイタリアを拠点に制作を続け、世界的な数々の賞を受賞。瀬戸田町にある耕三寺に 白い大理石の庭園「未来心の丘」(5000平方メートル)を制作したことでも知られている。
★堀 研 スケッチ展「イタリアの風」 会期:10月26日(水)~11月1日(火)
10時~17時(土・日曜日は16時まで) 会場:広島市立大学芸術学部資料館5階展示室 TEL082-830-1507 入場無料
広島市立大学芸術学部油絵専攻の堀 研教授が2004年、2007年、2010年にイタリア古美術研究旅行で学生に同行した折、自由時間にスケッチしたパステル、水彩、鉛筆スケッチから厳選した40点あまりを展示する。10月29日(土)、30日(日)の両日、13時から、作家によるギャリートークが実施される。また、29日は市立大学ミニ・オープンキャンパスも実施中で、この機会に是非、お立ち寄りくださいとのこと。
★第12回 創手人展 会期:11月1日(火)~6日(日)
9時~17時 会場:広島県立美術館 県民ギャラリー 入場無料
創手人(つくりてびと)染めグループは平成元(1989)年に発足し、23年間平成と共に活動してきた。幅広い染色表現を模索し、隔年の展覧会では毎回異なるテーマでインスタレーションを制作している。今回展では、紙布を素材とした草木染めのタペストリーを発表する。
★ウクライナの至宝 スキタイ黄金美術の煌き ロシア皇帝を魅了した黄金の民――ウクライナを駆け抜けた遊牧民戦士スキタイ。 会期:~11月13日(日) 会期中無休 開館時間:9時~17時(金曜日は20時まで開館) 会場:広島県立美術館 入館料:一般1200(900)円、高校・大学生800(600)円、 小・中学生600(400)円。( )内は前売り・団体料金
★第3回 吉富蔵
ART展 会期:11月7日(月)~18日(金) 10時~16時 入場無料 会場:賀茂鶴酒造(株) 吉富蔵敷地内(東広島市西条土与丸2-7) 駐車場あり 連絡先:事務局・大成大輔 TEL090-2860-7216
★秋期特別展「高島北海とアールヌーボー」展 会期:前期 ~10月17日(月) 後期 10月19日(水)~11月28日(月) 開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで) 休館日:毎週火曜日 会場:第1会場「三之瀬御本陣芸術文化館」 第2会場「蘭島閣美術館1階」 (いずれも所在地は呉市下蒲刈町三之瀬) 入館料:一般1000円、高校生600円、小・中学生400円
●コンサート
3周年記念公演
★東アジアの現代音楽祭
2011 in ヒロシマ ~日本と中国の作曲家の現在~ 日時:2011年10月22日(土) 会場:アステールプラザ・オーケストラ練習場 1.トークセッション(17:00~17:45)<中国と日本における現代音楽の現状と展望> 2.コンサート:現代の室内楽作品展(18:00~20:00)一般2,000円 学生1,000円 日本、韓国、中国をはじめ東アジア諸国の文化・芸術の潮流に触れ、“多文化社会と共生”の相互理解のもとに、現代の室内楽作品展を開催。招待作曲家として福士則夫(日本)、ZOU Xiangping(四川音楽学院)、CHAN Ming-Chi(上海音楽学院)を、また招待演奏家として福田輝久(東京・尺八)を招聘。日本と中国の若い作曲家と広島の優れた演奏家とのコラボレーションも“見どころ、聞きどころ”。
(音楽監督:伴谷晃二)
●新刊本
原田佳子『厳島の祭礼と芸能の研究』 (A5版 496頁)芙蓉書房出版 7500円(税込7875円)
<概要> 厳島と厳島神社の歴史・自然・文化財などに関する記述や研究は、極めて多い。平安時代の古文書「厳島文書」、紀行文「高倉院厳島御幸記」をはじめ、『芸藩通志』などの地誌や案内記、近代以降は、歴史や建造物・宝物・弥山原始材の自然などに関する数多くの研究や出版物がある。 しかし、厳島信仰と深く結び、神社の中心的活動である「祭礼」と、祭礼に伴う「芸能」 については、今まで本格的な研究がされていない。「祭礼」は行為であり、「芸能」は視覚的聴覚的、瞬間的芸術なので、文字や形として残らないので研究が困難なためと考える。 従って本書は、室町時代から江戸時代にわたる厳島神社の年中行事の記述の中に、祭礼と芸能を探り、現在のそれと比較検討し、総合的体系的に研究、長年の現地調査と文献調査によってまとめている。 2編12章から成り、第一編は江戸時代に「大小百余あり」と言われ、現在は年間60余 度ある祭礼行事の内容と変遷、祭礼に伴う芸能の変遷を述べている。第二編は平家の時代から八百数十年の歴史を持つ「舞楽」と「管弦」の招来、歴史と現在、四百数十年の歴史を有する「神能」の起源、歴史、内容と現在を、各々曲目・場・装束などの文献と
形資料を交え、多角的に論じている。また、明治初年の神仏分離と神社制度の変革、社会変動によって失われた芸能「神楽」「東遊」「延年」の歴史と内容のほか、神社周辺の厳島の芸能「宮島おどり」「宮島歌舞伎」の由来、特色、内容と現状などを記している。 本書の特色は、厳島の祭礼と芸能に関する造形資料の収集に努め、図絵や写真(図版208点、うちカラー47点)を多用し、視覚的に捉え、具体的に論じている点であろう。また、これまでの厳島研究に根源的な研究を加え、厳島の芸能を日本の芸能史の中で捉えたことは、今後の研究に示唆を与えるものであろう。 本書は、神とともに人びとが楽しみ和合する芸能の意味と価値を明らかにし、現在、年間300万人を超す来島者や、広く多くの人に、厳島が永く広範な階層や地域の人びとの信仰を集めてきた理由、日本の知恵と特性を考えさせる。
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