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広島芸術学会会報 第119号
●巻頭言
藝術・学会の曲がり角
青木 孝夫
藝術という言葉も長い歴史をもつ。漢字による用語としての歴史も古く、中国の古典(『後漢書』)に現われ、現代に至る。その間、西欧語の翻訳語の面を加えて一層重要かつ重層的になった。その歴史の一齣に「東洋道徳西洋藝術」がある。西洋東漸の状況下、1850年代の佐久間象山の言葉である。この場合、東洋道徳は、保守すべき日本を含む東アジアの精神的道徳的背骨を指し、学習し進取すべき西欧の科学技術が藝術である。儒学を学ぶ一方で洋学を学んだ幕末の学者の言葉には時代の危機意識が現われている。
江戸から東京へ、近世から近代への転換の過程は、上でその一端に触れたように簡単ではないが、結論から言えば、個性・自由といったキーワードで理解される近代的な藝術観が明治大正時代を通じて浸透した。その意味では自由恋愛も個性発揮の教育も独創性の尊重も、相応に根付いたが、まだ百年の歴史である。
その近代では個性や自由や独創性を代表する天才や藝術家が尊重され、彼らの高度な創造力と人間的な魅力が藝術の概念やイメージの中心を占めていた。今や、時代の興味は、一握りの天才や藝術家から、普通の藝術家や人々の藝術的な営み、またサブカルチャーやファッションや食や都市や自然など非芸術ながら時に美的な特性の注目される領域に焦点が移ってきている。ある意味、日常の中の美的な経験に研究の領域が拡大してきているのである。その途上、例えばデジカメの登場が示すように、科学技術がアートの領域を拡散する一方で、藝術の歴史的革新や社会への批判を意図する前衛の歩みへの同調も反発もあった。こうした動きは今も進行している。
作ること、演じること、楽しむことといった局面で、日常化また個人化がますます進むアートであるが、他方で、再び、国家的な文化意識も見られる。現在、クールジャパンのように、伝統文化の輸出ではなく、新しい文化コンテンツを国として売り出そうという戦略がある。或いは本年6月に仙台で開催されたシンポジウム「地・人・芸術」(藝術学関連学会連合主催、本学会提題)では、負の災害を受けとめ、また受けとめきれない負の遺産をいかに記憶し記録し表現し共有するか、地に根ざした経験の幅と深み、根張りが問われていた。自律性のもとに他の領域から切断していることを強調しがちであった近代の藝術文化が、藝術の齎す人間性の回復や蘇生に果たす意義を通じて、共同体の維持や更新に深く関わることが、真剣に反省されてきている。その自覚は藝術を商品とみなす産業的な考えと、我々の生きる時代の中で、そして我々の中で混在している。
時代は否応なしに動き、藝術作品も変容し、藝術や美的文化を見る眼差し、流通の仕組み、研究する姿勢もまた変化している。古い道を離れ、新しい風景に立ち会う時代の角が、我々の視野にも大分前から入ってきていた。前身の広島芸術学研究会が創設されたのは1987年7月である。広島に集う研究者が、いわば象牙の塔から出て、市民や作家と触れ合い・連携し、オープンな形で研究をし、また逆にそうした研究が作家や市民の藝術実践を刺激し、共に藝術や文化の理解と創造に新しい回路を開くことを構想してきた。その志を以て四半世紀の歴史を刻んできた。今から思えば、広島芸術学会の創設は、こうした藝術文化の曲がり角を意識していたと言えるだろう。
今、広島芸術学会もまた曲がり角に佇っている。この度、学会創設を主導した金田晉前会長をはじめ、多くの先輩世代が運営から去った。世代が移行しても、学会の構成員である研究者・市民・作家が、松竹梅の三位一体、また歳寒三友として、変化する状況に対応し、新しい時代の課題を自覚して、創立の初志を体現していきたい。我々の過去四半世紀の活動は、すでに広島という地域を越えて、その波紋が全国に及び、更に東アジア、そして大げさではあろうが世界に拡がろうとしている。
これまで学会を支えてくださった諸委員、事務局長の大橋啓一氏、事務局員の米門公子さんら諸先輩に敬意と感謝を捧げつつ、今後とも、会員の皆様のご理解とご協力の下に、新しい時代の潮流の中で、学会の初志を一層具現していこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。以上、会長就任の挨拶に代えまして。
●大会研究発表報告
発表① クール・ジャパン(Cool Japan)と韓流
発表:広島大学大学院博士課程後期 崔 眞英
報告:広島大学大学院博士課程後期 廖 偉汝
