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広島芸術学会会報 第136号
● 巻頭言
不美人図について
城市真理子(広島市立大学国際学部准教授)
美術は、時に危険と隣り合わせである。政治的・宗教的タブー、性表現、著作権や商標など、場合によってはテロや訴訟の標的になる。だが、時代の価値観は変わるものだ。昨年は、国内で春画展が2つ開催されて話題になった。東京・永青文庫と福岡市美術館である。福岡では立花家(柳川市)伝来の春画絵巻とともに特別な展示コーナー(年齢制限付き)を設け、立花家資料館の女性館長がギャラリー・トークを行って好評だったらしい。我がゼミ生が母と二人で行き、余りの面白さに母が抱腹絶倒。東京の展示も母娘で見に行ったとのよし。春画は、「笑い絵」ともいう。笑う春画鑑賞は、歴史的に正しいのである。
それにしても、この変化は急激だ。ほんの十数年ばかり前は、浮世絵コレクターでも抵抗があったようだったし、国立博物館では数点が展示されたきりだ。それ以前は一部隠す展示か警察沙汰だった。
春画が解禁されたのとは逆に、近年、古来有名な古美術品さえ語るのにナーヴァスになることもある。日本美術の図様には稚児や遊女などが多く、中世の絵巻や宗教画、山水図や美人図すら、語り方に配慮がいるであろう。美術を歴史的に理解し語ること自体が、意外と危険に満ちているのかもしれない。
そもそも美術というものは当時の価値観に基づいて制作されるので、多かれ少なかれセクハラや差別の歴史を内包している。例えば、絵画には「美人」が描かれるのが標準だということも「問題」だろう。しかし、実は、わざわざ不美人を描いたものもある。中世の絵巻に詳しい方はすぐに思い出されるであろうが、広島・浅野家伝来の「男(お)衾(ぶすま)三郎絵巻」(東京国立博物館蔵)は不美人を描いている有名な作品である。男衾三郎は無骨な関東武士で、家風に合わせて望んで不美人の嫁を迎え、娘も母に似て不美人。侍女たちにも嘲笑されるほど不細工な彼女たちの髪は波打つ巻き毛で、おすべらかしには向かず、鼻は高く眼も大きく、「引目かぎ鼻」の面立ちとは違う。現代の美女の大半は、中世の日本にあっては不美人となるのだろうが、時代や地域による美醜の基準の違いはそんなに驚くことではないだろう。むしろ、この絵巻の与える衝撃は、京都の貴族社会が関東の武士を見下すという価値観のもとで制作されているので、乱暴にいえば、「アリよりキリギリスの方が偉い」というテーマの方にありそうだ。私たちが日常の指針としてきた倫理観や価値観が実は普遍でも絶対でもないという不快。しかも、異なる文化・価値観を攻撃する際に女性の容姿もまた標的になるという事がまた、さらに後味を悪くする。しかし、我が国の中世美術を本当に受け入れようとするなら、その価値観の大幅な違いや不快の要因をも認める覚悟がいるものなのだ。
ところで、折角なので不美人図についてもう少し言及しておこう。近世には、乙(おと)御前(ごぜ)と呼ばれる中世の狂言から生まれたひょうきんな不美人が描かれるようになる。この乙御前を愛嬌のある姿でいくつも描いたのが、幕末明治の画家、河鍋暁(きょう)斎(さい)である。暁斎は筆禍で処罰された後、狂斎という名前を暁斎に改名したという。悪夢のような地獄太夫図や幽霊図、血みどろ絵、春画などを凄まじい筆力で描く一方、若くして亡くなった少女のために極楽行きの列車を描いたユーモラスな絵巻もある。彼が福の神としてのお多福=乙御前を愛すべき風情で描いた心は、少女追悼の絵巻にも通じている、と思う。凄惨な絵との振幅があればこそ、乙御前に託した想いの真実がある、とも思える。暁斎が生きた美術の世界の地獄極楽にも、その心の軌跡にも、移り気なこの浮き世にすまう私なぞ、ただ想いを巡らしているばかりなのだが。
● 第113回例会報告
研究発表報告① 『太平記』に描き出された武士像:「忠」と「孝」を中心に
発表:于 君(広島大学大学院教育学研究科 博士課程後期)
報告:西原大輔(広島大学大学院教授)
『太平記』には、武士の行動が「忠」「孝」という儒教の理念で説明されている部分がある。しかし、鎌倉時代から南北朝動乱期にか けての武士の価値観は、儒教思想で理解しきれるものではない。于君(うくん)氏は本発表で、七名の武士の記述を取り上げ、「忠」
