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●巻頭言 小括・美学と人生――崇高・アイルランド・女たち―― 桑島 秀樹(広島大学大学院総合科学研究科・教授) 広島に赴任して、ちょうど干支がひと巡り半。この間、広島の女性と契りを結び、娘二人にも恵まれた。二十年以上ペーパードライバーだった僕も、マツダ車に乗るようになった。「8・6」の原爆忌には、夏の陽にじりじりと焼けつく街を彷徨することも覚えた。群馬で生まれ十九年、大阪で学んで十五年、広島で生活して十二年と半年。大阪で「美学・芸術学」に触れてからもずいぶんと時が経つ。この学問に接してすぐ、「崇高」のアイルランド人美学者エドマンド・バークにも親しんだ。だから、「崇高」「バーク」「アイルランド」との付き合いも、もう四半世紀ということになる。 《どうぞ桑島美学をおやりなさい》というのが、広島赴任直後に先輩同僚からもらったエールだった。自分の育った/学んだ土地からすこし離れている。しかし、広島芸術学会のような同好の集まりが近くにある。こうした環境は、心の裡をじっと見つめ、わが学問の指針を見定め、それを鍛え続けるにはよいものだった。故郷上州での原体験をもとに、大阪から広島に至る思索の糸をそのまま織り込む。これが、最初の本『崇高の美学』(講談社選書メチエ、2008年)での試み。「石」や「山」にかんする美学的試論、「崇高」をめぐる欧米での理論展開史、「歴史的崇高」としての原爆ヒロシマ論など、若さいっぱいに、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ。 もうひとつ。広島に来る前後から、「崇高」聖地巡礼のための研究費に近づけた。アイルランド行のはじまりである。結果、「アイルランド人としてのバーク」にかんする歴史的・伝記的研究もまた、僕の仕事の主要部分となった。「巡礼」を重ねるに連れ、バーク的崇高の根は、アイルランドの精神風土、もっといえば、ケルト的な感性にまで達するのではないか、との想いが増す。バークのみた風景を追体験し、それを再現してみたい。こうした野望も胸に宿った。道に迷い牧羊犬に追われた夕暮れの緑野、ひっそりと佇む修道院の庭で施しを享けたスコーンと紅茶、霧のなか「妖精女王」の城をかすめて流れる琥珀色の大河、古代ケルト王の伝説が残る平原の巨大岩城。これらは、僕をとらえて離さない鮮烈なイメージの群れだ。 アイルランド表象をめぐるイメージへの興味は、『アラン』(R・フラハティ)や『静かなる男』(J・フォード)にはじまり、『フィオナの海』(J・セイルズ)を経て、『ONCE ダブリンの街角で』(J・カーニー)、『フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス)に至る、「アイルランド映画」の考察を呼び込んだ。そこにはいつも、アイルランド的感性とは何か、という問いがあった。映画への寄り道を介して浮き彫りとなったのは、「メタモルフォーゼの美学」「インターフェイスの存在論」といった世界観。また、「ケルトの女戦士」「肝っ玉おっかあ」といった人物造形の系譜である。それは、「海」の崇高さとも共鳴していた。 告白しよう。このような「たおやかで」「強靭な」地母神的な文化気質の析出は、私の実人生を支える女性たちとの交歓の日々なしには不可能だったと思う。『崇高の美学』の次のステップとして、今秋9月初旬、『生と死のケルト美学―アイルランド映画に読むヨーロッパ文化の古層―』(法政大学出版局、2016年9月8日発売)を世に問う。この本はまさに、僕の研究を画するおおきな里程標であり、人生の「小括」となるべき挑戦なのだ。
● 平成28年度総会・第30回大会報告
平成28年度総会は以下のとおり行われた。
・場 所:広島県民文化センター サテライトキャンパスひろしま 5階 大講義室502 ・次第:
第1号議案 平成27年度事業報告並びに決算について
第2号議案 平成28年度事業計画並びに予算案について
第3号議案 委員選挙および平成28・29年度役員について
【大会(研究発表・シンポジウム)】 第30回大会は総会に引き続き、以下のとおり二日間にわたって行われた(詳細は別添資料に掲載)。 7月17日(日)