発表者の崔さんは現在普遍的に問題になっている公的な芸術支援および芸術振興の政策に着眼し、「韓流」と「クール・ジャパン(Cool Japan)」という事例を取り上げて、比較検討した。特にグローバル化の中の地域性、国家ブランドの問題にも関心を抱き考察していた。
韓国では、政治体制の変化によって、文化振興の担当が文化体育部から文化体育観光部へと移ることによって、海外に於ける「韓流」ブームを加速することになった。それに対し、日本政府の経済産業省が出した「クール・ジャパン(Cool Japan)」の政策も日本の文化を海外へ向けて発信する方針と考えられる。発表者が指摘されたように、この両国に於ける対外的な文化輸出・振興の政策が、一体どのような「文化」を支援しているのかという問題も考えないといけない。少なくともそれらは伝統文化ではない。さらにまた「文化を消費する」という概念や文化消費の政治的参与の側面にも十分な配慮が要ると指摘した。
さらに国家(政府)、観客、市場(芸術創作者)という三者の関係性も問いかけた。ガバナンス(governance)という言葉を用い、資本主義的な市民社会にあって、政府の政策と市場が、どれほど大きな影響を芸術文化に及ぼすかという内容も提示した。その上で、文化、とくに舞台芸術の消費行為が観客の意見を反映するかどうかという問題点も示した。発表者は、主として観客のフィードバック・システムを追求していたが、報告者は、国家と市場の関係性や市場から観客への影響も考慮・考量すべきと考える。
質疑応答の時間に文部科学省の政策との異同や韓流に対する韓国国民自身の意識問題などに関して質問・意見があり、会場の来聴者が、日本と韓国の文化政策に関心を寄せていることも見えた。
発表者は今後新聞等公開資料による調査や政策の変遷と実施状況をまとめるという課題をあげた。大変な課題と思うが、社会的な階層やジェンダー等の観点を組み込んだ精緻な分析や解釈を期待したい。その意味でも、今後はより一層、歴史的な意識や経緯を踏まえた上で、新たな文化政策の提言を期待している。
発表② アルフレッド・リヒトヴァルク-文化政策としての芸術教育
発表:東亜大学 清永修全
報告:九州大学大学院博士課程後期 大山智徳
アルフレッド・リヒトヴァルク。恥ずかしながら私は彼の名を全く知らなかった。長いドイツ留学から帰国され、15年ぶりにお会いした発表者は聴衆のさまざまな反応に気配りされておられ、日本語に訳しにくい概念をわかりやすく翻訳されながらリヒトヴァルクについて独特のリズムで紹介してくださった。特にある概念の翻訳をめぐる思考の闘争を同時進行で聴けた私にはとても新鮮で貴重な体験だった。翻訳の困難さは表題の副題となっている「文化政策」から始まる。詳細は論文にされるときに「註」として展開されると思うが"Kulturpolitik"を「文化政策」と訳されながら"Kulturpolitker"をどのように訳せばよいか、との問題を提示される。次に彼の芸術活動を紹介された。さらに「芸術教育会議」と「ドイツ芸術百年展」における役割についても歴史的な背景と併せて重層的に紹介された。そして彼のキーワード"Volk"を「国民」と翻訳するにあたり、言語共同体、知能共同体、政治的意志、エスニックと候補をあげながら微妙な違和感を提示され、ドイツ固有の歴史的経緯があるとの認識の上であえて「国民」と訳されたようだ。この概念-国民-に向かって芸術教育の重要性を考えたリヒトヴァルクに焦点があてられる。そこには芸術教育を通じて文化共同体として初めて獲得される国民の成立への強い意志が感じられた。そして彼はモダニストでありながら同時にナショナルな共同体をも併せ持つアンビバァレンツ(両義性)な性質を兼ね備えた人物と結論された。フロアーから"Volk"は国民というより民族概念に近いのではないか等との活発な質疑応答がなされ、"Volk"翻訳語の議論にまで展開されたが時間の制約上打ち止めとなった。ぜひとも、論文にされて会場に参加できなかった会員一人にでも多く読んでいただきたいと思う。今後のますますのご活躍を祈念したい。
発表③ 19世紀初期のパリ音楽院における対位法―諸対位法の理論対立をめぐって―
発表:お茶の水女子大学大学院研究院 研究員 大迫知佳子
報告:広島大学 上野仁
高度な教育水準を要請する音楽学校には、その学校独自のバイブル的教科書がある。たとえば大学の作曲科に入学したい音大受験生にとって、和声学の基礎を習得するうえでの必読書(だと言われている)に、通称「芸大和声」(正式には『和声 理論と実習』)と呼ばれるものがある。これはもともと東京藝術大学で和声学の理論を集団的に学ばせるための教科書だった。50年ほど前に出版されたこの本は、いまでも広く読まれており、そしてさまざまに異論・解釈が交わされてもいる。
