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広島芸術学会会報 第129号
● 巻頭言 色、記憶、戦前 馬場 有里子(エリザベト音楽大学准教授) かねてから感じてきたことがある。過去についてのイメージが我々の中で醸成されていくときに、「色」というものが果たす役割は、思いのほか大きいのではなかろうか。もう10年ほど前のことになるが、戦前の日本を記録したカラー映像というのを見たときに感じた衝撃が今でも忘れられない。第二次大戦さなかに、ある若夫婦の結婚祝いに神社の境内に集まる親類縁者たちの様子を写したその映像は、「戦前らしい」古びた感じも、戦時下の重苦しい雰囲気もまるで感じさせない、あまりに当たり前に色鮮やかな、日常的な光景であり、現在と全く区別がつかないほどの質感をもったその映像を目にした瞬間、それまで自分の中で「戦前」と「戦後」を隔離していた壁が一挙に崩れ去り、過去と今が「同じ」になったのだった。 戦後に生まれた世代にとって、「戦前」のイメージはどうしても、「白黒」や「セピア色」の写真や映像、ノイズ混じりのモノラル音声といった、「古さ」を感じさせる史料とともに形成され、そのことが恐らくは、この時代を端的に「今とはまるきり違う、遠い過去」と思わせてしまう大きな一因になっている。なかでも「色」は、対象の「現実・現在感」の生成に深く関与する、重要なファクターではなかろうか。人の目に
る周囲の現実世界はそもそもカラーであるゆえに、色のない白黒の世界にはどこかに、「今ここにある、生の」世界との距離感が伴っている。白黒の写真や映像は、だからこそ時にそれでしか出せない強い表現力や内省性を内包し得る優れた媒体だとも思うのだが、ことドキュメントに関する限り、その対象や事象を直に目の当たりにしていない者にとって、その距離感は常に無意識下で存在する。現在進められている、両大戦期に記録されたモノクロ資料の「カラー化」の試みは、その問題に着目するからこそだろう。 石内都の写真集『Fromひろしま』は、もっぱら「悲惨」なイメージで捉えられてきたヒロシマの被爆者の衣服や遺品を、カラーで、しかも(かつてそれらがそうであったように)出来る限り「美しく」撮ることで、我々が無意識に感じてしまう過去と現在との隔たりに架橋する。「悲惨な写真や現状を直視することよりも、いまは亡き人々が生きていた当たり前の毎日を感じることのほうが、より真実に迫る力を持つこともある」という彼女の言葉(http://www.thingsleftbehind.jp/)は、極めて示唆に富んでいる。「美しすぎる? そう、実際に美しいし、原爆が落とされる前はもっと美しかった。」 戦争に対して悲惨なイメージばかりを抱くことには、時に危険も伴う。あの凄惨な太平洋戦争末期だけが強調される限り、今なら「もうあんなこと」は起こり得ないだろう、という根拠のない油断を生みかねない。しかし当時の人々とて、最初からその結末を予示されていたわけではない。昨年末の特定秘密保護法成立時に味わった、一種異様な感覚を思い出す。法案成立と国会を取り巻くデモの様子を伝える報道番組の傍ら、別の局ではバラエティ番組が何事も起こっていないかの如くにぎやかに流され続けた。翌日の街を行く人々の楽しげな表情が、どうにもシュールな光景に思えたが、かつても同様だったのだろう。 「新たな戦前」が指摘される今、大事なことは、「忘れてはいけない記憶」の継承と同時に、当時の人々の「日常」を、遠い過去のものとしてではなく、努めて現在に重ねてリアルに蘇らせ、想像すること、美しい洒落た花柄のワンピースの写真から、さらに焼けこげや血のしみ、経年による退色をも取り去って、まさに「今、誰かが着ていてもおかしくない」ものとして思い浮かべてみることではないだろうか。 ●
平成26年度総会・第28回大会 報告(次第等は同封資料のとおり) 【総会】 平成26年度総会は以下のとおり行われた。 ・開催日時:平成26年7月27日(日)午前9時30分?午前10時00分 ・場所 :ひろしま美術館地階 講堂 ・次第 1 開会のことば 菅村亨事務局長 2 会長挨拶 青木孝夫会長 3 議長選出 末永航氏を議長に選出した。 4 議事 (1)
