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広島芸術学会会報 第116号
韓国で漢字について考える 長迫 英倫
昨年の世相を表す漢字に「絆」が選ばれた。今では神聖視されている感さえある。だが、ご存知だろうか。絆とは元来は家畜をつなぎ止めておく縄のことであり、転じて自由を束縛するものを意味するようになったことを。恩や愛情の繋がりという意味を担っているのは、漢字文化圏の中で日本だけだという説もある。 韓国での生活も四年目を迎える。この間、かえって漢字について考えることが多くなった。確かに韓国では漢字の使用頻度はきわめて少ない。しかし、漢字文化は日本よりも根深く残っている。例えば、日本では「綜」と「総」は区別されなくなったが、韓国では前者を?(ジョン)後者を?(チョン)と、表記上も発音上も区別する(それぞれの語義は紙幅の都合上割愛する)。 芸術学会に因んで、「美」という漢字にまつわる体験を紹介したい。「美」という文字は「羊」と「大」から成る。そして、大きな羊は「美味」だから「美」という字ができた、という説がある。私は、大学で美学を専攻してこの説に触れてから、二十年近く悩み続けてきた。「大味」という言葉が象徴するように、大きさと美味しさとは別次元の問題だと思ったからだ。しかし、韓国で暮らすうちに「大きな羊は美味しい」ということを文字通り体得した。古代中国において、羊は天に捧げる犠牲であった。翻って韓国では今も、中秋節や正月になると家族が一堂に会し、祖先に供物を捧げて会食する。多人勢で食事をする機会が多い韓国では、大きな羊は二つの意味で美味しい。まず、家族全員の胃袋が満たされる幸せを思えば、大きな羊はそれだけで美味しい。第二に、韓国語で「美味しい」は「???(マシッタ)」なのだが、日本語に直訳すると「味(?)が在る(??)」となる。羊が小さく一人あたりの分配量が少なくなれば、たとえ肉片を口に入れたとしてもその味を感じることさえ難しくなるだろう。 漢字のみならず、「家」にまつわる言葉(家族、相(あい)舅(やけ)、姨母・姑母)など、韓国で生活していると、かえって日本文化に関する知識を実体験することができる(自己宣伝になって恐縮だが拙著『それでも不思議な韓国』も参照されたい)。こうした体験こそまさに「美学」をすることだと思い、日々の生活を楽しんでいる。
(ながさこ ひでのり 釜山科学技術大学校・観光日本語通訳科 専任講師)
第97回例会報告
研究発表① 19世紀における自然科学の作品化と「崇高」 ―アーダルベルト・シュティフターの文学
発表:日本学術振興会 特別研究員 中野 逸雄 報告:広島大学名誉教授 嶋屋 節子
標記の研究内容を理解するにあたり、「崇高-das Erhabene」の概念と役割を適切に把握する必要があることを発表者は指摘した。人が世界の現象を正しく認識できるのは、カントの『判断力批判』において指摘された「崇高」の感覚は不可欠であると解釈される。さて、カントのこの著作に占める「崇高の分析論」の記述は、因に岩波文庫『判断力批判』(上)のp.144-217にわたり、同著(下)の[索引] p.48-51では、「崇高」の多面的使われ方が理論的に整理されている。人間と自然のかかわり方を新しく切りひらいたこの「崇高」なる知的遺産を、シュティフターは作家・画家として継承し発展させ、彼の文学作品に独自の生気を与えた。 年代的に見ると、シュティフターの初期の作品は、『石さまざま』のタイトルで1853年に出版されている。「崇高」との関連で注目すべき箇所は『序文』の中に点在している。その冒頭を引用する。「私が作家として小さなものばかりを材料にし、描く人物もありふれていると非難を受けたことがある。. . だとすれば私は今回、読者に一層小さなものを提供することになるわけだ . . 」しかし、ここに収められた『水晶』《クリスマスイヴの日に祖母を訪ねた帰り道、雪が降り始め、幼い兄と妹が氷河を抱く山岳地帯に迷い込んだ。夜中に雪が止むと満天の星空。突然、耳をつんざく轟音そして氷の割れる凄い音が響きわたる。突然、天空に光が広がり、赤や緑の色を増し、弓形に揺らぎ踊って夜空に消え去る。やがて待望の日の出、そして二人は救出》。このような希有な体験には大・小の尺度は無用であろう。この場合には、カントの定義した次の表現が妥当であろう:1. 美学的判断において自然が崇高と判断されるのは自然の強大な威力をすら、我々と我々の人格性に対する強制力とはみなされないような力を、我々の中に喚起するからである。岩波文庫『判断力批判』(下)、[索引] p.48、2. . . 