今回大迫知佳子氏が発表の題材にしたのは、フランスの音楽学校の総本山、パリ音楽院における19世紀初頭に出版された理論教科書をめぐるものであった。当時パリ音楽院では、作曲の教育課程において書法を体系化する試みがなされていた。氏の発表の概観は、先行研究における「厳格な規則を重んじたケルビーニ、フェティス理論 対 自由な発想を要請するレイハ理論」という対立図式は、実はあまりに単純化されたもので、詳細を調べればかなりの混沌状態にあったのでは、というものである。それを証明するために氏は、ケルビーニ(1760~1842、イタリア出身の作曲家、1822年に音楽院院長)、フェティス(1784~1871、ベルギー出身の作曲家、1821年に音楽院教授)、レイハ(1770~1836、チェコ出身の作曲家、1817年に音楽院教授)、3人の対位法・和声教育をめぐる見解の相違の詳細――対位法と和声の関係、単純対位法と二重対位法の扱い、二声および三声以上の単純対位法など――に立ち入る。
細かい事例は氏の論考にゆずるとして、氏の終着点を明記しておこう。まずは「現在絶対的なひとつのモデルであり、かつ、別々のものとして存在する対位法・和声理論が、19世紀初頭フランスにおける体系化の黎明期に、どのような混沌とした状態にあったのか」の記述、そして「その混沌とは、旧い時代の音楽への希求と、19世紀当時の音楽への肯定を折衷しようとする表れではないか」という仮説の証明である。今回の発表は主にその前半部であったが、聞く限り十分達成されたという印象を受ける。欲を言えば、そうした当地・当時の局所的出来事の、近隣諸国の書法認識という横軸、あるいは史的変遷という縦軸への力関係についてもうかがってみたい。ルネッサンスから現代まで長い歴史性をもつ対位法であるが、氏の研究がその過程認識に一石を投じることを期待したい。
発表④ 夜雨の美学
発表:広島大学 青木孝夫
報告:広島市立大学 関村誠
東アジアでは、伝統的に、美的な鑑賞対象としての自然の風景には「気象」が含まれており、その歴史は中国古典文学や山水図などに遡ることができる。青木先生によれば、「夜雨の美学」は、現代の私たちの日常生活にまで浸透している美意識だが、それは東洋の伝統を背景に、特に、日本の中世・近世の文学や絵画に受け継がれながら変容し、さらには近代文学にもその系譜が指摘できるという。
「夜」や「雨」は情緒的に捉えられがちなイメージがあるが、「夜雨の美学」は、実は、観念的な美意識でもある。日本の中世の和歌では、雨夜に見ることの叶わない「明月」への思慕を「夜雨」によって逆説的に際だたせるというイメージの知的な操作が前提となっている。直接的に思慕の対象を表すよりも「隠す・朧にする」ということで一層その存在を顕在化させるという非常に洗練された文学的なレトリックにもとづく美意識である。
ところで、和菓子の名称や、現代でもなじみ深い広重の浮世絵などの身近な例証を用いて、親しみやすい話題からより深く重厚な内容に踏み込む青木先生の御発表は、多くの参加者に共感されるものであったであろう。お二人の参加者から質問があり、活気のある研究発表であった。
現代に生きる私たちには、しばしば伝統的な文化や生活は次第に縁遠くなってきたように感じられそうだが、意識下深くに流れる水脈のごとく歴史的に共有してきた美意識が存在するのだと改めて教えられる思いがした。
●寄稿
東広島市現代美術プログラム2012宇山DNAを終えて
大成 大輔
この9月に私は東広島市教育委員会が主催する企画展「東広島市現代美術プログラム宇山DNA」に出品させて頂きました。この企画展は約三年に一回の間隔で開催されており、内容は東広島市内に点在する古くから在る町並みやお寺などを舞台に現代の作家の作品を展示し、その地域の更なる活性化を図るというものでした。今回の展示は東広島市河内町の宇山という山奥の地域が会場でしたが、以前は白市、安芸津、志和堀といったいずれも宇山同様に東広島市内の趣のある場所で開催されました。私は白市以外の全ての場所で参加させて頂きましたが、毎回野外展示の難しさを痛感させられます。
さて、展覧会タイトル内の「DNA」とは遺伝子の事です。つまりその土地における遺伝子ということで、これが全く難しい事柄なのですが、私なりの解釈ではその地域の歴史や代々宇山で生活してこられた方々の営みが「遺伝子」という言葉に置き換えられ、作家はその歴史を連想させる様な作品を制作する。ということなのだと考えておりました。