第1号議案 平成25年度事業報告並びに決算報告の承認について 資料にもとづき、事業報告が青木会長、決算報告が菅村事務局長から説明され、続いて竹澤雄三監査から監査報告があり、審議の結果、これを承認した。 (2)
第2号議案 平成26年度事業計画並びに予算案の承認について 資料にもとづき、事業計画が青木会長、予算案が菅村事務局長から説明があり、審議の結果、平成26年度事業計画並びに予算案を承認した。 (3) 第3号議案 会長が指名する委員(5名)及び監査(2名)の承認について 菅村事務局長から、まず、今回行われた委員選挙の経過及び結果について報告があり、 選挙により選出された委員10名が紹介された。また、この10名の委員の互選により 今期会長に青木委員、副会長に末永委員が選任されたことがあわせて報告された。そ の後、会長が指名する委員5名、監査2名について提案があり、審議の結果、承認さ れた。 5 閉会のことば 【大会(研究発表・シンポジウム)】 総会に引き続き、3件の研究発表およびひろしま美術館との共催による公開座談会が行われ た。(詳細、別項のとおり) なお、大会参加者数は62名(非会員を含む)であった。 ●
大会研究発表報告 研究発表報告① 日本画と洋画のはざまで―知られざる画家三好光志について― 発表:向井能成(呉市役所産業部海事歴史科学館学芸課市史編さん係) 報告:松田 弘 (インディペンデント・キュレーター) 向井氏のご発表に際して、三好光志の年譜が資料として提出された。抜粋と要約をしてみたい。三好光志は1898(明治31)年、広島県安芸郡荘山田村(現在の呉市)に生まれた。17歳で家族とともに神戸市に移り、翌年、東京の明治大学に入学する。21歳の年に神戸に戻り、銀行員として働きながら槐樹社展に洋画作品を出品する。1927(昭和2)年、29歳の時に勤め先の銀行が倒産したのを機に東京に出て、本格的に画家を目指した。これ以後、1930年協会、二科展、独立展などに発表するが、1933(昭和8)年、日本画に転向し、川端龍子の画塾の門を叩く。翌年、龍子の主催する第六回青龍社展に出品した《裸婦》がY氏賞を受賞。その後、青龍社展を舞台として日本画作品を発表する。しかし、1939(昭和14)年、制作方針の違いから青龍社から新興美術院に転じ、以後、68歳になる1966(昭和41)年の第16回展まで、この新興美術院展に作品を発表する。この後1977(昭和52)年に78歳で歿。 この年譜には、戦前の広島出身の画家である丸木位里(1901年生)、靉光(1907年生)、船田玉樹(1912年生)の三人の画家たちが、戦前・戦中の厳しい時代に制作活動をしていたことが分かる関連年譜が併記されている。 また、三好とこの三人の画家との交友関係を窺がわせる資料として雑誌『実現』第179号(昭和12年3月号)の記事「芸州美術協会同人座談会」の抄録も提出された。この座談会では、戦前の広島県産業奨励館(現原爆ドーム)で開催される展覧会に出品する作品について言及されているが、洋画出身だから可能となったとする三好の新傾向の日本画について、これら三人の画家たちが評価していることが分かる記載も見られる。 この三人の画家については近年それぞれ研究が進められているが、三好光志については全く知られていないといっても過言ではない。今回の向井氏のご発表は、その知られざる画家が確かに存在したということの告知、その画家が洋画から始まり日本画に転向し生涯を終えた画業が、広島県出身のこの三人の画家たちとの関係と、戦前と前後を通じて日本美術史との関連でどのような意味を持ち得るのかという問題、そして人生の最期に作品を焼却処分にしてしまったという画家・三好光志の絶対評価の試みなど、今後の検証と研究の可能性に富んだ内容のものであった。 研究発表報告② サイト・スペシフィック彫刻の可能性と課題??日本のアート・プロジェクトを中心に?? 発表:村上佑介(広島大学大学院教育学研究科研究生) 報告:菅村 亨(広島大学大学院教授) 1990年代以降、全国各地でアート・プロジェクトという活動が盛んに行われるようになった。これは作品展示の専門施設を離れ、サイト・スペシフィックという概念のもと、作家が地域のコミュニティあるいは自然、環境のなかで作品を制作、展示するという、「場」とアートの行為の結びつきを強く意識した表現活動である。