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広島芸術学会会報 第128号
広島芸術学会第28回総会・大会 案内 日時:2014年7月27日(日)9時30分~16時00分 場所:ひろしま美術館 講堂(広島市中区基町3-2) 《 総会 》 9時30分~10時00分 《 大会 》 10時10分~17時00分 ◆ 研究発表 ①「日本画と洋画のはざまで??知られざる画家三好光志について??」 10時10分~11時00分 向井能成(呉市役所産業部海事歴史科学館学芸課市史編さん係) ②「サイト・スペシフィック彫刻の可能性と課題??日本のアート・プロジェクトを中心に??」 村上祐介(広島大学大学院教育学研究科研究生) 11時10分~12時00分 ― 昼休憩 ― 12時00分~13時00分 ③「ドラクロワの著述にみる文学と絵画」 13時00分~13時50分 西嶋亜美(尾道市立大学) ― 休憩 ― 13時50分~14時30分 ◆ 公開座談会 14時30分~16時00分 テーマ:「芸術におけるメディアとオリジナリティ」 (主催:公益財団法人ひろしま美術館・広島芸術学会) (1)基調発言 高橋 秀(倉敷芸術科学大学名誉教授) 14時35分~15時05分 (2)高橋秀氏および登壇者による議論 15時05分~15時45分 登壇者:谷藤史彦(ふくやま美術館学芸課長) 伊藤由紀子(インデペンダント・キュレーター、現代美術) 司会:古谷可由(ひろしま美術館学芸部長) (3)会場からの質問等 15時45分~16時00分 ※ 終了後、希望者は展覧会「東広島市立美術館所蔵:版-技と美の世界」展をご観覧いただけます。 (会場にて、ひろしま美術館学芸員による解説あり。芸術学会会員は入場無料。終了17時。) ◆ 懇親会 大会終了後、会場の近くで懇親会を予定しています。 ●
大会研究発表要旨 ① 日本画と洋画のはざまで??知られざる画家三好光志について?? 向井能成(呉市役所産業部海事歴史科学館学芸課市史編さん係) 1936(昭和11)年11月22日から26日にかけて、広島産業奨励館(現広島原爆ドーム)において芸州美術協会第1回展が開催された。出品者は靉光、丸木位里、船田玉樹など在京で活動していた広島県出身者からなり、真摯で質の高い大規模な展覧会は当時の広島画壇において大きな話題となった。同会には呉市出身の日本画家としては船田玉樹(以下、玉樹と表記)と三好光志(以下光志と表記)の二人が参加していた。玉樹は2012(平成24)年と翌年に練馬区立美術館と広島県立美術館において開催された大規模な回顧展によって日本美術史上重要な画家として再認識されたが、光志の活動については現存する作品の少なさから殆ど知られていない。本稿では「青龍社唯一のカラリスト」といわれながら、今日では埋もれた存在ともいうべき光志の活動について、玉樹をはじめ芸州美術協会の画家との交流に触れつつ、つぎの6つの項目によって跡づける。1で芸州美術協会同人座談会の抄録を引用し同会の様子を紹介、2で光志と玉樹の洋画から日本画への転向動機の違いと青龍社展での創作動向、3で戦前広島における活動、4で新興美術院への転向と戦時期の創作活動、5で戦後の活動中断と新興美術院への復帰、6で日本画と洋画の枠を超えようとした画家たちの交流について。 ② サイト・スペシフィック彫刻の可能性と課題??日本のアート・プロジェクトを中心に?? 村上祐介(広島大学大学院教育学研究科研究生) 近年、サイト・スペシフィックという概念の下、場と繋がろうとするサイト・スペシフィック・アートと呼ばれる作品が数多く見られるようになっている。そのような作品が積極的に展開されている場の一つに、アート・プロジェクトがある。アート・プロジェクトとは、「鑑賞のための専門文化施設だけでなく、日常的な場で、あるいは自然のなかで、アーティストと様々な人々の参加・協力によって行われる開かれた表現活動」のことで、日本では、1980年代末頃から数を増してきている。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」などの成功は記憶に新しいが、そのような事例が数多くのマスメディアに取り上げられ、何万人もの観客を動員しているという事実は、サイト・スペシフィックな作品が、改めて注目されてきているということに他ならない。 そして、それらのプロジェクトでは多くの立体作品が見られるのが一つの特徴である。中でも、パブリック・スカルプチャーとして公共空間で展示されてきた彫刻は、アート・プロジェクトにおいても依然として場との関係が強く意識されていると思われる。 