「孝」言説の実態を具体的に読み進めてゆく。すなわち、『平家物語』の平重盛、『太平記』の楠木正成、楠木正行、塩飽入道聖円、石塔右馬頭頼房、細川相模守清氏、本間源内兵衛資忠の七人である。
興味深いのは、正反対の行動をとった二件の事例が、ともに「忠」「孝」という言葉で説明されていることである。楠木正行は父の後
を追って自害することを思いとどまるが、本間源内兵衛資忠は父と同じ場所で討ち死にすることを願う。このどちらもが、「忠」「孝」であるとされている。
本発表によって明確になったのは、『太平記』に描かれる武士像が、儒教・仏教・近代的忠君愛国のいずれの思想でも説明しきれないということである。「忠」「孝」という儒教用語で語られる『太平記』の事例を丁寧に読めば、その内実は多様性に満ちていることに気付かされる。語り物である『太平記』では、戦いの場面などで繰り広げられる、情念に満ちた武士の行動が、語り手によって再構成されてゆく。『太平記』の語り手は、「忠」「孝」という儒教の語彙でこれを解釈しようとする。このような語りや解釈を、私たちは脱神話化してゆく必要がある。于君氏の発表は、私たちをその入口に導く議論と言えるだろう。
研究発表報告② 西山翠嶂に関する一考察 ―竹内栖鳳と浅井忠のはざまで―
発表:森下麻衣子(海の見える杜美術館)
報告:中川友佳(広島市立大学芸術学研究科芸術理論専攻)
西山翠嶂は竹内栖鳳の弟子の一人であり、文展や帝展などでも賞を重ねるなど、実力のある画家である。今回の報告で、森下氏が 最も注目をしたのは、翠嶂が洋画家・浅井忠にも学んだことである。
明治以降は日本画家も洋風表現を作品にとり入れ、新しい日本画を模索していった時代である。師の栖鳳も西洋の写実表現をとりいれたことが知られており、彼が浅井に接近したのは自然な流れだったのであろう。翠嶂の作品の中には、日本的な主題の作品でも、人物表現に洋画のデッサン力が窺えるものがあることが、既に先行研究で指摘されている。
森下氏が紹介した海の見える杜美術館所蔵の六曲一双屏風、《日露戦争・日本海海戦》は彼の画業においても異色の作品で、日本的表現である一方、栖鳳が扱わなかった戦争画という主題もまた、洋画家、とりわけこの種の作品をよく描いた浅井から受け継いでいるのではないかという仮説を森下氏は呈示している。
翠嶂が近代の京都画壇を考察する上でのキーパーソンであるにも拘らず、その画業を具体的に検討した先行研究がいまだ乏しいなか、森下氏の問題提起はその状況からの進展を期待させるものである。
● インフォメーション
先頃、会員の森長俊六氏、西原大輔氏が、以下の著作を出版されました。
デジタル教材『色彩入門』(日本文教出版)
企画/制作 日本文教出版,企画/監修 森長俊六
本体9,000円(ライセンス版)、45,000円(小・中・高校向けフリーライセンス版) [企画/監修者による紹介]
本ソフトの構想は2005年に発表した論文*1にさかのぼります。配色や混色はもちろん、色が見える仕組みや身の周りの生活の中での使わ
れ方、
日本の伝統色を組み込むなど、色彩学習に関して必要な切り口はおおよそ網羅しています。
単に従来の教材や教具を組み入れただけでなく、コンピュータでなければ為し得ない色彩学習を可能にするデジタル教材です。
*1 ?森長俊六「『色彩学習』を支援するためのコンピュータ教材の開発」『日本教科教育学会誌』日本教科教育学会 2005年 第28巻第3号
西原大輔『詩物語』(七月堂) 2015年11月、126 ページ
本体3,000円(ISBN 978-4-87944-240-6)
[「はじめに」より]
『詩物語?』という書名は、平安時代の歌物語から発想しました。[…]
通常、詩集に掲載されるのは、詩作品だけです。私はそのような本を手にしつつ、詩人自身による解説が添えられていたら、と思うことが しばしばあり
ます。詩とエッセイを並べた『詩物語』では、詩
が文を引き立たせ、文が詩を補うものとなるよう心がけました。
<所収>
Ⅰ 少き日を懐う(10篇) Ⅱ 生きるしみじみ(10篇) Ⅲ 心に風景を刻む(9篇)
Ⅳ 詩を書くこと(9篇) Ⅴ 二行の詩情(7篇)
● エッセイ
あと50数時間・・・
袁 葉
「ああ、日本に帰ってきたなァ、と感じたところです」と、紅茶とケーキの乗ったトレイを置きながら、友人のFさん。
