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                                            広島芸術学会会報 第118号

 

 広島芸術学会第26回総会・大会案内

 

 日時:2012年7月21日(土) 9時30分~16時40分

 場所:ひろしま美術館 講堂(広島市中区基町3-2)

 《総会》  9時30分~10時20分

 《大会》  10時30分~16時40分

 

<研究発表>

 ① 「クール・ジャパンと韓流」/10時30分~11時15分

 広島大学大学院総合科学研究科 博士課程後期 崔 眞英

 ②「 アルフレッド・リヒトヴァルク/11時15分~12時

 ―文化政策としての芸術教育」

 東亜大学芸術学部アート・デザイン学科 准教授 清永 修全

<昼休憩> 12時~13時

③ 「19世紀初期のパリ音楽院における対位法/13時~13時45分  

 ―諸対位法の理論対立をめぐって―」

 お茶の水女子大学大学院研究院 研究員 大迫 知佳子

 ④「夜雨の美学」/13時45分~14時30分

 広島大学大学院総合科学研究科 教授 青木 孝夫

 

<シンポジウム>テーマ:芸術と地域/14時40分~16時40分

 

(1)基調報告「地・人・芸術 ―<芸術と地域>を問う」

 東亜大学大学院総合学術研究科 特任教授 金田 晉

 

(2)事例報告 

 ①「十八世紀アイルランド人画家ジェイム・バリー 

 ―カトリック刑罰法と<ケルト的崇高>」

 広島大学大学院総合科学研究科 准教授 桑島 秀樹

 ②「光州ビエンナーレを通して見た代案空間の可能性としての地域」

 インディペンデント キュレーター キム・スヨン(金 修英)

 ③「地域と展覧会の関係について-『廣島から広島』ド-ムが見つめ続けた街展の場合」

 広島県立美術館 学芸課長 松田 弘

 ④「木村伊兵衛氏・菊池俊吉氏たちが撮影記録した

 『LIVING HIROSHIMA』(1949年 広島県観光協会発行)を読む」

 写真家、広島の写真活用・保存の会 事務局長 松浦 康高

 

<広島芸術学会第26回大会における発表要旨>

●研究発表

①クール・ジャパンと韓流

 広島大学総合科学研究科 博士課程後期 崔 眞英(チェ ジンヨン)

  東アジアの文化が世界に紹介されている。特に日本のアニメやJ-Popなどはすでにずいぶん前から、世界各国の市場に紹介されてきた。1990年代後半から韓国の文化が「韓流」という名前で流行しており、韓流に対する韓国の政部的な次元で支援が行われるなど、文化としての韓流商品のグローバル化に国レベルでの努力をしている。日本も2010年6月から経済産業省のクリエイティブ産業課に「クール・ジャパン」という文化政策が立案され、日本文化の世界化方策を講じている。韓国の韓流と日本のクール・ジャパンは、国家レベルでのサポートしている自国の文化商品の世界化という点で大きな意味を持つ。

  しかし、このような自国文化のグローバル化には肯定的な側面だけを持つのはない。韓流の例から見ても反韓や嫌韓の否定的な見解は存在している。これをどのように見なければならないのか? また、現在の大衆文化(pop-culture)や芸能産業を中心に展開されている文化商品の世界化はどうか?

  本稿では、現在施行されているクール・ジャパン政策と韓流政策を分析し、今後の国家政策として自国の文化商品の世界化の意味を考察し、その文化商品の受容者であり、消費者である観客の要求(Needs)をどう受け入れるかを模索する。 

 

②「アルフレッド・リヒトヴァルク ? 文化政策としての芸術教育」

 東亜大学芸術学部アート・デザイン学科 准教授 清永 修全

  19世紀末のドイツの芸術文化シーンにおいてユニークな存在感を放つ人物にアルフレッド・リヒトヴァルク(1852-1914)がいる。1886年以来ハンブルク美術館館長の職にあった人物だが、そこを拠点に一美術館館長の枠をはるかに越え出る活躍をみせ、ドイツ帝国内の美術行政や美術館政策、教育政策を中心に影響を及ぼした。本発表では、その多岐に渡る活動を、新たな「国民」を産み出すための包括的な「文化政策としての芸術教育」であったと捉え、新たな位置づけを試みる。

