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                                            広島芸術学会会報 第120号

 

 

● 巻頭言

百島の現代アート

谷藤史彦(ふくやま美術館学芸課長)

  先日、尾道市の百島(ももしま)という島に行ってきた。

  医師と看護師、事務長の3人が「百島診療所」を設立し、島内での診療とともにプレジャーボートを使って近隣の諸島部への訪問診療活動をしているということで、テレビに取り上げられ、話題となった島であった。今度は、柳幸典が美術活動の拠点地「ART BASE 百島」をつくり、展覧会をプロデュースしたということでも話題になり、出かけることにした。

 それまで百島の位置を地図で確認するようなこともなかったが、行ってみると福山市の常石港からフェリーで10分と意外に近かったことに驚いた。降り立ったのは福田港という小さな港で、ここからは対岸の常石造船の大きなドッグがすぐそこに見えていた。この辺りの瀬戸内の海は、海というというよりは、大きな運河とでも言った方がよいのかもしれない。港から会場方向に歩いていくと海が見えなくなり、周囲が山だけに囲まれるようになり、離島にいるという感覚はなくなる。しばらく坂を上っていくと小さな神社があり、その境内を通り抜けた丘の中腹に廃校となった旧百島中学校校舎があった。校舎は鉄筋コンクリート3階建で、その中央部に入口があり、その2階部分の外壁に「ART BASE」と大きく書かれていた。ここが、柳と多くの協働者たちとが整備を進めてきた現代アートの拠点。中学校の登り口の壁に、この場所は「真剣な遊びの前線基地だ」という文章が英文で書かれていた。私たち、観客の立場で考えると、ここは見て楽しむ場所でもある。

 今回の展示で、もっとも見たかったのは、なんといっても原口典之の「オイル・プール」と柳幸典の「アント・ファーム」であった。

 1階西南「A」という掃出し窓からまぶしいほど光の差し込む部屋に入ると、「オイル・プール」が、外の空と剥き出し天井を映しながら、美しく立ち現われてきた。目測で6m四方、深さ15㎝ほどの厚い鉄板のプールに廃油が満たされたものである。強烈ではないが油の臭いが部屋に充満していた。「オイル・プール」は美術館展示室など閉じた空間で何度か目にしたが、ここの開放感は格別で、今までで最も美しい。その鉄と油の圧倒的な物量と、油面の表面張力による静かな鏡面とが、明るい空間に緊張感を与えていた。

 一方、「アント・ファーム」は、1階中央部「E」という縦長の部屋に展示されていた。目測で高さ3m、幅8mほどの壁一面に、縦7列、横13列の国旗が並ぶ。国旗は縦20㎝、横40㎝、厚さ2㎝ほどのプラスチック・ボックスに着色した砂を詰めて制作されたもの。これを各10㎝ほどの間隔で壁に固定し、各々をプラスチック・チューブで連結し、蟻を入れる。蟻は、習性で国旗の砂の中に巣穴を掘り進み、浸食し、チューブを伝って、次々と別の国旗にも巣穴を掘っていく。蟻が往来すればするほど、国旗が浸食されていく仕組みである。作品は《ユーラシア》と題され、ユーラシア大陸の91ヵ国の国旗が並ぶ。たとえば日本は、韓国、台湾、ラオス、ベトナム、フィリピンに囲まれる。その並び方の関係を詮索することにあまり意味はないのだろうが、領土問題が報道される現代においては、多くのことを考えさせるものである。

 ここ「ART BASE 百島」にはそのほか柳の600本のドラム缶を用いたインスタレーションなどの作品3点、そして4人と1組による5点の作品が展示された。さらに島内4カ所を回遊できるように、3人と1組の4点の作品が展示されていた。

 私が訪れたのは平日であったが、ぼつぼつと途切れることなく観客が来ていた。人口580人の島に、オープニングの日にはその人口ほどの人が集まり、結構にぎわったという。この「ART BASE 百島」を拠点に柳幸典という作家はどのように活動していくのだろうか。今後が楽しみである。

 

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100回例会報告

講演会:環境を哲学する者(エコゾフ)としてのアーティスト

講演者:パスカル・ボース(Pascal Beausse)(美術評論家、キュレーター)

