会報のバックナンバーは、こちらを参照ください

 

                                            広島芸術学会会報 第117号

 

 

 重層的な文化の地層~台湾に移り住んで、旅して

亀井 克朗

 

 台湾に移り住んで、気がつけば九年目になる。この間に様々のことを見聞きしてきたが、この地はその都度違う相貌を見せ、飽きない。台湾が様々な面で刻々と変化しているということもあるが、それだけでなく、未知の側面が見る度に掘り起こされてくるということがある。

  旅行好きの妻やその両親の好ましい影響もあり、折々に、台湾の各地を巡っている。私の住む台南はもとより、台北、高雄は疾うに行き尽くし、東部や島嶼にも足を伸ばす。いつでも有名な観光地よりは、メインストリームを外れたところに、思わぬ出会いがある。

  台湾屈指の観光スポットであり、近年は大陸から大挙して中国人が来訪する阿里山(アーリーサン)を訪れた時もそうだった。二千年を越す樹齢の神木には無論感動したが、それに劣らぬ強烈な印象を受けたのは、阿里山から少し足を伸ばして辿り着いたある原住民の一部族の里だった。そこに残る今も現役の祭りの舞台も興味深かったが、何よりもその土地の空気や人々の居住まいの静かな力に圧倒された。

  平(ピン)溪(シー)で見た空に浮かぶ提灯の幻想的な光景は忘れられないが、そこからさらに東部を南に下って訪ねた、原住民の別の部族の発祥の地とされる里もまた忘れ難い印象を残す。原住民の習俗を手っ取り早く見聞きしたければ、台北に博物館があるし、台中から二時間の九族文化村にも古代の住居の展示がある。しかしそれらの人工的な展示に飽き足らず、その展示がモデルにした住居の元あった場所を手探りで探し出し、僅かな予備知識を携えて訪れたのであった。

  そうした地に行く度に、思いも寄らぬ発見がある。別の折、通りすがりのつもりで寄った北部の金山という町には、地図やガイドブックからは想像のつかない賑わいの市が待ち受けていた。

  遠く離れた土地だけではない。近頃も、住まいの近隣を散策して、樹齢百年の木や土地の由来などを発見した。台湾には多様で重層的な、隠れた文化の地層がある。

 これらのものは、主動的に探せばこそ見出せるものであり、その意味で主動は必須であるが、同時に、偶然の出会いや思わぬ発見に対しては受動である。主動と受動の交差は、芸術の創作や鑑賞にも言えることである。

  よそものの視線は偏差を含みもする。しかし、よそものの視線にこそ映る本質というものもある。それもまた、この間、教えることを通じて学んだことの一つである。

 

(かめい かつろう/興國管理學院應用日本語学科專任講師)

 

 

第98回例会報告

 

研究発表①

 二つの展覧会から見た具体美術協会の評価

 ―日本国際美術展・現代日本美術展への出品を通して―

 

発表:神戸大学大学院芸術学専修 植松 篤

 報告:ふくやま美術館 谷藤史彦

 

 戦後美術における具体美術協会(以下、具体)は、彼らが積極的に海外へ自らの作品集を継続的に送っていたことも奏功して、国際的な評価が高いことはよく知られている。それに比して、国内での評価がそれほど高くないとされてきている。実際はどうだったのだろうか。

  発表者は、1950年代から1970年代にかけての現代美術の展覧会として権威があったとされる日本国際美術展および現代日本美術展に出品された、具体の作家たちの作品とその受賞、批評を追い、具体がどのように評価されてきたのかの実態を調査した。

  日本国際美術展は、美術団体連合展とサロン・ド・メが合流して開催された国際展で、招待制として最初はフランスを中心とする7カ国が参加して1952年から始まった。前衛的な傾向は少なく、総花的・網羅的であった。1954年からは、日本国内の作品を中心とする現代日本美術展が始まり、以後、日本国際美術展との隔年開催(ビエンナーレ方式)となり、また受賞制度も導入されことになっていった。招待作家の選考は、大家・中堅が中心であり、新人に門戸が開かれていなかった。その後、コンクール部門ができ、3000点もの作品が集まるようになっていった。その中で、招待作家として吉原治良・白髪一雄・元永定正など具体の中心メンバーが出品し、さらにはコンクール部門にはヨシダミノルなど具体後期の新人たちも参加して入賞するようになっていた状況が報告され、日本国内においても具体の作家たちが受け入れられ、評価されていたことを強調した。

  今回の発表で、報告者が気になったのは、その焦点が日本国際美術展および現代日本美術展の成立と推移そのものに置かれてしまった点である。また、具体の”評価”について新しい知見が示されなかったのも残念な気がした。

 

 

研究発表②

 感情の現象学 ―感性と理性の2元論を越えて―

 

発表&報告:広島大学大学院総合科学研究科 鎌田 勇

 