創立30周年記念座談会「広島芸術学会の30年の歩み―その回顧と展望―」 (ホテル メルパルク広島 5階「桜」の間)・・・参加者50名。 創立30周年記念祝賀会(ホテル メルパルク広島 5階「椿」の間)・・・参加者40名。 7月18日(月)
・・・参加者59名。 ※上記の参加者数はすべて非会員を含む。
● 大会研究発表報告 研究発表報告① カタルーニャ・ムダルニズマの装飾家ガスパー・ホーマーの室内装飾 発表:吉本由江(長崎県美術館学芸員) バルセロナで開催された1888年の万国博覧会を契機として、スペインのカタルーニャ地方では「ムダルニズマ(モダニズムを意味するカタルーニャ語)」の動きが活発化する。この時期の建築家としてもっともよく知られるはガウディだが、ムダルニズマに限ってみればその代表的デザイナーはカタルーニャ音楽堂などを設計したリュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネーだろう。 今回吉本氏がとりあげたのは、そのムンタネーと協働した家具職人・室内装飾家ガスパー・ホーマーである。あまり日本では言及されることのなかったホーマーの紹介として、たいへん貴重な機会となった。 マジョルカ島に生まれたガスパー・ホーマー(1870‐1955年)は13才でバルセロナに移り、様々な装飾芸術を扱うフランセスク・ビダルの工房で活動を始め、1893年に独立した。家具職人としては寄木細工の完成度の高さに特徴があるが、その活動はムダルニズマの盛期に建築家から室内装飾を委託されたことにより新たな広がりを見せた。ムンタネー設計のバルセロナのリェオ・モレーラ邸改装(1907年)において、ホーマーは、カーテンやタピスリーといったテキスタイルから、木工家具や床、ステンドグラス、モザイク、最新の電気照明まで装飾全般の指揮を執った。また同じくムンタネーのカザ・ナバース(レウス)でもホーマーは室内装飾全般を委託される。 発表ではジョゼップ・ペイなど他の工芸家との共同作品、アール・デコ風の表現をみせる晩年のものまで、多くの図版でホーマーのほぼ全体像が示され、会場ではカタルーニャ語の表記などに及ぶ幅広い質疑が行われた。
研究発表報告② 1960年代の日本語専攻精読教科書にみる中国の国家的教育思想 ―北京大学編『日語』所収の芸術テキストの分析を中心に― 発表:宮 琳(東亜大学大学院博士後期課程) 1972年、田中角栄総理大臣の訪中に伴い、戦争や冷戦によって暫く断ち切られていた日中両国の国交は、正常化へと向かった。その後、両国は互いに留学生を派遣し始め、多彩な文化交流を展開してきた。ところで、国交がまだ回復していない1960年代の中国には、どのような日本語教育があったのか、またどのように実施されていたのか。それは興味深く、重大な研究意義を持つ課題である。この問題について、宮氏は、1963-64年に編纂され、多くの大学に使用されていた日本語精読教材である『日語』(北京大学・陳信徳編)を分析対象として、詳細な解明を試みた。 分析方法として主に用いられたのは、作品を出典、出版年、著者によって分類するという基礎分類法と、作品の性格やジャンルを分析する際に役立つ書籍十進分類法である。氏の調査によれば、教材には、主に日本の小中学校の国語教科書から、柳田國男など当時の中国政府の政治的イデオロギーに合致するあるいは支障がない政治・思想界のリーダーの文章を採用し、ノンフィクションより、フィクション作品のほうが多いことが明らかになった。さらに、結論の部分において、当時の中国政府の教育方針は、学習者の語学的需要に従って作品を選ぶのではなく、政治的需要しか考えないという従来の通念に対し、宮氏は、 データの分析に基づいて、芸術性を尊重してテキストを選定している面も顕著であるという独自の見解を示し、通念を鋭く批判した。 質疑の際には、活発な議論が行われた。これらの議論、例えば歴史的比較を通じて中国政府の日本語教育理念の変化を究明することは、学術価値のみならず、改めて中国の文化動向を観察する必要があるわれわれ若者にとっても、極めて重要である。
研究発表報告③ なぜプラトンは悪しきミメーシスで語るのか ―『国家』第一巻の分析を通しての詩人追放論の再解釈