そこで産み出される作品は当然ながら立体物が多くなるが、村上氏はそうした中の彫刻作品を「サイト・スペシフィック彫刻」と位置付け、その特質を明らかにするとともに、どのような観点で評価をすればよいのか、今後どのような展開が見込まれるかについて論じられた。 村上氏はサイト・スペシフィック彫刻の特質を明らかにするために、最近開催された主なアート・プロジェクト7件に出品された作品を主題や素材、状態等にかかわる細かな項目をもとに分析され、その結果、(1)「意味的要素」と「空間的要素」の利用による作品形成、(2)多様な素材の使用、(3)場への「同化」と「介入」、(4)現実空間との連続性というサイト・スペシフィック彫刻の特質を提示された。また、今後については、作品の分析結果と鑑賞者の意識調査をもとに、彫刻と場との関わりはある程度パターン化し、インスタレーション的な、「モノ」ではなく「コト」としての作品が増加するであろうと展望された。 村上氏は作家でもあるが、研究者として彫刻という行為に対し極力冷静に向きあい、その意味を探ろうという意図がこのご発表の根底にあったように報告者は思う。ご発表はデータの提示が多く判りにくくなってしまったかもしれないが、それらをとおして示された展望の裏側には、現在の彫刻という表現に対する村上氏の一種の危機感があるのではないかと感じた。「場」と関わる、「モノ」としての彫刻をいかに実現していくか。報告者も大きな課題のように思う。 ※ お断り:研究発表③の西嶋亜美氏の発表報告については、都合により次号に掲載します。 ●
公開座談会報告 テーマ:「版について語る:芸術におけるメディアとオリジナリティ」 報告:森 静花(公益財団法人ひろしま美術館学芸員) 2014年7月27日(日)、ひろしま美術館事務棟地下講堂にて、「芸術におけるメディアとオリジナリティ」というテーマのもと、ひろしま美術館で開催中の「東広島市立美術館所蔵 版―技と美の世界―」展の出品作家である高橋秀氏を囲んで、公開座談会が行われた。登壇者として、ふくやま美術館学芸課長である谷藤史彦氏、インデペンダント・キュレーターの伊藤由紀子氏が招かれ、司会はひろしま美術館学芸部長の古谷可由が務めた。 高橋氏は、自身の制作をメディア(素材)によって区別するのではなく、その根源はいつも同じものだと考える。自身の中の衝動を表出する際に、どのメディアが一番適しているのかをその都度選択する。つまり「版」というメディアも、油彩画や彫刻などその他の作品と源を同じくしており、そこに区別はないという。とはいえ、高橋氏はローマ在住時代に、2RC版画工房など優れた職人がいる工房へ出入りしており、そこで職人たちと対話しながら版画制作を行っていた。そこでは、「表現したいものを「版」で表すとどうなるか」という興味が生まれたとも話しており、メディアからの逆のアプローチも時には生じていた。その相互のやり取りの中で、高橋芸術の粋は生み出されていった。 今回の座談会では、このように高橋氏の芸術観を広い視点で伺うことができた。後半では日本の芸術教育の現状についても熱い議論が交わされた。オリジナリティに関する深い考察は時間の都合上得られなかったが、広く「芸術」という「メディア」を考える上で、貴重な機会であった。 ● エッセイ 夢の再会まで 袁 葉(広島大学ほか、講師) (一) チャイムが鳴り、正午を知らせる。 「では、今日の授業はここまでにします。同学們再見(皆さんさようなら)!」 「老師再見(先生さようなら)!」 昨年9月18日、金曜日のこと。二時間半後には北京に向かって雲の上にいる予定だ。 広島空港へ向けて車が走る。 ここ一週間、台風18号の進行方向から目を離せなかった私の上に、台風一過の青空が広がっている。でも、万が一、高速道路で事故や工事で渋滞に遭ったら…。順調に空港まで到着したとしても、まだ安心はできない。一ケ月前、北京の豪雨で私の乗った便の広島到着は、6時間遅れになり、戻りの便は欠航となってしまった。今日と同じ14時台発のはずだったのに…。 北京への里帰りで、今までこれほどの緊張は覚えがない。絶対、今日中に北京に着かないと、明日10時からの慶事に間に合わないからだ。 (二) 「広島ユネスコ協会創立40周年の祝賀パーティに、袁葉さんをご招待しようと思います。ぜひお越しください」受話器の向こうの会長の声が懐かしかった。 私は留学生の頃、広島と北京のユネスコ協会の交流行事で、よく通訳のお仕事をいただいた。当時、その会員である某大学の学長から、「中国語」と「中国文化」の講義の依頼を受けたことが、今日の私の仕事へとつながっている。広島ユネスコ協会は、いわば恩人中の恩人である。 「お招きいただきとても光栄です。嬉しいです。ところで、いつでしょうか?」 「9月20日です」 「あらーっ」思わず悲鳴を上げた私。 「どうしたんですか?」 「9月19日と20日は、北京で大学卒業30周年のクラス会兼謝恩会に参加する予定なんですが」 「30年? こっちは40年ですよ」 「いえ、30年ぶりに会うんです」 「ぶり? じゃあそっちを優先しなさい」とキッパリ。なんと懐の深い方なんだろう。 ・・・・・・ こうなったら、何か起きて北京に帰れなくなっても、今さらユネスコ協会の方に出席するわけにはいかない。こんな時、中国では「鶏飛蛋打(鶏には逃げられ、卵も割れた)」という。 また中国語には、「天時地利人和」(よいタイミング、よい場所、よい人間関係)という言葉があり、物事を成就させるには、この三要素が不可欠だと言われる。 アラブの国々では、会う日にちを決めてから「じゃあまた、その日にね」とは言わずに、「神のご加護にお任せします」のように言うそうだ。あれこれと考えているうちに、気がつくと、両手をずっと胸の前で合わせていた。信仰心とは無縁のはずの私だが・・・。 (三) あっ、灯りが見えてきた。北京国際空港の滑走路の誘導灯だ。 機体が高度を下げるに従い、逆に気持ちはどんどん高ぶり、胸の鼓動が聞こえてきそうだ。 「ドーン」という大きな音。 シートベルトに体が強く引っぱられた。着陸だ!と小さくガッツポーズ。「夢の再会」へと着実に近づいたのだ。 ターミナルビルを出て、タクシー乗り場に並び、夜空を見上げると、月がぼんやり滲んでいる。またPM2・5か。前の行列が少しずつ縮み、いよいよ自分の番になった。私のスーツケースを見て運転席から降りてきたのは、三十代の男性で、顔に一日の疲れがプリントされたように見える。世の中、皆がみな私のようにワクワクしているわけではないのだ、と思い知らされる。 車のトランクには道具がいくつか置いてあり、私の大荷物が入るかどうか微妙だ。それを口実に、他のタクシーに変えようかと一瞬思った。家に着くまでの間、ずーっとこの不機嫌なムードに付き合わされるのかと思うと…。だが、スーツケースは収まってしまった。 家へ向かって車が走る。 橙色の街灯に照らし出されたポプラ並木が、車窓の後方へ去ってゆく。行き先を告げてから、車内はずっと沈黙のままだ。空港は東の郊外にあり、私の実家は東城区にある。もし西城区にでも住んでいたなら、運転手はもっと稼げるのにと、「近くてすみませんね」と声をかけてみる。 「いいえ、気にしないで。僕の仕事なんですから」と静かな口調。15秒くらい経ったか、 「でも、そうおっしゃっていただいて嬉しいです」と。 再び沈黙に戻る。 「ところで、どちらから帰られたんですか?」と、突然の問いかけにドキリとした。今の日中関係を思うと、いったいどんな反応が返ってくることか。彼に聞こえるか聞こえないかの声で答えた。 「日本…」 すると、間髪入れずに 「好地方(良いところだ)!」と彼は言った。えーっ? 私は思わずトーンを上げて、「どうしてですか?」と聞いた。 「まず、この靄(PM2・5)はないでしょう」 「まあ、それはそうですが…」 彼はウインカーを点けて車線を変えてから、続けた。 「日本は原爆が投下された唯一の国ですよね。戦争直後、中国よりも悲惨だった。しかし、どうでしょう、今の発展ぶり!」 私が広島から来たことは知らない。国際便がひっきりなしに到着するマンモス空港なのだから。日本はバブル崩壊後、「失われた20年」とか言っているが、海外へ出ると、「日本」の発する先進国のオーラはまだ健在だと、度々感じさせられる。 「アメリカのアップルはずいぶん威張ってるようだけど、あのICチップの技術は日本のものですね」 「ええ」と慌てて返事をする。