そこで、本稿では場と密接な関わりを持つ立体作品を、「サイト・スペシフィック彫刻」として捉え直し、彫刻が、今日その展開の場をアート・プロジェクトという新しいムーブメントの中に拡張したことで得た可能性や課題を、その実態を考察することで明らかにしていく。 ③ ドラクロワの著述にみる文学と絵画 西嶋亜美(尾道市立大学) 19世紀半ばのフランスを代表する画家ドラクロワは、精力的に絵画・版画作品を発表するかたわら、書簡、定期刊行物への掲載を意図して書かれた美術評論、そして美術辞典の草稿を含む膨大な「日記」を残した。その中には、多彩な絵画論や、文学と絵画、絵画と演劇、音楽といった諸芸術の関係の議論が含まれ、彼の作品を分析する際の貴重な一次資料となっている。ところが、長く続く「日記」には一貫性を欠く断片的な記述も多いことから、著述それ自体を分析対象としてドラクロワの芸術論を導く研究が、新釈版の日記を編纂したハヌーシュ等によって行われ、「散文」に対する「詩」の優位等が明らかにされてきた*。本発表では、同様に「日記」と美術評論という画家の著述を対象とするが、特に、ドラクロワの絵画・版画作品に「主題」として関連する、あるいは関連する可能性のある文学や演劇作品に対する画家の思考の変遷をたどると共に、絵画と諸芸術の関係についての議論を整理することを目的とする。すなわち、まずは日記中の物語への言及や主題のメモと実際に残された作品とを数え上げてその関連を量的に分析し、そののち、作品の主題文学の作者であるゲーテ、ダンテ、バイロン、そしてシェークスピアら外国の文学者への言及を、関連して触れられる他の視覚芸術や音楽、演劇に目配りしつつ考察する。 *
Michèle Hannoosh, Painting and the
Journal of Eugène Delacroix, Princeton, 1995; Eugène Delacroix, Journal, ed. Michèle
Hannoosh, Paris, 2009. ●
公開座談会:テーマ「芸術におけるメディアとオリジナリティ」 企画内容 版画は、「複製」されることを念頭に、「版」を用いて実行される芸術である。かつては、もっぱら「複製版画」として、オリジナル作品のイメージを広く普及させることを目的につくられた。しかし近代以降、むしろ「版」の美しさ、特性に着目して、独自かつひとつのメディアとして、つまり作家の表現手段のひとつとして「版」が使用されることが一般化した。その際、複製されることは、ひとつの事象に過ぎず、作家は自らの思い(オリジナリティ)をひとつのメディアを使って再生しているに過ぎないとも考えられる。また、もっぱら純粋芸術といわれる油彩画や彫刻であっても、作家の内面にあるなにかを現実のメディアを使って再現している点では同じである。これは、美術といわれる芸術だけでなく、文字というメディアを使った文学、音というメディアを使った音楽においても同じであると考えられる。このような、芸術におけるオリジナリティとメディアの問題を、ひろしま美術館で開催中の特別展「東広島市立美術館所蔵日本近現代版画の一大コレクション展:版―技と美の世界―」にあわせて、世界を舞台に第一線で活躍され、自ら版画をはじめ平面、立体とさまざまなメディアを使われている美術家・高橋秀氏に問いかける。 基調発言:高橋 秀(1930年~ ) 広島県新市町(現福山市)生まれ。 1961年第5回安井賞を受賞。 1963年~2004年、イタリアのローマに滞在。 2011年より倉敷芸術科学大学名誉教授。 絵画作品以外に版画、モニュメント、写真など多角的に制作する。 抽象的な作品ながら、その印象から「エロスの画家」と言われ、簡潔な線とフォルムが特徴。 ● 第107回例会報告 ◇ 美術展関連企画:<風景と絵画>をめぐって 報告:農澤美穂子(広島大学大学院総合科学研究科) 今回の例会は、美術館関連企画:「〈風景と絵画〉をめぐって」と題して、「平木コレクション 美しき日本の風景―川瀬巴水、吉田博を中心に」展が開催された尾道市立美術館において開かれた。展覧会のテーマである「風景」をとりあげ、「風景」とはなにか、それを描くとはどういうことかについて発表が行なわれた。まず、広島女学院大学の末永航氏が、西洋の古代から近代について、風景の擬人化やお国自慢の風景画など、時代の特徴を挙げながら語られた。次に、展覧会に携わられた公益財団法人平木浮世絵美財団主任学芸員の森山悦子氏は、出品作家を中心に、浮世絵の構図の意味や海外で賞賛された版画技法などについて、浮世絵と新版画運動を比較しながら語られた。