「どうして?」と私。
「だって、カップを温めといてくれたんですもの」
「フランスではしないんですか」
「しませんよ」と、首を振りながら・・・。
マルセイユに住む広島っ子の彼女は、年に一度、ビジネスを兼ねて帰郷する。その度に、決まってここ「アンデルセン」でカフェタイムを過ごす。
私がこのお店に初めて来たのは、来日から 2カ月後の85年12月。「留学生スピーチコンテスト」で優勝したその日、案内していただいたのは、指導教官の森本先生だった。カップを挙げて祝ってくださったのが、昨日のことのようだ。
「アンデルセンといえば、彼の小説『即興詩人』は、日本での方が知名度が高いそうです」と、森本先生。
「どうしてですか?」
「森鴎外の翻訳が素晴らしい。まあ、文豪の再創作とでもいうべきでしょうか」
「そういえば、中国の大学で漱石の『こころ』を習いました」と私。
「同級生と本屋でその訳本を見つけたんですが、ページをめくりながら、何度も吹き出しました。まるっきりの直訳で、変だったんです。でも、数年後にはいい訳本が出ましたよ」
焼き立てパンと、生花の香りが漂っている。
階下の店舗を見下ろせる、この回廊部分の席が好きだ。よく原稿や手紙を書いたり、学生の作文の添削をしたりする。疲れてペンを置くと、吹き抜けの広い空間が、いつも私を癒やしてくれる。だが、あと50数時間で、この角度から目にするシーンは消えてしまうのだ。建て替えのための長すぎる休店・・・。
「はい、お土産です」と、Fさんの声で我に返った。小箱を開けると、ミニ万華鏡が現われる。八角形の天窓に向けて覗いてみたら、「わっ、すごい!」と思わず声が出た。開花と花火のコラボレーションが次々と繰り広げられる。
これまで、優雅で楽しい時間を、数え切れないほど与えて下さった「アンデルセン」に、「謝謝!」と、心から言いたい。そして 4年後の再訪を楽しみにしている私。いや、ファンみんなでしょう。
─会報部会から─
・チラシ同封について
会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1,000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は、4月中~下旬の発行を予定しています。
・催しや活動の告知について
会員に関係する催しや活動を、会報に告知・掲載することが可能です。こちらについても、ご遠慮なく、下記までご連絡、お問い合わせください。
(馬場有里子090-8602-6888、baba@eum.ac.jp)
研究発表募集
本学会は、随時、研究発表を募集しています。研究発表申し込み手順については、下記をご参照ください。
その他詳細は事務局までお問い合わせください。次回の発表機会は7月の大会となります。
(1)研究発表主題、600字程度の発表要旨に、氏名、連絡先、所属ないし研究歴等を明記の上、
事務局宛てに、郵送またはE-mailにて、お申し込みください。
(2)委員会で研究発表の主題および要旨を審査の上、発表を依頼します。
<第114回例会会場へのアクセス案内>
?会場
広島大学(東広島キャンパス)
総合科学/総合科学研究科・管理棟(下のマップ下部の「M」)(正面玄関のある建物)
「第一会議室」(正面玄関から入って、奥階段の上階すぐ右手の部屋になります)
〒739-8521東広島市鏡山1-7-1
?交通アクセス
バス利用 ※ 時刻表等の詳細は、http://www.hiroshima-u.ac.jp/top/access/higashihiroshima/ を参照
JR西条駅から
「広島大学」行「JRバスまたは芸陽バス」に乗り、「広大西口」下車(約15分)
広島市内そごうバスセンターから
「広島大学・広島国際大学方面」行高速バス「グリーンフェニックス」に乗り、「広大西口」下車
(約60分)
タクシー利用
新幹線「東広島」駅より約20分
最寄バス停「広大西口(ひろだいにしぐち)」(マップ下部)より、直進すぐのところがM棟です

問い合わせ先:桑島 秀樹(広島大学大学院総合科学研究科)
― 次回第114回例会のご案内 ―
下記のとおり第114回例会を開催いたします。お誘いあわせの上、多数ご参加ください。
なお、例会終了後18:00過ぎより、西条駅前の居酒屋にて懇親会を予定しています(詳細は当日告知)。