私は宇山という場所にこの度初めて訪れたのですが、一言、ここも東広島市なのかと驚きました。高い山々に囲まれた迷子になりそうな場所で、住民の方々はこの大自然に隔離された様な所でどうやって生活できるのか不思議に感じました。信号も、自動販売機さえ見当たりません。やはりご高齢の方が多い地域のようでしたが、子供の居ない廃校になった学校はそば屋として活用され、賑わいを取り戻しており、その他ぶどう販売などを頑張る宇山の方々の活力に感動致しました。
出品者は毎回20名弱ですが、どの作家さんも現在活躍中の人達ばかりです。絵を描くことが好きで美術の世界に入り込んだ私ですが、多くの出会いの中で次第に作品を取り巻く空間に興味を持ち、立体作品に憧れを抱きました。そしておのずと野外での展示が多くなっていったのですが展示場所が古い重厚な蔵にしても高い場所にある神社にしても単に作品を据えただけでは背景に飲み込まれ、逆に作品が無いほうがよっぽど良いのではないかと感じてしまいます。ではどのような作品を制作し宇山に展示すれば良いのか?宇山DNAに関連する作品をと考えるのですが全く思い浮かばず、最終的には選んだ場所のロケーションと作品が色合い的にマッチすることや、古びたような質感に似合う様に制作してしまいます。良くも悪くも無いと思うのですが、さほど面白くもなく、展覧会コンセプトには沿ってないのだろうと痛感します。そもそも「現代美術」というものを冠に掲げられると返ってややこしく感じます。このように悩んでいても仕方が無いので私は宇山の歴史や地域性というのは調べず、DNA、私自身の人生の変動を作品としました。私の人生の歴史はまだまだ浅いのですが、それでも描き続けてきた日々の中には生活があり、喜怒哀楽があり、環境の変化により大きな心構えに変動もありました。作品題目を「巡り」とし、私の制作に於ける心の変化を宇山の山奥に展開したつもりです。展覧会自体は盛況で、3000人を超える来観者があった様子です。また、当展覧会には広島芸術学会の会員が数名参加されており、陶芸家の鳥谷部圭子さんは陶作品で独特の個性を発揮しておられました。このDNAという企画で私は非常に心に残る体験をさせて頂きました。
●寄稿
私 的 五 輪 観 戦
袁 葉
(一)
「中国チームと日本チームが戦うとしたら、どっちを応援しますか」という、日本の友人からの直球な質問に、ドキッとした。ロンドン五輪開幕の翌日のこと。中国人の私ではあるが、日本人と結婚し、国籍は日本。しかも、日本での生活は、ずいぶんと長い… さすがに、すぐには答えられない。返事がわりに、こんなエピソードを紹介した。
94年、広島で「アジア競技大会」が開催された。その頃私は、地元のテレビ局の番組で、レギュラー・コメンテーターを務めていた。
「さて袁葉さん、中国は強いですね。金メダルの数が、2位の日本と倍も違います」と司会者。
「でも、私はむしろ日本の方が強いと思います」
「えっ、というと?」
「だって、中国の人口は日本の十倍もありますので、金メダルの数は10倍だったら、ようやく日本と同じぐらいの強さになるでしょう?」
「はぁ、そういう見方もあるんですね。なんだか嬉しくなっちゃった」
「それと、日本選手は中国選手より、なんとなく純粋にスポーツをやっているような感じがします。例えば金メダルのご褒美で、日本では300万円ぐらいの賞金だと聞いていますが、中国ときたら一軒家ですよ。ましてオリンピックとなると、それはもう…!」
「えーっ? ナルホド!」
・・・・・・
真顔で聞いている友人に、続けてこう言った。
「ただ、日本選手がアフリカの選手と対戦する時は、つい、そっちを応援してしまうんです」
それにしても、中国では79年から「一人っ子政策」を始めたため、今世紀に入ってからは、選手のほとんどが一人っ子となっている。小皇帝のように過保護に育ったと言われるこの世代だが、金メダルの獲得は、北京五輪では1位、ロンドン五輪では2位という好成績を収めた。心より、彼らに拍手を送りたい。
(二)
暗闇の中、無数の炎がまるで咲いている花のようだ。やがて「花びら」が閉じ始め、ついには「つぼみ」となり、一本の大きな松明と化した ―聖火誕生の瞬間だ。
ロンドン五輪の点火の大役は、7人の十代の若者が担った。まるで未来へのバトンタッチを連想させると思いつつ、北京五輪の時のシーンが目に蘇ってきた。
・・・・・・
「さあ、最終ランナーは誰でしょう?」と、中継するアナウンサーの興奮した声。
「えっ、この人誰ですか?」と、別のアナウンサー。
登場したのは、ごく普通の50代くらいのオジサンだったのだ。
あっ 李寧さんだ。懐かしーい!