最後にアーティストの笵叙氏が、自身の風景画の意味や中国の風景画の歴史について語られた。今回の発表は、西洋・日本における類似・相違点や、現在では作家の思想を含ませた作品が出来たことを概観する内容であったと思われる。 質疑応答では、純粋な風景画の定義や、風景画(版画)が求められた理由、版画技法に関しての議論が行なわれた。展覧会が版画の展示でもあったことから、風景画の定義から版画の芸術性にまで及ぶ興味の尽きない議論になった。「絵のような風景」とよく言われるが、それでは逆にその絵である「風景画」とは何なのか。美しい尾道の風景が見渡せる美術館のホールで、改めてそのことについて考えることができた。 ● 劇評 「そっくり」の深淵へ──このしたPosition!!リーディング公演「人間そっくり」を観て── 柿木伸之(広島市立大学国際学部准教授) 安部公房の小説には、最初期の『終わりし道の標べに』以来、同一性の地盤がさらさらと崩れていく地点へ読み手を導くところがある。そこに迷い込んでしまった者は、『砂の女』の主人公をはじめ、いくら足掻いてもその外へ出ることはできない。SF的なタッチの中期の小説『人間そっくり』に登場する放送作家も例外ではない。彼が逢着するのは、自分は地球人なのか、それとも火星人なのか、今地球にいるのか、あるいは火星にいるのか、もはや定かならぬところである。そこに至る過程がどのように舞台上に描き出されるかを楽しみに、本公演を観に出かけた(2014年5月2日、広島市東区民文化センタースタジオ2)。 本公演は、三重の劇団Hi!Position!!で劇作と演出を担当する油田晃が原作の小説を短縮して構成したテクストを、京都の劇団このしたやみの演出家山口浩章が演出した舞台で朗読するかたちで行なわれた。舞台に置かれているのは、少し斜めに三つ並べられた小さな木製のテーブルと椅子のみ。中央のテーブルには地球儀が置かれ、地球の上には火星を象徴する赤い球体がぶら下がっている。三人の俳優は、おおむね椅子に座って、巻き物に書かれたテクストを読み進めていた。 物語は、「こんにちは火星人」というラジオ番組の脚本を手がける放送作家を、その番組のファンで、実は火星から来たと称する男が訪れるところから始まる。その男をあしらおうとした放送作家はやがて、自分は火星人であるとあの手この手で主張するその男の弁舌に振り回され、ついには、先に触れた地球人と火星人の区別がつかない「そっくり」の領域に迷い込んでしまうわけだが、巧みな朗読と時折交えられる演技によって、そこに至る二人の遣り取りにすっかり引き込まれてしまった。 とくに、放送作家と火星人の男が交わす言葉の論理がダイレクトに伝わってきたのは、本公演がリーディングであったことの強みであろう。本来なら差異を分節するはずの論理が「そっくり」の深淵に足を踏み入れてしまうところにこの作品の妙味があろうが、それが存分に発揮されたスリリングな舞台だった。あたかも自分の論理に巻かれるかのように、テクストが書かれた巻き物の紙によって放送作家が縛られていく演出も、作品の仕掛けを視覚化した卓抜なものと思われる。今日ジョルジョ・アガンベンのような思想家によって論じられている「人間」と「非?人間」の閾を開く安部公房の作品の上演可能性を、三重と京都という地域の協働によって見事に示した公演と言えよう。 ● 報告:藝術学関連学会連合会第9回公開シンポジウム 報告:青木孝夫(広島大学) 2014年6月7日(土)、東京国立近代美術館講堂にて、藝術学関連学会連合第9回公開シンポジウムが開催された。藝術系学会15団体が組織している連合(西村清和会長・國學院大学)が、毎年開催しているシンポジウムである。本年度は、「藝術の腐葉土としてのダークサイド」がテーマである。ポスターにはこうある。 「近代的アート観の背後には、近代的な人間観があり、現代的なアートや現象の背後には、現代的な人間観とその暮らしがある。現代のアート活動の背後には、我々の社会や個人の盛んな活動が存する一方で、その活動のもたらす落葉が堆積したたっぷりとした腐葉土がある。疲れ・倦怠・虚偽・衰退・自棄・挫折・麻痺・堕落等が日常となっている文明的生の腐葉土を滋養に換えて、アートは芽吹いている。 かつて、社会に浸透していた天才を典型とするアートは、ロマン派的思潮に乗り存続していたものだろう。しかし、アートもアート観も知らず識らずの内に変容した現代に於いて、輝かしい才能や創造力の発揮、またその結果として、既成概念や既存の作品の超克や破壊として理解されてきたアートとは、別のアートの考え方や動きがある。病人のアート、障害者のアート、老人の藝術、こうした光や輝きに対置されるダーク・サイドのアートを、限局した形で問うこともできる。