通訳:河本真理(広島大学)

 

 

報告①                   伊藤由紀子(クリエイティヴ・ユニオン・ヒロシマ)

 

  2012113日午後3時よりNSAnoborimachi space of art)で講演会は行われた。参加者は約30名であった。

  河本真理氏の素晴らしい通訳で、非常に解り易く解説されたレクチャーであった。又会場であるNSAも鈴木たかし氏の御好意で貸して頂き、普段は画廊スペースであるところが、緊張感のある講演会スペースとして使用できた。

  講演内容については、作家Maria Thereza Alves, Teresa Margollesの作品画像を見ながらの解説、考察であった。最新の作家情報、またその作家の論考を知る事ができる良い機会であった。

  ルネサンス期がそうであったように、アートはサイエンスであるという事を今レクチャーで再確認できた事は私にとって大変な刺激となった。

  この講演会が例会100回目の記念すべき会となり、皆様の御協力のもとに実行出来た事を、また今の最新のアートの風を広島へ吹き込んだ、Beausse氏に感謝致します。

 

 

    

 

 

 

報告②                                                   樋口 聡広島大学

 

  パスカル・ボース氏の講演には、二つの焦点があった。一つは、マリア・テレサ・アルベス、テレサ・マルゴレスといったアーティストの作品の紹介と解釈、もう一つは、講演のタイトルに含まれている「エコゾフ」をめぐる議論である。両者を結び付けることが講演の趣旨であったが、その両者の関係に私は興味を持ち、それについて質問もした。

 アーティストをエコゾフという哲学者と捉えるボース氏の講演の理論的背景は、フェリックス・ガタリのエコゾフィである。ボース氏の発表を聞きながら、私は、20年近く前に読んだガタリの『三つのエコロジー』(杉村昌昭訳、大村書店、1993年)と、15人の論者で編んだ『芸術文化のエコロジー』(斎藤稔編、勁草書房、1995年)を思い出していた。

 改めてガタリの『三つのエコロジー』を見てみると、芸術家についての言及がある。芸術は、古来、どんな社会でも重要な役割を果たしていたが、芸術が専門的な業者団体の手で左右されるようになってから、魂の付録のような副次的なもの、いわば脆弱な上部構造として、次から次へと死滅していくことを宣告されたと、ガタリは述べている(162頁)。「環境」「社会的諸関係」「人間的主観性」という三つの領域へのエコロジーの拡張、自然愛好家と結び付けられるエコロジーのイメージとの決別(44頁)、といったガタリの発言を受け止めてみると、ランドスケープ・アートなどとも関連する新しい現代アートの称揚・喧伝などとは全く違ったところに、エコゾフィとしてのアートは位置づけられなければならないだろう。ガタリのエコゾフィは、世界・他者・自己との対話的実践としての学び論(樋口聡・山内規嗣『教育の思想と原理』協同出版、2012年、134-163頁)と通底するし、クラスを一つの芸術作品と捉えて学校の問題にガタリが言及している(『三つのエコロジー』、167頁)ことは、私にとってまことに興味深い。

 講演会では、上記の二人のアーティストの作品をめぐって質疑応答がなされた。ポスト・コロニアルな視点やミニマル・アートへの批判・脱構築といった論点をめぐって、興味深いやりとりがなされた。アーティストたちの試みはボース氏によって解釈・説明・擁護されたが、ここで展開されたような質問・疑問・批評に応答しつつ自らの思想を紡ぎ出し次の作品に向かって行ける人こそが、エコゾフとしてのアーティストたりうるのではないか。そのような思いを持ち、ガタリの哲学への再訪を強く促されたというのが、本講演で私が得たことであった。

 

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● 広島芸術学会25年をふりかえって

大橋啓一(デザイン・ひろしま美術研究所)

 