84年のロス五輪で、金3個、銀2個、銅1個のメダルを獲得した人で、中国では「史無前例」だ。
この人選はとても中国的だ。つまり、「滴水之恩、当湧泉相報」(たとえ一滴の水の恩であっても、湧き出る泉のように報いなければならない)という諺どおりの、恩返しの精神だ。
そういえば今年、中国四川大地震からまる4年が経ち、6月13日に日本のレスキュー隊が四川省に招待された。余震が続く中、外国から一番乗りした例のチームだ。遺体を前に黙祷する真摯な姿は、中国全土に感動を与えたのである。
さらに遡って、92年8月、日中国交正常化20周年に当たり、中国政府は田中角栄元首相を国賓として招待した。田中さんの乗った車は、街角で歓迎する北京市民に囲まれるというハプニングに遇った。脳梗塞を患う田中さんが車からどうにか体を乗り出すと、大きな拍手と歓声が湧いた。そして、何かを述べようと努めるが、言葉が出てこないもどかしさに、涙が頬をつたった。そして、見ていた中国人も…。
「吃水不忘打井人」(水を飲む時、井戸を掘った人の恩を忘れてはいけない)
アンケートによると、日中の国交正常化に尽力した田中さんは、中国人の一番好きな日本人である。
(三)
水上に次々と花が開くように見えるのは、シンクロだ。演技を披露した中国人選手は、日本人コーチから満面の笑顔で迎えられた。
元日本代表ヘッドコーチの井村雅代さんが就任してから、中国チームの活躍ぶりは目を見張るものだ。しかし、残念ながら日本チームはメダルが遠のいている。
日本に対して申し訳ないような気持ちだ。井村コーチのことを、日本人はどう思っているのか? 知りたいような、知りたくないような心境だ。
ふと、北京五輪の女子バレーボール、中国対アメリカ戦を思い出した。なんと、アメリカチームの監督は郎平さんだった。中国女子バレーが80年代に、ロス五輪での金メダルほか、世界三大大会で5連覇を果たした時のアタッカーで、国民的英雄である。
その彼女が、アメリカの選手たちに英語でテキパキと指示を出したり、フルセットの熱戦を制し、選手と抱き合って喜びに浸る…。そんな姿を目にして、悔しいような、淋しいような、何とも言えない気持ちだった。
しかし、郎平監督にしても井村コーチにしても、内心どれほどの重圧や葛藤と闘っていたか、私の想像を遙かに超えているだろう。一方、郎平監督はアメリカ人に、井村コーチは中国人に信頼され、感謝されているはずだ。二人はまるで、中米、日中の親善大使のような存在となっている。そして、卓球の銀メダリスト福原愛ちゃんも、中国で積んできた経験を、今回の五輪で見事に開花させた。試合中、愛ちゃんを応援する中国語の掛け声が、今でも耳にこだまする。
結局、純粋なスポーツマンシップに基づく戦いは、国境を越えた人類の友好交流なのだ。
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平成24年度総会・第26回大会 報告
【総会】
平成24年度総会は以下のとおり行われた。
・開催日時:平成24年7月21日(土)午前9時30分?午前10時20分
・場所 :ひろしま美術館地階 講堂
・次第
1 開会のことば 大橋啓一事務局長
2 会長挨拶 金田晉会長
3 議長選出 松田弘氏を議長に選出した。
4 議事
(1)
第1号議案 平成23年度事業報告並びに決算報告の承認について
大橋事務局長から資料にもとづく説明、続いて原田佳子監査から監査報告があり、審議の結果、これを承認した。
(2)
第2号議案 平成24年度事業計画並びに予算案の承認について
まず大橋事務局長から資料にもとづく説明があった。会員から「会費収入の見積もりが少ないのではないか」との質問があり、事務局長から「実績に基づく積算である」旨説明があり、会員からは「今後会費収入の増加策をとるべき」との意見が出された。その後、審議の結果、平成24年度事業計画並びに予算案を承認した。
(3)
第3号議案 次期会長が指名する委員(5名)並びに監査(2名)の承認について