 

③19世紀初期のパリ音楽院における対位法

 ―諸対位法の理論対立をめぐって―

 お茶の水女子大学大学院研究院 研究員 大迫 知佳子

  フランスにおいて19世紀初期は、1795年のパリ音楽院設立に伴い、作曲の教育という目的の下音楽理論が体系化され始めたその時期であった。1821年からパリ音楽院の教授職にあったフランソワ=ジョゼフ・フェティスは『対位法とフーガ概論』を著し、この書は1824年に同音楽院の認定図書となる。表向きに明言された本書出版の目的は、対位法とフーガに関する既存の理論教育書の内容に19世紀初期当時の音楽システムに基づく理論を補完するというものであった。一方その背景には、1818年からパリ音楽院の教授職にあったアントワーヌ・レイハの論文『高等作曲理論』に対する、同音楽院院長ルイージ・ケルビーニおよびフェティスの異議を含めた理論を公にするという別の目的もあった。

  後者の目的に言及した諸先行研究は一様に、これらの理論間の対立に関して「厳格な規則を重んじた守旧的理論(ケルビーニ、フェティス) 対 自由な発想による理論(レイハ)」という関係を見ている。しかし、ケルビーニの理論とフェティスの理論は旧い時代の厳格な規則のみによるものではなく、その上そもそも2人の理論には相違点も多く存在する。反対にレイハの理論では厳格な書法と自由な書法が別々に論じられており、厳格な規則から離れた自由な理論のみを扱うものではない。つまり、彼らの理論間の対立には先行研究が示した単純な関係性以外の諸相が含まれると考え得る。

  したがって本発表では、『対位法とフーガ概論』を手掛かりに、彼らの対位法教育に対する考え方、およびそれぞれの対位法理論の具体的な解明を通して、レイハ、ケルビーニ、フェティスの対位法理論間の対立がいかなるものであったのかについて再考を試みる。

 

④ 夜雨の美学

 広島大学大学院総合科学研究科 教授 青木 孝夫

  近年の美学、とくに環境美学の動向を踏まえて、夜雨の美学を扱う。環境は、空間的場所的に考えられるだけでなく、気象的・気候的にも考えられる。その上、時節・時候、また朝・昼・夜という時間的な形でも分節される。我々は、このような形で自然的また文化的にも分節された生の環境を生きている。

  例えば俳句に由来する「歳時記」は、一年を二十四に分かつ節気を掲載し、穀雨・雨水等、その名に雨を含むものがある。歳時記の春夏秋冬の中には、時候や生活・行事等と並んで天文、つまり気象の部がある。気象に関連する季語の中に、狭義の雨以外に、霞・靄・霧・雲・霙・雪等々、雨を冠する広義の雨がある。我々は、これら広義の雨も狭義の雨も、様々に楽しんで、愛でてきた。その結晶の一つが歳時記である。雨(広狭)の美的体験は、風景のごとく視覚中心の鑑賞に限られない。むしろ雨や霧や霞は、それぞれに特有の仕方で視覚的な眺望を変化させ或いは妨げる。一方、夜も視覚的展望を阻み或いは変容させる。その意味で、夜・雨は、昼・晴という常識的な風景成立の条件に二重に反しているが、日本の絵画が、風土や伝統に根ざして夜雨を描いてきたのは、一種の逆説である。