 先日、久しぶりに昔の手帳を引っ張り出し、25年前の学会の設立総会の前後の事を思い起こして見た。設立総会は、会報第1号や「芸術研究」創刊号にも掲載されているように、1987年(昭和62718日(土)に行われた。会場は広島県立美術館講堂で大会も行った。当日の事は後ほど述べるとして、設立の経緯について手帳のメモを紐解きながら、見るに、実は設立の数年前から「草思会」という会があり、メンバーには経営者・医者・画廊主・アマチュア画家・等美術愛好家ら十数人の異業種の人たちが集っていた。「草思会」は年に2~3回会合を持ちグループ展を開催していた。そのメンバーの中心に金田晉先生の存在があり、私も一メンバーとして参加していた。

そのころから金田先生は、市民を巻き込んだ研究会を思索していたのではないかと、私は思っている。

 突然、設立総会の2か月前の530日(土)1730に、星ビルの3階に召集がかかった。私はその時、初めて芸術学会準備会の会合と知らされた。集まったメンバーは私のメモによると、香川不苦三、金田晉、松本真、斎藤稔、水田一征、水島裕雅、幣原映智、寺本泰輔、原田佳子、杉本俊多、倉橋清方、大井健地、その他数名と私であったと思う(参加者の確証はない)。その準備会で研究会の趣旨等が協議され、718日の総会へと繋がったのだ。                  

なぜか私はその時、専門がデザインなので、八田典子さんと会報を担当することとなった。その後は7月の総会までに週に23度は、金田先生や八田さん等と打ち合わせをした記録がある。それが事務局長としての長い道のりの始まりとなったようだ。

 718日の総会では会の名称は「広島芸術学研究会」と決まり約60名が集まり、設立趣旨、会則、役員、活動方針などが審議決定された。代表委員には金田晉先生が就任された。年1回の総会・大会、4回の例会、5回の会報の発行、年報「芸術研究」の発刊が決められた。

当日、来賓として山本正男先生(当時―日本学術会議芸術研連代表委員・美学会代表委員・前東京芸術大学長・現沖縄芸術大学長)をお招きしてご挨拶をお願いした。山本先生は、研究会発足にあたり、二つのことを話された事を覚えている。

一つは「学術文化がいわゆる中央集中という時代が終わりつつあり、地域文化が、自発的な主体的な活動を興しつつあるという事」、もう一つは「芸術諸分野が、ジャンルをこえて広くかかわりを持つ、共通な哲学の根を持つということは非常に必要なことではないかと、つくづく感じている」と言われた。つづいて山本先生は、この研究会の趣旨に賛同され、「志した道を己を曲げずに貫いていただきたい」と励ましの言葉をいただいた。

それから6年後、1992年(平成4)の総会にて、広島芸術学研究会は広島芸術学会と名称変更した。これを機に財政的基盤を確立するために法人会員制度を追加した。数社の法人会員の入会は、大変心強いものとなり今でも感謝している。

学会も26年目に入りました。25年間、金田晉会長のもと事務局長を務めさせていただきました。ひとえに会員の皆様のご助言、ご協力のお陰と感謝いたしております。新生広島芸術学会として、青木孝夫新会長のもと、新鮮なスタッフで、以前にもまして活力のある学会として、発展、飛躍されることを期待したい。

 

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● 出会いに感謝!

 米門 公子(広島芸術学会事務局員)

 

  先日第100回記念例会を開催されたとのこと、おめでとうございます!!

  さて、いつ頃から広島芸術学会事務局の仕事に携わらせていただいたのだろうかと、会報のバックナンバーを調べてみましたら、19921010日開催の第21回例会からでした。20年もの長い年月、学会内外のさまざまな方にお会いし、本当にお世話になりました。誌上からではありますが、心からお礼申し上げます。

  きっかけは金田晉先生が東広島市の公民館で主宰しておられた講座「美術の世界」でした。講義内容はレベルが高く、私にはとても難解でしたが、終了後のティータイムが愉しくて通っていたように思います。ある時、私がワープロで作成した受講生の名簿をご覧になった金田先生が、「広島芸術学会の事務局員にどうだろうか」と受講生の先輩であり、学会の会員だった井野口慧子さんに相談されたようでした。