例会日時:2016年3月20日(日)、14:00~17:00頃
場所:広島大学(東広島キャンパス) 総合科学/総合科学研究科・管理(M)棟「第一会議室」
※アクセス等、詳細は前ページを参照
● 研究発表① 日本における「坐」の美学の一考察―「岡田式静坐療法」にみる「正坐」の身体感覚の 解明を通して ―片山俊宏(広島大学大学院総合科学研究科 博士後期課程)
本発表では、大正期に流行した「岡田式静坐療法」に焦点を当て、「日本人」の「坐」の身体感覚または美意識について考察した内容を報告する。
日本に椅子が導入されてから一世紀半もの歴史が経過した。にもかかわらず、直接床に腰を下ろして坐ることに、より深い落ち着きが感じられてきたことは興味深い。椅子に坐るよりもこちらの方が、重心への負荷が大きく、窮屈な感覚を覚えずにはいられないからである。この「坐」の「日本文化」ともいうべき興味深い現象を究明するため、「坐」に対する「日本人」の身体感覚また美意識に焦点を当てる。その際、美意識とは、見た目の良さではなく、坐る身体において内部から感取するものに関わる。
大正期に流行した「岡田式静坐療法」は、極めて重心の低い「正坐」を応用した心身療法を成功させていた。生徒達は、「正坐」の「不動性」の感覚に、自らが樹木の如く大地とつながるイメージでもって、心身安定を感じていたのである。この感性は、大地の「気」を、地を踏む足から摂取して心身基盤を得るという日本の伝統的身体観と結びついていた。
大正期は、当時は斬新であった鉄道の移動体験が、大地からの「離脱」を意味し、ひいては心身の土台喪失を感じさせ、不安を醸成させた時代であった。これに伴い、自己の身体をより強く大地につなげ、心身安定を取り戻し、不安を解消してくれる重心の低い身体技法が求められることになった。そして「岡田式静坐療法」が流行したのである。
「正坐」療法が成功したのは、身体感覚の調整を通して大地の「気」を「日本人」が感取し、生きる状況の調和的安定をもたらす一種の身体的アートの側面を有していたからであった。そして、心身の内側から感じる世界と自己の調和をもたらしてくれる「坐」の文化として、日本の生活様式に取り入れられていったのである。
● 研究発表② 伝承者と朗読劇―非体験者による被爆体験の語り継ぎについて
土肥幸美(広島平和記念資料館・学芸員)
被爆から70年が経過した2015年は、様々な場所やレベルで「被爆体験の継承」という言葉が飛び交った。とりわけ大きな課題として取り上げられたのは、高齢化によって被爆者本人による被爆体験の語りが難しくなってくる中、その語りをどのように被爆体験を持たない次の世代が引き継いでいくかということであった。本報告では、非被爆者が被爆体験の語りを主体的に引き継ごうとしている2つの取り組みを取り上げ、そこに存在する課題と可能性について報告する。
まず一つは、広島市の「被爆体験伝承者」(以下「伝承者」と呼ぶ)事業についてである。これは広島市が3年間の研修によって被爆体験の語りを引き継ぐ「伝承者」を養成するもので、2015年4月からその第一期生が講話活動を開始した。報告者が2012年と2014年にこの事業に携わった被爆者に対して行ったインタビューの記録は、この事業に対する被爆者の不安と期待が入り混じった複雑な心境を書き起こしたものであると同時に、私たちが彼らから何を引き継ぐべきかを示唆しうるのではないかと考える。
また、もう一つは、井上ひさし作の朗読劇『少年口伝隊一九四五』についてである。一般的な演劇の脚本としてではなく、あえて朗読劇の脚本として書かれた『少年口伝隊一九四五』は、素人でも比較的容易に演じる主体になることができる言わば「開かれた」作品であると考える。この作品を継続的に広島で上演するアマチュア劇団の活動に、スタッフとして携わってきた中で知りえたこの作品の可能性を、同じ井上作品の『父と暮せば』と対比させることで明らかにしたい。
「被爆体験の継承」という常套句ではなく、被爆者の生きた言葉や体験を自分の言葉として再構成して伝えていくにはどうすれば良いか、被爆体験伝承者の活動や朗読劇の現場で思考したことを報告する。
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