発表:横道仁志(奈良芸術短期大学非常勤講師) 西洋中世美学研究の精鋭である横道氏による報告は、才人による手すさび的研究としてではなく哲学・美学史の基礎論点に対するユニークな解釈を期待させた。詩の話法のうち避けるべきは「悪しきミメーシス」である直接話法(模倣による叙述)であるが、じっさいにはプラトンの対話編が直接話法で書かれているのはなぜか。その問いを出発点として、氏は<anabasis>の思想家プラトンのテキストにおいて<katabasis>の語法に注目する。それは非アテーナイという「異邦人の場所」であり、その場所で哲学者がイデアの高みから大衆のもとへと「下降」して哲学を説くことでもある。プラトンの『国家』第一巻にまつわる偽書説を払いのけるべく、第一巻のうちに開陳されているプラトンの志向を吟味することで、残りの巻との連続性と整合性を<katabasis>に求める。そして、プラトンは(第10巻で展開される)本来追放にも課せられるべき詩人の語法で語る理由は、哲学者が大衆に語るために「快楽」原理を採用して「美しく語ること」を選ぶからである、と。ここで評者には釈然としない。「下降」は納得するとして「美」は「快楽」よりも「イデア」(真実在)の相関として捉えられなければ哲学的に無意味であり、詩人による模倣の快楽を否定するからこその詩人否認はまだ有効であって、氏の論旨は逆説を成立させていないのではないか。
研究発表報告④ 成田亨がキャラクターデザインにもたらしたもの 発表:坂口将史(九州大学大学院博士後期課程) 坂口氏の発表は、怪獣をデザインしたことで知られるデザイナー、彫刻家の成田亨に焦点を当てた研究であった。その目的は、ウルトラマンシリーズにおける成田の怪獣デザインの考え方の歴史的な位置づけや、そのデザイン理論を探り、その今日的な意味を探ろうという試みである。 西洋におけるモンスターは、既成の生き物を巨大化させたり、その部分を合成する「同存化表現」をさせたり、奇形化させたりしてつくられてきた。日本の1950年代のゴジラにおいて、美術監督の渡辺明は、恐竜ティラノサウルスという既存種の傍系という枠組みの中に怪獣(ゴジラ)を位置づけようとした。 これに対して、成田は、既存の動物を巨大化させるだけのトリックに頼らない、「同存化表現」はするが奇形化はしない、体に傷や傷跡をつけない、血を流させないという「怪獣三原則」を打ち立て、実践していった。さらに、既存種の傍系という位置づけを廃し、未知の生物種として怪獣を位置づけた。それによりその新奇性が担保されるようになった。 成田の未知の生物種としての怪獣というこの考え方により、毎週のように登場する怪獣を無限に創造することが可能になったと坂口氏は強調する。これが、今日のゲームなどのサブカルチャーの分野に影響を与え、多様なキャラクターデザインの創出を可能にしてきたというのである。 坂口氏の成田亨研究はその緒についたばかりと思われるが、今後はその造形的なアプローチや社会学的なアプローチも加味させながら成田を中心とした文化論的な研究を展開されることを期待したい。
* * * * * * ● 座談会報告:創立30周年記念座談会「広島芸術学会の30年の歩み―その回顧と展望」 報告:大石和久(北海学園大学教授) 広島芸術学会は1987年7月18日に広島芸術学研究会として発足した(5年後の1992年に現名称に改称)。その歩みは30年を迎える。今年度の大会ではそれを記念し「広島芸術学会の30年の歩み―その回顧と展望」と題した座談会が、青木孝夫本学会会長(広島大学大学院教授)の司会でホテル・メルパルク広島にて開催された。 初めに、本学会の設立者の一人で初代代表委員の金田晉氏(広島大学名誉教授)が本学会創設の理由をお話になった。それは大学院生の研究発表の場を確保するためということであった。関西圏の大学では美学会が主催する発表の場がある。しかし、広島から院生が発表のために関西まで出かけて行くには少し遠い。美学会の中四国支部ということも考えられたが、地理的条件から中四国の研究者を広島に集めるのは難しい。それで広島に限定した学会を創設することになったとのこと。こうやって本学会は広島の地に誕生し、芸術をめぐってこの地に根ざした活動を展開してきた。神林恒道氏(大阪大学名誉教授)は、このようなローカリティをもつ学会が1980年代後半に誕生したこと、その時代性に注目された。そのころは美術の領域でもポストモダンということが盛んに論じられた時期。西洋中心主義的な芸術観からの転換が求められ、芸術のもつローカリティが重視され始めた時期である。