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                                            広島芸術学会会報 第115号

 

 

「ZERO」グループと「具体」

越智 裕二郎

 

 本年10月3日、元永定正氏が亡くなった。入退院を繰り返していることは聞き及んでいたが、9月末に兵庫県立美術館で開催された「REFLEXIONEN」、ドイツの「ZERO」グループと「具体」グループをほぼ同室に並べた展覧会場で氏の作品を拝見、中に今年の年記の入った作品も並び、それらが晩年とか衰えというものを全く感じさせない作品であることに驚いた私は,「氏はまだまだ生きる!」と確信した直後であっただけに、その訃報には虚を突かれた思いがした。聞けば病院でもキャンヴァスのサイズは小さくなったとはいえ、最後まで絵筆を放さなかったとか。

  同展会場室の中心は,ドイツの「ZERO」グループ、創設者のオットー・ピーネとハインツ・マックに加えてギュンター・ユッカーの3人。「ZERO」とはいうまでもなく戦後ドイツのデュッセルドルフで、第2次世界大戦前の「表現主義」など過去の絵画を捨象し、物質そのものや光を素材とするアートに取り組んだグループであり、1957年に結成1966年には解散したが、ヨーロッパのフォンタナやイヴ・クラインなど当時多くの作家がこのグループと関わりを持ち、展覧会に参加していた。

  オットー・ピーネ氏はさすがに車椅子を使っているお姿をちらりと拝見したが、まだまだかくしゃくたるご様子に見え、また作品も天井高7m20cmを最大限使ったキネティック・アート、真っ暗な部屋の中で迫力も十分、見応えのある作品であった。ハインツ・マックもステンレスの板を90度曲げたものをずらりと床に並べ、ギュンター・ユッカーは、釘を垂直に立てた手馴れた作品で3人三様の存在感を示していた。

  兵庫県立美術館では2004年、「具体」回顧展をひさびさに開催した折、同展を見て当時館長の木村重信氏が、「美術史史上「前衛」と呼ばれた作品でも時代が経てば古色を感じてくるのに、なぜか「具体」は古びを感じさせないね」という感想をもらされた。そのときは軽く耳に留めた言葉が、今回この2つのグループを併置した展覧会を見た時、まことに適切な評語として私の脳裡に浮かんできた。

  「具体」とは、今となっては変なグループ名であるが、素材の物質までアートの射程にいれる宣言と理解すれば、これまたほぼ同時にドイツで生まれた「ZERO」と通底することは自明である。昨今、「ZERO」やオランダの「NULL」、日本の「GUTAI」を併置する展覧会が世界各地で開催され始めたことは承知しているが、この2011年という50年をたった今でも、戦後「超新星」の爆発のように光芒を放ったこれらのグループが、その切れ味、光たるや、輝きを失っていないことに改めて感じ入った次第である。

 

(おち ゆうじろう 広島県立美術館館長)

 

 

第96回例会報告

 

広島県立美術館 学芸員 永井明生

 

 「大野ギャラリー」と「ヒロセコレクション」を巡る第96回例会(野外例会)は、2011(平成23)年11月5日(土)に実施された。午後1時、待ち合わせ場所の広島駅新幹線口前に7名が集合。あいにくの雨模様ではあったが、お互いの近況を報告し合うなど和やかな雰囲気のなか、車2台に分乗して目的地へと向かう。

  まずは広島市中区西白島町の大野ギャラリーへ。株式会社大野石油店の本社屋3階に併設された同ギャラリーは平成10年にオープン、日本洋画界を代表する画家の一人である小磯良平の充実した作品群で名高い。約350点もの小磯作品のコレクションは、神戸市立小磯記念美術館や兵庫県立美術館に継ぐ日本有数の規模として知る人ぞ知る存在である。当日は、同ギャラリーの笠岡めぐみ学芸員によるわかりやすい解説を拝聴しながらの鑑賞となった。コレクションの始まりは約40年前、同社会長がデパートで見て魅了された小磯良平の版画であったとか。その後、小磯作品にしぼりコレクションを拡大、各時期の代表的な作品を網羅していったという。作品を購入するのは決まって大阪の某有名画廊。その画廊の受付嬢として働いていた中村悠紀子氏(昭和60年の日航機事故で逝去)が小磯作品のモデルとしてしばしば描かれているのは有名な話だが、同画廊の娘を描いた作品も同ギャラリーにあり、この作品の購入を最後に作品収集が終了した、などといった興味深いエピソードも披露された。画業初期の貴重な 描・リトグラフ、昭和10年代の女性像などに始まり、赤坂迎賓館の壁画に関する習作にいたるまで、時期や作風等によって系統立てて展示構成がなされている。7名の会員は、小磯良平と親交のあった太田忠(広島出身の洋画家)のこと、小磯作品とフェルメールのそれとの類似性などなど、自由な感想や想像(?)を披瀝し合いつつ、最後は競い合うかのように各人がポストカードを購入、気持ちよく同ギャラリーをあとにした。