  当時(今もですが)私は、ITCInternational Training in Communication)という会に所属していました。ITCは1938年に米国で設立された女性のための教育組織で、リーダーシップやコミュニケーション力などを身に付けながら自己の可能性を向上させ、社会で役立つ女性に成長することを活動の目的としています。金田先生からお話があった時、ITCでの学びを実践できるかもしれないと、お受けしました。学会の事務局が置かれている広島大学が母校であるという気安さもあったのかもしれませんが、学会の成り立ちも活動も何も知らないままでしたので、今振り返ると、冷や汗ものです。そんな私を、大らかな大橋啓一事務局長や今では立派な社会人になっておられる院生の大石和久さんや清永修全さんたちが随分助けてくださいました。

  学会には研究者、作家、市民の方々が入会しておられます。ジャンルが異なるというような違いではなく、日頃はまったく別なことをされている人々が同じ会に所属するという、これほどユニークな会はほかには無いのではないでしょうか。それ故、学会を構成しておられる人材が多彩で、主婦では言うまでもなく、たとえ職業に就いていたとしても考えられないほど、さまざまな方にお会いすることができ、お話しする機会に恵まれたのは、60数年におよぶ私の人生の中で宝物といえる20年だったと、深く感謝しております。

  最後にこれからの学会への期待です。「研究者、作家、市民という三者の思いが見事に融合した例会ってどんな風だろう」と、事務作業をしながらいつも夢見ていました。新体制の学会で、こんな例会をいつか実現してくださることを願っております。   

  何はともあれ、第100回記念例会の開催、おめでとうございます。

 

 

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● 美術館レポート

海外美術館事情~アムステルダム編

古谷可由(公益財団法人ひろしま美術館学芸員)

 

  今秋リニューアルオープンしたアムステルダム市立美術館に行ってきた。約10年にもおよぶ改装期間を経ての再オープンであった。この間、何度かアムステルダムを訪れたが、隣のゴッホ美術館に人だかりの行列ができているのとは対象的に、(建物自体古いものであったが)廃墟のような様相を呈していた。いつになっても工事すらはじまらない様子に、市民の間でももう再オープンできないのではないかとまで噂されていたという。ちなみに、ほぼ同じ頃、すぐ近くのアムステルダム国立美術館も改修工事に入った。こちらは、同じ建物内で(場所を変えながら)ハイライト展示していたので、たとえば有名なレンブラントの《夜警》などは見ることができたが、展示室の規模は通常の10分の1程度であった。この間のアムステルダムの美術館事情を、市立美術館の着任したばからの若い学芸員が教えたくれた。彼女は、大学院を出てすぐの就職であったが、自分たちの世代は、学生時代、本物に触れる機会が極端に少なかった、つまり学芸員になってはじめてそのコレクションの全貌を知ったと笑っていた。

  そのアムステルダム市立美術館が再オープンした。それと入れ替わって全面改修に入ったとなりのゴッホ美術館とまったく逆の立場となったわけである。このゴッホ美術館の作品は、同じアムステルダムにあるエルミタージュ美術館分館の展示室を借りて部分公開しているが、やはりその規模はかなり少ない。当の市立美術館は、古い建物を残しつつ、新しい入口を設けた形になり、増築部分を見るといかにもモダンな形で、また今年計画されている特別展のラインナップをみても、いよいよ現代に特化した美術館を目指すのかと思われた。来年フルオープンが決まっているという国立美術館が17世紀のオールドマスターを、ゴッホ美術館がゴッホを中心にした近代の作品を、そして同じミュージアムプラン(美術館公園)の中にある市立美術館が、ニューヨークのMOMAか、パリのポンピドゥーセンターと同じように現代美術を専門に扱っていくようになるのかと想像しながら、その美術館の前に立った。

  まず驚いたのは、(平日にも拘らず)行列ができていたことである。確かに約10年ぶりの再オープンである。それにしても、「現代美術」がこれほどの人でいっぱいになるのかと、あらためて日本との違いを思った。しかし、中に入ってようやく理解できた。確かに、全体からすると現代美術と俗に言われるインスタレーションを中心にした作品群とデザイン系の作品の量が圧倒的に多い。それでも、私の記憶にあった近代でも比較的古いところ、つまりゴッホを含めた印象派やレアリスムの作家作品群もしっかりと展示してあった。来年2館改装終了時のアムステルダム、ミュージアムプランが、ますます楽しみである。