自然のもつ力学的崇高さは、我々の精神力を日常時とは様変わりに高め、別種の抵抗力を引き出す。p.50。 さて、発表者はシュティフターの崇高表現がカント的伝統の下にあることを確認した上で、この作家が自然科学への関心と知識を増すにつれて、目の前の小さな自然に内包される空間現象、時間表象の無限を表現する熱意が強まっている事実を確信する。シュティフターは『1842年7月8日の日食』の記録において、自然の道徳的威力を典型的な数学的崇高の形式で表現していた。更に、彼は、自然科学が開拓した自然界の新事実を基盤にして、「無限」の表象を「構想力」を駆使してイメージ化する試みをくりかえしていたのだ。かくして1857年、彼の全力を傾けた長編小説『晩夏』が誕生した。(だが、報告者はこの作品を読んでいない。)
研究発表② ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「夜の絵画」について -その闇の意味- 発表&報告:ふくやま美術館 学芸員 平泉 千枝
「夜の絵画に秀でた画家」―これは18世紀、フランス、ロレーヌ地方の修道士ドン・カルメが、著作でおよそ一世紀前に没した同郷の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)を評した言葉である。かようにラ・トゥール芸術において強い印象を残すのは、聖人や聖女の姿、聖誕の情景が暗闇から蝋燭やランプのわずかな光によって浮かびあがる、いわゆる「夜の絵画」であり、従来この画風形成は、大胆な明暗画法で一世を風靡したイタリアのカラヴァッジョや追随画家たちなど、国際的なカラヴァッジョ様式流行から影響を受けてなされたものとして、主に様式論の文脈で捉えられてきた。今回はこれに加え、ロレーヌの古文書館等の調査をもとに、地域特有の思想背景に着目した。17世紀当時、ロレーヌは地理上プロテスタントに対するカトリックの砦と目され、多くの修道会が進出したが、特に画家の生地の有力者が支援したのが跣足カルメル修道会であった。同会の創立者の一人、修道士の十字架のヨハネ(1542-1591)は、魂が神との合一にいたる修練の過程を「暗夜」になぞらえた著名な神秘思想家であり、発表ではこの「暗夜」の思想や、そのロレーヌへの伝播、修道会周辺での絵画の受容、あるいはラ・トゥール絵画に見られる特徴的な表現の検証から、ラ・トゥール絵画の闇は、単なる表現上の効果以上に、神秘思想などの宗教的な含意の面からも読解できるのではないかと論じた。
〈インフォメーション〉
●芸術展示「制作と思考」第8回展
3月20日から広島県立美術館で テーマは《ホット・ジャパン ─ 粋と野暮》 広島芸術学会恒例の芸術展示「制作と思考」第8回展を開催します。今回のテーマは《ホット・ジャパン ─ 粋(いき)と野暮(やぼ)》。会員の皆さまから募集した作品を一堂に展示します。皆さまのご来場をお待ちしています。
■会期:2012年3月20日(火)~25日(日) 毎日 9時~17時(金曜日は19時まで) ■会場:広島県立美術館 県民ギャラリー(広島市中区上幟町2-22) ■問い合わせ:ひろしま美術研究所内 芸術展示実行委員会事務局 TEL082-506-3060 FAX082-506-3062 Eメールはこちら
●特別展「シャルロット・ペリアンと日本」
20世紀モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジェとともに建築室内デザインで優れた業績を残したフランス人建築家・デザイナー、シャルロット・ペリアンの展覧会。
■会期:~3月11日(日) 10時~17時 *入館は閉館の30分前まで。月曜日休館 ■会場:広島市現代美術館(広島市南区比治山公園1-1) ■観覧料:一般1000(800)円、大学生700(600)円、 高校生500(400)円、 小中学生・65歳以上無料。( )内は前売りおよび30名以上の団体料金
●新刊紹介『それでも不思議な韓国―やさしい日韓比較文化考』 文芸社 1260円(税込)
著者は広島芸術学会会報116号(今号)の巻頭言を執筆した長迫英倫氏。電子書籍としても出版されている。スマートフォンやタブレットからはSHAPのGARAPAGPS(http://galapagosstore.com/web/btop)より756円(税込)で、パソコンからは文芸社のBOON-GATE(http://www.boon-gate.com)より525円(税込)で購入できる。
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