しかし、そこにはなお変容したロマン派的アート観が認められよう。いつの時代も、そして我々の時代も、否応なしに誰もが出会い対応せざるを得ない生・老・病・死、そうしたどこにでも存在している世界の腐葉土から、新しいアートやアートの見方が生い立っている。 ことは何も現代に限らないが、キラキラと健康を歌う社会の陰で、ひっそり閑と進展しているアートとアートを支えるパラダイムの転換を、それらが根ざす腐葉土との関連で検討するのが、今回のシンポジウムの趣旨である。」 格差、高齢化、病気、障害、孤立、過疎、そして死といった生の否定的条件は、いつの時代でも、個人の次元で、また共同体の次元で存する。この生のダークサイドが、とりわけ現代的状況の中では、天才や個性を軸とする芸術観が変容する現象と共に芸術創作の腐葉土として作用する。この点に着目し、あらためてジャンルを横断して、ダークサイドとアートの関わりに注目するのが、シンポジウムの趣旨である。各学会から推薦された下記の5人のパネリストが登壇し、報告を重ねた。
〈2〉ジェラルド・グローマー氏(山梨大学・東洋音楽学会)は、瞽女(ゴゼ)が、行政によって、社会の最下層として共同体に組み込まれ、様々な差別に耐えながら、近世・近代社会を生き抜いたこと、町や村を訪れて、唄と三味線で人々の暮らしを照らし潤したことを、古文書の解読や貴重な写真等を交えて、報告した。音楽は、被差別者である瞽女のたつきであり、人々に楽しみをもたらしただけでなく、彼女らに、心の杖としての喜びをももたらしたことを示唆して興味深かった。 〈3〉栗山裕至氏(佐賀大学・美術科教育学会)は、児童の造形学習の現場から考察を展開した。学校の授業では細切れに分節されがちの子供の創作が、時のゆとりの中では、予めのプランだけでなく、創作行為の中から創作の方向性を導き展開し、大人の連続性や物語性とは異なる自由のあること、子供とはいえ、明るい作品にも争いや破壊の契機が見出されること等、通常の児童美術観を越えた実践的省察を展開した。
〈5〉天内大樹氏(静岡文化芸術大学・美学会)は、東日本大「震災後の日常?集住と展示」と題し、何度も足を運んだ実地からの経験に基づき報告した。伊東豊雄らの「みんなの家」は、現場での多彩な要求を受容するところ、作家の個性を越えて存立する建築実践の実例である。また、震災の痕跡を示す「記念物」の撤去と保存を巡り、東浩紀らの「福島第一原発観光地化計画」や陸前高田の「奇跡の一本松」の事例等に即し、廃棄されるべきもの、また保存されるべきものの意義や線引きや様態等、簡単に一括りにはできない現場の多様な観点と葛藤を織り込み、報告した。 会の全体を山崎稔恵氏(関東学院大学)が進行、椎原伸博氏(実践女子大学)がシンポジウムの司会を担当した。広島芸術学会からは、シンポジウムを企画し趣旨を説明した青木孝夫とパネリストを務めた一鍬田氏が、登壇した。 今回のシンポジウムは、それぞれの専門領域の研究者によって、中世から現在に至る、時代を縦断して存するダークサイドが、多様な仕方で藝術を懐胎することを示した。その意味で、ダークサイドに関する先入見を解体して流れ出る知が、願わくは、我々の学問的生を賦活して意義深きことを。 各パネリストの報告や、その後に続いた議論等、シンポジウムの具体的な様子は、藝術学関連学会連合のホームページに、追って掲載される予定である。詳しくは、そちらをご参照いただきたい。 ─事務局から─ ・平成26年度総会について 別にご案内していますとおり、来る7月27日(日)に平成26年度総会を開催いたします。委員選挙の結果報告、平成25年度事業・決算の報告、平成26年度事業計画・予算案など、本学会運営の重要な事項をご審議いただきます。万障お繰り合わせの上、ご出席いただきますようお願いいたします。 ・名簿作成にあたっての再依頼 今回、委員選挙のご案内、名簿作成にあたっての再依頼を同封しております。会員諸氏にはお手数をおかけいたしますが、ご対応下さいますよう、よろしくお願いいたします。 (事務局長:菅村 亨) ─会報部会から─ ・チラシ同封について 会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1000円をお願いいたします)。会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は、8月末~9月初めの発行予定です。 (馬場有里子090-8602-6888、baba@eum.ac.jp)
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