 デカルト以来の西欧近代合理主義は、平等、民主主義を導いた反面、感情を理性より下位の心的機能と見なしてきた。合理主義はやがて経験論的功利主義に取って代わられ、経済学の自由主義・市場主義や心理学の行動主義を生み出し、計算づくの「自己中心的」「知的」「合理的行動者」としての人間像が現代を支配するまでになった。しかし昨今、脳科学や心理学、そして経済学で感情の役割を見直す動きが強まっている。本報告はそうした最新の「感情の科学」を概観すると共に、現象学的に感情経験を捉え、感情の役割の再評価では不十分で、知性と感情の分割自体が恣意的であることを訴えた。

  感情科学の紹介と共に、「退屈」体験を現象学的に記述し、また出席者に思考実験で感情と知性の絡み合いによるモラル判断を経験してもらった。限られた時間での広範な議論となったため、「検証が十分ではない」という質疑応答での指摘もされたが、既に科学的データは多く提出されている。その紹介はできなかった。また現象学自体も(経験論に対峙する)合理主義の末裔として、理性の発生の場を知覚に求め、感情を十分検討してこなかった。こうした議論は今回の発表には十分盛り込めなかった。報告者は、今後論文によってそれを補う予定でいる。

 

〈寄稿・エッセイ〉

 桜の国 Ⅱ

 

広島大学 袁 葉

(一)

 交差点の信号が目前で黄色に変わり、タクシーはスピードを緩めた。もうちょっと急いでくれたらパスできたのにと、私は内心思った。イライラする気持ちを抑えようと、まぶたを伏せる。

  「色が、微妙にちごうとるねえ」―運転手さんの声だ。何ごとかと目を開けてみると、彼はハンドルに顔を寄せるようにして、川土手に咲いている二本の桜を見上げている。「こっちのはちょっと白っぽうて、向こうの方はもう少しピンクがかっとるね」

  桜のある風景にも年々目が馴染んできている私は、それを聞いてハッとした。「そう言われてみるとそうですね、さすが…」と言って、心の中で「日本人ですね」と呟いた。窓ガラスを開けてみると、若葉の香りを含んだ微風が頬を撫でた。そして、桜の花びらがひとつ私の手にとまった。車が動き出すと、その花びらは再び旅立っていった。

  桜を愛でるあの一言のおかげで、春のワン・シーンが私のみずみずしい思い出となっている。

 

(二)

 「もうすぐ桜の季節ですが、いかがお過ごしでしょうか…」と、知人に手紙を書いているところへ、玄関のチャイムが鳴った。京都に住む友人から小包が届いたのだ。開梱すると、私の好物の京漬物などの品物に、手紙が添えられている。

 「桜のつぼみが日々膨らんできていますが、いかが…」

  都のたたずまいが、桜の風景と重なって目の前に広がってきた。急に自分の書き出しが、味気ないものに思える。早速この文を拝借して、書き換えることにした。

  翌日から急ぎの翻訳の仕事が入り、出すはずの手紙はそのままバッグの中に眠ることになってしまった。気がつくと、三、四日も経っていたろうか。

  まさにポストに封筒を入れようとした時、急に桜の咲き具合が気になった。辺りを見渡すと、数軒先の家の塀から、しなやかに伸びている桜の枝が目に映った。そこへやってきて仰ぎ見ると、なんと花びらがほころび始めているではないか。こんなにうららかだと、すぐ満開になるかも…。結局ポストには寄らず家に戻った。

  再び机の前に座り、ペンと便箋を取り出した。「もうすぐ桜の花びらが舞う季節となりますが…」

  時候の挨拶から手紙を書く習慣は、日本独特の文化だ。一通の手紙を一週間のうちに二度も書き換えた私は、季節の微妙な変化にも胸をときめかせる日本人の繊細な心に触れたような気がした。

  電子メール全盛の今日とはいえ、文具店に並んだ四季折々の便箋の彩りに、いつも目を奪われる私である。

 

〈インフォメーション〉

 

わが学会提案のテーマ「芸術と地域」で企画されたシンポジウム(オーガナイザー:金田会長)の開催をお知らせします。シンポジウムは公開です。参加ご希望の方は、念のためFAX(082-506-3062)あるいはEメールで、本学会事務局(大橋啓一事務局長)までご連絡ください。Eメールはこちら

 

●藝術学関連学会連合2012年度シンポジウム

   「地・人・芸術-<芸術と地域>を問う-」

 

主催:●藝術学関連学会連合

      意匠学会/国際浮世絵学会/東北藝術文化学会/東洋音楽学会/

      日本映像学会/日本演劇学会/日本音楽学会/日本デザイン学会/

      比較舞踊学会/美学会/美術科教育学会/美術史学会/舞踊学会/

      広島芸術学会/服飾美学会

     ●日本学術会議哲学委員会 藝術と文化環境分科会

 共催:仙台市博物館

 

■会期:2012年6月16日(土)  13時~16時30分

■会場:仙台市博物館ホール 入場無料(申し込み不要)

   (仙台市青葉区川内26番地)

 

【内容】

 総合司会  平山敬二(東京工芸大学、美学会)

 開会挨拶  西村清和(藝術学関連学会連合会長、日本学術会議会員)