 

 

    

アムステルダム市立美術館                                           ゴッホ美術館(改装中)

 

 

 

● イベントレポート

CAMERA OBSCURA 6 BEYOND 音と映像の遊戯室

馬場有里子(エリザベト音楽大学)

 

  1122日から25日まで広島市東区民文化センター(スタジオ2+オープンプラザ)で開催されていた企画展示CAMERA OBSCURA 6 BEYONDを訪れた。訪問者が最初に目にするのが、中庭的なスペースのオープンプラザから見える、スタジオ2の大きなガラス窓に設置されたビデオ・インスタレーション。窓は内側からカーテンが閉ざされ、中央に左右対称に並べられた2つのモニターに、同じカーテンの映像が映し出されている。しばらく眺めていると、モニターの中のカーテンはゆるやかに開閉を繰り返し、それによって、「閉じられていながら同時に開かれてもいる境界」という両義的な空間を示唆する。出品者は、今回の展示の企画者でもある的場智美さん(広島芸術学会会員)。

 スタジオ2内は暗室(カメラ・オブスクラ)になっており、まさに「音と映像の遊戯室」を思わせる3作品が展示されていた。堀尾充氏の作品は、積み上げられた箱の中に仕掛けられた「最小限の美術館」を訪問者が覗き込むというもの。作者によるビデオ解説も面白かった。7枚の掛軸を会場に用意されたiPhoneを使って鑑賞する、赤松正行氏(iPhoneアプリ開発でも著名)とスイス人作家アンドレアス・クレッシグ氏による作品(共同制作)は、今の時代ならではのインタラクティブ・アートで、目の前の掛軸の画がiPhoneの画面の中で変容し、重複的なイメージやさらには音が立ち現れてくる。「拡張現実」という語を実感した時間だった。個人的に最も興味深かったのが、松前徹氏によるAUDIO作品。「山手線」「田舎道」など8点の録音をヘッドホンで聴くのだが、その臨場感と人の感覚認知の奥深さに驚かされた。特に「山手線」は、耳から得る車内録音の音情報だけで、(恰も実際の乗車時と同じように)車両の加速・減速や揺れに応じて身体の筋肉が緊張・弛緩し、停車したドアが開くと、流れ込む新鮮な空気までがリアルに感じられてホッとする。面白いのは、それがすべて、あくまで静止した室内での体験という点だ。

 この他、会期中に2回ほど寺内大輔氏(当会会員)とRAKASU PROJECT.による即興演奏ライブもあったのだが、こちらは残念ながら都合がつかなかった。2007年から毎年開催されているこのCAMERA OBSCURAによる企画、これまで迂闊にも知らなかったが、来年はまたぜひ訪れてみようと思っている。

 

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─事務局から会費納入のお願い─

  会費未納の皆様には今年度会費(過年度分がありましたらそれも含めて)の納入をお願いいたします。

  会費は1年度あたり、特別会員1万円、一般会員5千円、学生会員3千円です。学会からお送りしているゆうちょ銀行の払込用紙をお使いいただくと手数料は無料です(学会が負担します)。なお、現在、もう少し分かりやすい払込用紙にするよう検討中です。

  また、広島芸術学会の会計年度は、毎年7月1日から翌年6月30日までになっていますので、ご承知おき下さい。

  会費の納入状況について確認なさりたい場合は事務局にお尋ね下さい。

会費の納入と払込用紙の送付が入れ違いになった場合は、あしからずご了承下さい。

(事務局:082-424-6333または082-424-7139aokit@hiroshima-u.ac.jpまたはstoru@hiroshima-u.ac.jp

 

 

─会報部会からのお知らせ─

 ・会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られていますので、同封ご希望の場合、詳細についてはあらかじめお問い合わせをお願いします。次号の会報は、今のところ2月初旬の発行を予定しています。

・会員の関係する催し等の告知についても、会報への掲載が可能です(今後は、学会ホームページの活用も予定しています)。こちらについても、詳細は下記までお問い合わせ下さい。

                                                                             (会報部会:082-225-8064baba@eum.ac.jp