  続いて、広島市中区千田町のヒロセコレクションへ。こちらは今年の8月6日にオープンしたばかりの現代美術の画廊。医師の広瀬脩二氏が約30年前から集めた個人コレクションを8月の「トニー・クラッグ展」を皮切りに順次公開していく予定で、例会当日は第2弾の「ダニエル・ビュレン展」が開催中であった。ダニエル・ビュレンは、1986年のヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞するなど、国際的に高く評価されるフランスのアーティスト。真っ白な壁面に囲まれた会場に、紅白の麻布と木材を使用した「部屋の中の部屋」(1985年)など、作品が今・ここに存在する意味を根本から問うような刺激的な作品が並ぶ。広瀬氏ご本人から、殿敷侃(広島出身の現代美術作家)の示唆によってコレクションを開始したこと、原始美術への関心も高く当初それらを収集していたこと、海外でのハンス・ハーケといった著名アーティストとの交流など、貴重なお話をうかがいながらの鑑賞。毎回一人の作家に限定し、その作家の作品を堪能できるような展示の工夫をこらすなど、ご自身のコレクションの示し方に関する強いこだわりや思い入れが感じられた。

  広島市内にある特徴的な個人コレクションを「はしご」する形となった今回の例会。対照的とも言える国内外2作家の世界を味わい、その余韻に浸りつつ、充実した心持ちで散会した。

 

●大野ギャラリー

 住所:広島市中区西白島町22-15 大野石油店 本社ビル3階

 開館日時:水曜日(祝祭日は除く)10時~16時

 入場料:無料

 電話:082-221-9107

 

●ヒロセコレクション

 住所:広島市中区千田町3-9-1

 開館日時:金・土・日曜日14時~18時

 入場料:500円(学生300円)

 電話:082-240-2450

 

 

<寄稿>パンダの国から「大キリン」(第113号の続き)

 

広島大学 袁 葉

 

(二)

 

 大震災と大津波、さらに原発事故に襲われたにもかかわらず、日本人が冷静さと秩序を保っていることを、中国や香港のマスコミやネット上では、連日絶賛している。

  『環球時報』のホームページは、民族主義的論調で知られるが、それでも「東日本大震災」を気遣う書き込みがほとんどだった。

  「被災地の日本人民のために、祈っています」「日本人は頑張るはずだ。こんなことで泣かない」「四川大地震の際に、日本は救援の手を差し伸べてくれた。災害に際しては(日本を嫌う」民族的感情を抱くべきではない」「困難な時に発揮された、日本人のマナーの良さを見習わなければならない」などなど。

  中国では古来「衣食足、知栄辱」という。なぜ日本人は、衣食が足りない状況下でも礼節を守れるのか? 教育力、神道、儒教の影響や「恥の文化」、単一民族と共同体の構造などの角度から考えて、自分なりの答えを出してみた。

  かつて勤務した「中国マスコミ大学」の先生にこの話をしたら、『大震災を通して見る日本人の国民性』と題して、学生たちに話をすることになった。

  当日、100分間の特別講義の最後に、学生たちにこんな質問をした。

  「世界最大級のオンライン旅行会社のエクスペディアは、09年各国観光客の評判を調査した。3年連続で最良の観光客に選ばれた国はどこでしょうか?」すると、全員が口々に「日本」だと答えた。

  それを聞いて、飛行機でもらった3月19日付けの『労働者日報』の記事が脳裡をよぎった。

  「大震災に見舞われながらも、日本人の冷静さ、秩序の良さは、大震災そのものより、ある意味では、我々をもっと震撼させてくれた。」「大震災時に表れたその優れた資質は、何よりの国家宣伝となっている。」

  もし震災前だったら、学生たちからすんなりと「日本」だという答えが出てきただろうか…。

 

(三)

 

 数日後家に届いた町内新聞に、「居民の祈願」という東日本大震災に関する町民の投書コーナーがあった。そのほとんどは、日本が今日の苦境から一日も早く抜け出すために、できるだけの援助をしようと書かれている。

  中国のネットによれば、義援金の寄付者の中には、出稼ぎ労働者もいれば、お年玉を全部出した小学生もいる。また、四川省は官民とも援助の動きが迅速だったという。

  中国政府はガソリン1万t、ディーゼル油1万tの無償援助を追加した。「日本人民と世々代々の友好関係を築こう」というフレーズも新聞に久々に登場。

  現地に入った中国の救援隊員が食料品を購入しようとした時、「はるばる協力に来てくださったんだから…」と、被災者は代金を受け取らなかったといったエピソードを通して、「とにかく、これまでの日本人民への偏見が、尊敬の念へと変わってきた」と述べた中国マスコミ省に勤務する友人の話が、とても印象に残った。

  日本に帰ってから、テレビで見たある映像。青空を背景に赤い生コン圧送機が、福島原発の4号炉に注水作業をしている。62メートルもの高さがあり、修復作業の現場では「大キリン」とか「無名の巨人」と呼ばれているそうだ。中国の無償援助によるものだ。北京で見たニュース~上海港でこの「大キリン」が船に搭載される際、中国人の作業員たちの一刻を争う仕事ぶりと真剣な眼差しが、再び目に浮かんできた…。(第114号に掲載予定でしたが、都合により今号の掲載になりました)

 

                             

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