         外山紀久子(埼玉大学、日本学術会議連携会員)

 趣旨説明  金田晉(東亜大学、広島芸術学会)

 パネリスト  渡部泰山(大原螢)(山形大学、東北藝術文化学会)

          報告「地域と演劇――文化・芸術活動の起点にあるもの」

         奥中康人(静岡文化芸術大学、日本音楽学会)

          報告「地域社会にとっての音楽文化―石巻市の大沢楽隊を巡って―」

         吉村典子(宮城学院女子大学、意匠学会)

          報告「芸術と地域――英国都市再生の事例から」

         芳賀満(東北大学、美術史学会、日本学術会議連携会員)

          報告「地域復興の為の芸術の力-

          ①高台移転に伴う埋蔵文化財発掘調査の社会的意義

          ②文化庁の「文化財レスキュー事業」の意義と問題点

          ③災害対策基本法への文化財の観点の付加

          ④ゲニウス・ロキと災害モニュメント」

 ディスカッション コーディネーター 金田晉/平山敬二

 閉会挨拶  内山淳一(仙台市博物館学芸室長)

 シンポジウムオーガナイザー:金田晉/平山敬二

 

【趣旨】

  現代芸術の状況はますますグローバル化している。作家の活動も、プレゼンテーションの仕方も、享受者あるいは参加者の期待も、また状況全体に対するさまざまな言説もグローバル化している。だが昨年3月11日東日本太平洋沿岸を襲った大津波、さらに福島の原発事故による放射線汚染に直面して、私たちの社会的、文化的営為がいかに大地locusに支えられてきたかを思い知らされた。しかも銘記しておかねばならない、世界を揺さぶる作品やディスクールは、創造主体の生きる「ここ今」という土locusの匂いをなおそこに留めていることを。

  そもそもグローバル化自体が広大な宇宙の中では地球という一つのローカルなミュートスであることにかわりなく、逆に地locusに生きることがグローバル化を超えて広大無辺の世界に届くというパラドックスは、少なくとも芸術の世界では真実である。本シンポジウムは東北の歴史文化の拠点仙台市博物館で、「芸術と地域」をテーマとして開催される。

  半世紀以上にわたって日本がひたすら走り続けてきた国家建設が今岐路に立たされている。長く文明開化にエネルギーを送り続けてきた「地域」が衰弱し、機能が低下している。国政は「地域振興」という名の下に数々の政策を立法化し、地域の活性化を講じてきたが、真の解決を見出してはいない。それらがいわば外からの提言、対処策、財政措置にとどまっていたからではないか。在所不明の地域活性化の提言を行ってきた識者の責任も重い。

  地域には地の息遣いが聞こえ、声が響いてくる。そこに生きた人々の生への意志と功業が地域固有の文化と歴史を形成してきた。爾来、開催地東北地方には豊かな民話伝説が伝えられ、さまざまなジャンルにおいて、その地域だからこその素晴らしい作品と作家が生まれてきた。だがそこだけでない。さまざまな地方でかずかずの努力が積み重ねられ、民俗芸術の域をこえて、かずかずの芸術が伝統として実を結んできた。挫折もあり、成功もあり、ヴァイタルなエネルギーを伴うさまざまな試行、運動が今も続いている。それら各地の総和と余剰を、芸術学の視点から考えてみよう。地locusの力を際立たせ、地域の活性化への内発的な道筋を共有できるのではないか。

  現代史の節目に、フランシス・ベーコンがスコラ哲学の模倣原理から脱するために、しかも自然と向かい合うことをやめないために使用した技術(芸術)の定義「自然に付加された人間l'homme ajouté à la nature」が浮上する。ゴッホは画家になることを決意する鉱山の都市ボリナージュで、「芸術、それは自然に付加された人間である。ぼくは芸術についてのこれ以上の定義を知らない」と弟テオに書く(1879年)。大戦の跡生々しい1945年のパリでメルロ=ポンティは、生涯郷里エクスの山や湖を描きつづけたセザンヌの方法にことよせて、この芸術の定義を「古典的」と記して自らの哲学の位置を見定めた。その近みに宮澤賢治の夢を置いてみよう。1926年かれは東北の一角花巻にいて「羅須地人協会」をおこし、肥料の科学に専心しながら、「地人芸術」を構想し、地locusから発して音楽、絵画、彫刻、演劇、舞踊すべてのジャンルへと放射する総合芸術を志向した。私たちはそれをヒントに、本シンポジウムのタイトルを選んだ。

  今日、危機の時代に、私たち芸術学関連学会連合はそのカヴァーする多様なジャンルからそれぞれの切り口で<地域>を問い、時代の隘路を切り開く可能性を考えたい。

                             

                             〒739-8521 
                             東広島市鏡山1-7-1広島大学大学院総合科学研究科人間文化研究講座気付
                             TEL 082-424-6333 or 6139 / FAX 082-424-0752 / E-Mail  hirogei@hiroshima-u.ac.jp

| Copyright 2012 HIROSHIMA SOCIETY FOR SCIENCE OF ARTS All Rights Reserved.