そういえば聞いたことがあるが、まさか北京の運転手の口から出ようとは…。 「半導体に関して、日本がもし自分は世界第二位だと言ったら、どこが第一位と言えるんですか?」 思わず吹き出した。 「原子爆弾を投下したのはアメリカだ。でも今の日米関係を見てごらん」と言いながら、ルームミラーで私を見た。 「仲がいいですね」 「じゃあ、中国と日本は、一体どうして仲良くできないんだ?」とだんだん興奮気味になり、 「いがみ合ってるよりも、未来志向で考えなくっちゃ」彼のもどかしい気持ちがひしひしと伝わり、思わずジーンときた。 窓外には、高層マンションが無数の明かりを放っている。いつの間にか、市内に入っていたのだ。ハンドルを操りながら話し続ける彼。まるで、最初の沈黙を取り戻そうとするかのようだ。 とうとう、車は家の前に到着した。高速道路料金を入れて89元の支払いとなるが、100元を出して「おつりはよろしいです」と言った。 「えっ」 「いろいろと日本のことを褒めていただいて、なんだか嬉しいです。ほんの気持ちですわ」 「いや、僕もお話ができて嬉しかったです。チップまでいただいて、今日はいい日だ!」 トランクからスーツケースを出すのを手伝いながら、さっき、入れにくいのを口実に車を変えようとしたことを思い出した。今となっては、名残惜しい感じさえする。彼も閉じたトランクに片手を置いたまま「日本論」をしゃべり続けた。 街灯に照らされた彼の顔からは、あの「疲れ」はどこかに吹き飛ばされている。彼の熱弁を聴きながら、こんな声では近所迷惑になるのでは、とハラハラしていた。残念ながら、その内容はどうしても思い出せない。あれだけ頷いていた自分だったのに…。 ただ、最後に車に入ろうとした彼が、思い直したかのように振り返って言ったことは、鮮明に覚えている。 「問日本人民好!(日本の皆さんによろしく!)」と、手を振りながら。
「芸術表現企画」のご案内(予告) 昨今、広島でも地域に根ざして芸術をめざす動きが活発化してきました。 地域再生運動の中で住民同士のつながりをつくり地域の歴史に関心を集めるため、芸術家による住民と共同での作品制作やワークショップなどの芸術活動が使われることも多くなりました。 そのような中でシェアードアトリエというかたちで活動する横川創荘、蟹屋 fine arts、広島芸術センターというシェアードアトリエのメンバーと芸術学会有志とのコラボレーション企画として、「場所と人」にスポットをあてて、芸術表現展示企画を計画中です。 *時期 2014年11月中旬~12月中旬(調整中) *会場 横川創荘、蟹屋 fine arts、広島芸術センターまたはその周辺(調整中、内容によって場所 を変えると思います。) *展示内容 「とんがった芸術表現企画とは」(仮称ではありますが、そのまんまの方向を目指します。 作家だけでなく学芸畑の方々の作品コンセプトワークも求めます。) (何が芸術かという命題を世代、分野をこえて語り合えるきっかけになればと思っていま す。) *展示規格 スペースの関係と作品密度を考慮し、平面と立体はミニチュア作品、または企画書付き エスキース。その他、コンセプチュアル、文学、音楽は事務局調整。 *ザ・談会、パネルディスカッション 「地域再生と芸術」(仮称) (パネラーは未定)横川商店街代表、シェアードアトリエ各代表、芸術学会員で構成予定 *懇親会(会場その他未定) ※ 開催日程など、詳細が決まり次第、追って、ご案内および作品応募の呼びかけをいたします。 (企画担当:船田奇岑、加藤宇章)
─事務局から─ ・平成26年度会費の納入をお願いいたします。当学会の会計年度は、毎年7月1日から翌年の6月30日までです。ご了解ください。 納入にあたっては、同封のゆうちょ銀行払込用紙をお使いいただきますと手数料が学会負担になりますので、どうぞご利用ください。(なお、既に今年度会費を納入いただいた会員には払込用紙を同封していません。また、特に納入期限を設けておりませんが、9月、10月中に納入いただければ有難いです。) なお、会費の納入状況を確認されたい方は事務局までお問い合わせください。082-424-7139、Eメール:storu@hiroshima-u.ac.jp へお願いいたします。 ・学会としては久しぶりに会員名簿を発行いたしました。