指名委員として伊藤由紀子氏、木村成代氏、一鍬田徹氏、船田奇岑氏、古谷可由氏を、監事として竹澤雄三氏、松田弘氏の選出を承認した。
(4)
第4号議案 会則の改正について
広島芸術学会会則の附則中、(事務局)の「1 本会則第12条第1項に規定する事務局は、本部を広島大学大学院総合科学研究科人間文化研究講座内(東広島市鏡山1-7-1)に置き、事務局をひろしま美術研究所内(広島市南区的場町1-8-15)に置く。」を、「1 本会則第12条第1項に規定する事務局は、広島大学大学院総合科学研究科人間文化研究講座内(東広島市鏡山1-7-1)に置く。」に改め、また、「(発行日等)」の末尾に、「平成24年7月21日一部改正。」を追記することを承認した。
5 次期会長挨拶 青木孝夫次期会長
6 閉会のことば 大橋事務局長から会員に向け、これまでの協力への謝辞と閉会のことばが述べられた。
【大会(研究発表・シンポジウム)】
総会に引き続き、4件の研究発表およびシンポジウムが行われた。(詳細は、本会報 2頁~4頁の通り)
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─事務局からのお知らせ─
・今年度、事務局が大きく変わりました。上の会則の変更にもありますとおり、本部と事務局が広島大学の方にまとまり、メンバーもこれまで長きにわたり円滑な運営の実務を担ってこられた大橋、倉橋、米門各氏から未経験者ばかりになりました。しばらくの間は会員諸氏にご迷惑をおかけすることが多いと思いますが、ご寛容の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
・今年度会費の納入をお願いいたします。学会運営が会費収入を基盤として成り立っていることをご理解下さい。(今回、既に納入された会員にも払込用紙を同封しています。その際はご放念ください。)
・今後、事務局へのご連絡は封筒表に記載の事務局あるいは082-424-7139、Eメール:storu@hiroshima-u.ac.jp へお願いいたします。 (事務局長・菅村 亨、事務局員・上野 仁、事務局員・小林弘樹)
─会報について─
皆様お気付きのとおり、今号より会報紙面がA4サイズへと変更になりました。今後は1年内を目処に内容面についてもリニューアルを図るべく、新しく設置された下記会報部会のメンバーを中心に検討を行っていきます。次号より掲載に一定の基準を設けつつ、同時に従来より幅広い内容の記事による会報を目指しています。詳細については、今後、随時紙上でお知らせしていきます。会報編集未経験のメンバーゆえ、ご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが、どうぞよろしくご理解、ご協力のほどお願い申し上げます。(会報部会長・馬場有里子、会報部会委員・伊藤由紀子、大井健地、木村成代、古谷可由)
研究発表募集
本学会は、随時、研究発表を募集しています。研究発表申し込み手順については、下記をご参照ください。
(1)研究発表主題、600字程度の発表要旨に、氏名、連絡先、所属ないし研究歴等を明記の上、事務局宛て、郵送またはE-mailにて、お申し込みください。
(2)委員会で研究発表の主題および要旨を審査の上、発表を依頼します。
なお、発表が承認された研究については、発表申し込み順の発表となります。ただし類似の発表主題で一つのテーマを組んで例会等を構成することがあるため、場合によっては、発表順序が前後することもあります。あらかじめ、いつ開催の例会、あるいは大会で、発表するかを希望することができますが、以上の理由で、ご要望に応えることができるとは限りません。今回、募集します研究発表は、来年3月(または2月)の例会、および7月後半の大会、および9月の例会です。日程は、決まり次第、会報・ホームページ等でお知らせいたします。
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