  そもそも夜の雨、雨の夜という自然状況が醸す雰囲気的魅力が、我々の身心に働きかけて、夜雨の独特の味わいになっている。その魅力は、絵画以外の文化、とくに文学的伝統によって認められ、その流れは、今日の大衆文化、小説、映画、また演歌やJ-Popに及んでいる。文化が育んできた夜雨の魅力は、和菓子の名からカラオケ中にも自覚され得る人生の主題に至り、日常の生活(ないし生)の美学に重要な位置を占める。

 日本また東アジアの気候と文化に分け入り、夜雨の魅力を多面的に論じることはまた、藝術から自然的環境へと転じた環境美学を、気象や夜の面から更新することであり、近代美学の枠を革新する理論的実践を一歩進めることでもある。

 

●シンポジウム

 テーマ:芸術と地域

 

(1) 基調報告「地・人・芸術 ―<芸術と地域>を問う―」 

 東亜大学大学院総合学術研究科 特任教授 金田 晉

  広島芸術学会報第117号に掲載した芸術学関連学会連合第7回シンポジウムの「開催趣旨」を基に、シンポジウム当日に行った「基調報告」の広島ヴァージョンを報告する。

 

(2) 事例報告  

 ①「十八世げ紀アイルランド人画家ジェイムズ・バリー

 ―カトリック刑罰法と〈ケルト的崇高〉」

 広島大学大学院総合科学研究科 准教授 桑島 秀樹

  カトリック弾圧の激しい18世紀アイルランドに生まれた画家ジェイムズ・バリーの生涯と芸術を紹介することで、「地域と芸術」について考えたい。バリーは、日本では―否、世界的な「イギリス美術史」の文脈においてさえ―これまで紹介の乏しかった「忘れられたロイヤル・アカデミシャン」といえる。彼と同郷・愛欄土南部コーク州出身の「崇高」の美学者で、すでに教養文人として大ブリテンの政治家への階梯を昇りつつあったエドマンド・バークこそ、彼を故郷から連れ出し、大陸遊学そして英国画壇へと導いた人物であった。当時の社会的軋轢と格闘しながら、古典的な歴史画制作を旨としつつも、その根底にアイリッシュ・カトリックの「苦悩」「反逆」の精神性を描いた彼固有の芸術のあり方を論じたい。

 

②「光州ビエンナーレを通して見た代案空間の可能性としての地域」

 インディペンデント キュレーター キム スヨン(金修英)

 

③「地域と展覧会の関係について

 ―『廣島から広島』ドームが見つめ続けた街展の場合」

 広島県立美術館学芸課長 松田 弘

  広島県立美術館は一昨年の夏に特別展「廣島から広島」を開催した。この展覧会は1915年(大正4年)、広島市元安川の岸辺に立てられた広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)が見つめ続けた広島の文化の歴史95年間を辿るものであった。「戦前のモダン都市廣島」「被爆」「戦後“広島”の65年」の三章に分け、それぞれの時代と 節目にどのような文化や芸術が生まれたのかを検証した。地域の文化の歴史と芸術の継承に果たすべき展覧会の可能性について述べてみたい。

 

④ 「木村伊兵衛氏・菊池俊吉氏達が撮影記録した

 『LIVING HIROSHIMA』(1949年広島県観光協会発行)を読む」  

 写真家、広島の写真活用・保存の会 事務局長 松浦 康高    

  今、地域の絆を深め、また次世代に語り継ぐ「記録写真の重要性」が見直されている。人類史上まれにみる惨劇の地となったヒロシマ。この痛ましいできごとが、繰り返すことのないように、多くのカメラマンにより、被爆そして復興への記録写真が残されてきた。敗戦後の占領期、検閲(プレスコード)が残る時期に、被爆の実態を海外に伝える「LIVING HIROSHIMA(生きているヒロシマ)」は、被爆2年後の夏(1947年)に撮影に取り掛かり、広島県観光協会が1949年5月10日に刊行。全128ページ英文。編集スタッフは、旧東方社(1946年文化社として再編)のメンバーが制作にあたる。編集長は、仏文学者の中島健蔵。ブックデザインは、原弘。  そして写真は、木村伊兵衛、菊池俊吉らが担当。当時日本の一流スタッフ陣により編集された。今回、あまり知られていない、検閲期間に被爆実態を世界に発信表現した、この海外向け写真集「LIVING HIROSHIMA」から、地域と芸術の関わり方を考察する。