名簿にも記載しましたが、取扱いには十分ご注意下さいますよう、重ねてお願い申し上げます。 (事務局長・菅村 亨) ◆ 平成25年度入会者(入会順、敬称略) 森本頼子、寺口淳治、福永治、鈴木榮子、鄭子路、崔会丹、崔琳若、黄えい、伊藤多喜子、重藤嘉代、田中伝、田中勝、張伯倫、任娜娜、饒佩名、劉悦、西嶋亜美、石本理彩、兼内伸之介、村上佑介、農澤美穂子 ◆ 平成26年度7、8月入会者(入会順、敬称略) 安部孝典(映画研究、フランス映画)、若鍋翠(日本美術史、佛教藝術)、范叔如(現代美術) ─会報部会から─ ・チラシ同封について 会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は、11月中~下旬の発行を予定しています。 ・催し等の告知について 会員の関係する催し等の告知についても、会報への掲載が可能です。こちらについても詳細は下記までお問い合わせください。 (馬場有里子090-8602-6888、baba@eum.ac.jp) このたびの大規模土砂災害に際し、被害にあわれた方々、またご関係の方々に、心よりお見舞い申し上げ、一日も早い復旧をお祈りいたします。
研究発表募集 本学会は、随時、研究発表を募集しています。研究発表申し込み手順については、下記をご参照ください。 (1)研究発表主題、600字程度の発表要旨に、氏名、連絡先、所属ないし研究歴等を明記の上、 事務局宛てに、郵送またはE-mailにて、お申し込みください。 (2)委員会で研究発表の主題および要旨を審査の上、発表を依頼します。 なお、発表が承認された研究については、発表申し込み順の発表となります。例年、研究発表の機会は、12月、3月(または2月)の例会、および7月の大会に予定しています。各例会・大会の日程詳細については、決まり次第、会報・ホームページ等でその都度お知らせいたします。その他詳細は事務局までお問い合わせください。
---------------------------------------------------------------------------------------------------- ― 次回第108回例会のご案内 ― 下記のとおり第108回例会を開催いたします。★ 詳細は、同封のチラシをご覧ください。 いちえプロジェクト第二回公演 一人芝居 「ぼっけえ、きょうてえ」鑑賞会 今回の例会は趣向を変えて、演劇の鑑賞会です。観劇の後に広島芸術学会の会員とその同伴者の方のみ限定の時間をいただき、会場で出演者の方にこの作品についてお話をお聞きしたいと思います。今回の公演会場は名勝 縮景園の清風館。原作は日本ホラー小説大賞と山本周五郎賞を受賞した岩井志摩子の怪奇文学。歴史ある縮景園でどのような演出と演技が観られるのか、ご期待ください。 公演日時: 10月4日(土) 14:00~15:30 (開場は13:30) 出演者との対談: 公演後、30分間の休憩をとり16:00から16:45までを予定。 公演会場: 縮景園 清風館 (730-0014 広島県広島市中区上幟町2?11) 集合時間: 10月4日(土) 13:15 集合場所: 縮景園 正門入口 ※ここでチケットをお配りしますので、必ずお集まりください。 このチケットは縮景園の入園券も兼ねていますので、別途、入園券をお買い求めになる 必要はありません。 参加費: 1,800円 ※広島芸術学会会員の方の特別価格です。当日、チケットと交換します。 ※会員以外の同伴者は通常の前売り価格の2,800円をいただきます。 申込締切:
9月15日(月・祝) 申込先: E-mail: wcwfg550@ybb.ne.jp
(松田 弘) またはFax: 082-849-1528 (松田 弘) ① 氏名(同伴者がいる場合はその方の氏名も) ② 連絡先の電話番号 ※ 今回、会報に同封しましたチラシに、「◎チケット取扱」場所が記されていますが、 特別価格のため広島芸術学会会員としての申込と購入はできません。 必ず上記の申込先(松田)までメールかファックスでお申込みください。
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