 

 

広島芸術学会事務局から

 

★平成23年度の新入会員(かっこ内は主な研究・関心分野)

 崔 眞英(公演芸術、美学)/ロナルド・ジェフリー・スチュアート(文化史、視覚文化論、比較文化など)/中曾 政行(近世日本美術)/中野 逸雄(19世紀ドイツ語文学、18世紀美学、19世紀ドイツ語圏文化史など)/楠 ?夫(元禄時代、社会の変革が芸術文化の形成に与えた影響など)/植松 篤(現代美術、現在「具体美術協会」について研究)/徳田 ユキコ(芸術、絵画)/州濱 勝子(油彩画、水彩画、墨彩、版画)/有末 和生(宗教と芸術、自然科学と芸術、人間の日常表現と芸術など)

 

★このたびの会報に、平成24年度 第2回委員選挙にかかわる書類を同封しております。投票用紙としてそのままご投函いただけるよう、官製葉書を使用しております。期限までに(7月10日消印有効)ご投函くださいますよう、お願いします。選挙結果につきましては、7月21日(土)にひろしま美術館で開催いたします第26回総会・大会におきまして発表の段取りとなっております。どうか皆さま、ご出席くださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

 

 

第99回例会参加記

庵治の地に 今も生きるイサム・ノグチ

 近多 恵美

 

 5月26日(土) 開催の第99回例会は、「庵治石(あじいし)のふるさとを訪ねて」をテーマに、高松市を巡る野外例会であった。芸術学会会員ほか計13名の一行は、晴天の中、マイクロバスに乗ってJR広島駅北口を出発した。

  高松市に入ると、屋島を借景に佇むうどん処でコシのあるうどんを食し、まず、石の民俗資料館を訪れた。そこで一行は、鉱石の代表格であり花崗岩のダイヤと呼ばれる庵治石の採石が行われた大正末期~昭和初期の丁場をはじめとしたさまざまなジオラマなどの展示と出合う。ある時は信仰の対象として、そしてまたある時には建材として利用されてきた庵治石が、さまざまな分野で人々の生活と深く結び付き、その土地固有の財産により、今に築かれた当該地区特有の文化が窺えた。企画展では「妹背裕の漆 形展―羅漢」を鑑賞した。

  次に向かったのがイサム・ノグチ庭園美術館。展示ではノグチが制作していた頃の様子を留めており、敷地内は丸ごとインスタレーションのようにも捉えられる。とはいえ、苔の様子や樹木の大きさは月日の経過とともに変化するため、砂地の庭に彫刻が佇むのと、苔むす中に彫刻が佇むのとでは、匂い・湿度等、全く違った世界が広がる。また、ノグチが故郷から持ち帰った樹木の大きさを目の当たりにし、これまでに流れた時を視覚的に感じた。生前の様子を色濃く残した展示と、当時から姿を変え、月日を感じさせる植物とが相俟って、まるでノグチがまだここで生き続けているかのような錯覚に陥った。

 その後、ストーンミュージアムで石彫や化石を見学し、予定にはなかった高松市美術館の特別展「すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」および常設展「高度経済成長期の鼓動1962-1964」「うるしの技/蒟醤」も鑑賞できた。

  同じ時代を生きたイサム・ノグチと村山知義。そして、同時期にこの地で行われていた庵治石の採掘。大正から昭和にかけて、芸術・建築などの分野を越えた活動に取り組んでいた両者と、その両分野にかかわる重要な材料であった庵治石から、20世紀の時代を大いに感じさせられる野外例会であった。

 

(ちかた えみ/会員 竹原市文化生涯学習室 学芸員)

 

                             

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