このような時代の要請に本学会の創設はぴったり符合している、と神林氏はおっしゃった。広島芸術学会が1980年代後半に広島という地方に誕生したことの歴史的意義と、そのいわば歴史的必然性についてのご指摘であった。袁葉氏(広島大学非常勤講師・エッセイスト)は中国語の通訳として広島芸術学会に関わった思い出をお話になった。広島芸術学会は日韓美学研究会や東方美学会との関わりを通じて、広島の研究者が中国や韓国の研究者とが出会い、交流する貴重な場でもあり続けてきた。最後にお話になった松田弘氏(呉市立美術館館長)も広島芸術学会を通じて韓国のアーティストとの交流をもつようになったとおっしゃる。広島芸術学会は広島というローカリティに拠って立ちつつ、主に東アジア圏であるが、国際的にも開かれた学会であり続けてきたことを確認しておきたい。 神林氏が言及したポストモダンの時代は、国民国家の輪郭を曖昧にしてゆくグローバリズムの色彩を強く帯びるようになった。日本社会自体の変容もある意味では免れない。広島という都市に根付いた活動は、そんな時代の投げかける問いにどう応えてゆくのか。広島芸術学会のさらなる発展を祈念して本報告を締めくくりたい。
● シンポジウム報告:「芸術と老年」 報告:西原大輔(広島大学大学院教授・詩人) 第30回大会2日目の2016(平成28)年7月18日(月)午前10時より午後1時まで、シンポジウム「芸術と老年」が開催された。司会は広島大学大学院教授の桑島秀樹氏、パネリストは青木孝夫(広島大学大学院教授)、萱のり子(東京学芸大学教授)、城市真理子(広島市立大学准教授)、大石和久(北海学園大学教授)、末永航(美術評論家)の5名である。30人を越える聴衆が参加した。 高齢化にともない、老人本がよく売れている。ふた昔前、老人は消えゆく世代であり、若者こそが未来の新しい文化を築くのだとする議論があった。「君は若いんだから」という大人の発言は、「君には明るい将来があるんだから頑張れ」という意味だった。現在、同じ言葉は若い人に、「まだ決断を先送りできるから頑張らなくても良い」という含みで受け取られてしまう。団塊の世代は老い、時代は変わった。広島芸術学会も、「老年」シンポジウムで聴衆を集めた。 青木孝夫氏は、世阿弥(1363~1443)の能楽論を取り上げた。演能を樹木の比喩で語る世阿弥は、40歳を過ぎたら能は下がるばかりだとしていたが、後にはどうしたら老年期に花を咲かせられるかを考えた。年輪を重ねることの美的な徳である。 『東アジアにおける〈書の美学〉の伝統と変容』の著者萱のり子氏は、孫過庭(唐時代)『書譜』や王羲之(307~365)を中心に論じた。『書譜』には、「平正(へいせい)」期、「険絶(けんぜつ)」期という考え方がある。平正から険絶を経て、老年に再び平正に至るとされる。一方、王羲之は体調が悪く、薬を飲んで副作用でさらに体調を崩し、53歳で官を辞してから、さらに書に取り組んだ。「蘭亭序」は、51歳の作品であった。 城市真理子氏は、『室町水墨画と五山文学』を上梓している。ここでは、禅の老人像を紹介した。他の登壇者が芸術家の老いを語ったのに対し、城市氏は、禅僧の肖像画頂相(ちんそう)を分析することで、描かれた老いを扱った。そこにはしばしば気概が表出された。頂相は、師に学んだ証明書として、弟子に与えられたものでもあった。 大石和久氏の発表では、ドイツの美学者テオドール・アドルノ(1903~1969)の「晩年様式」論に基づきつつ、映画『アンジェリカの微笑み』の一部を鑑賞した。ポルトガル人の監督マノエル・ド・オリヴィエラ101歳のこの作品は、遠くから長まわしで撮影されている。ハリウッド映画とは対極にある手法であり、世界の肯定という境地ともかかわっている。 これまで老年についてあまり考えたことがなかったという末永航氏は、ミケランジェロ(1475~1564)の老年期を論じた。平均寿命の短い時代にあって、長生きしたミケランジェロは、フィレンツェで豪華盛大な葬式により見送られた。《ロンダニーニのピエタ》は近年ますます人気が高まっているそうである。 最後の全体討論は焦点が分散したが、印象に残ったのは、洋の東西の違いである。老年に通じる枯淡の美を高く評価し続けてきた東洋に対し、西洋ではゲーテを始めとして、青年期を礼讃する傾向が強い。この大きな背景の違いの中で、それぞれ老年がどう位置づけられたのか。この比較文化的な議論は、今後への持越しとなり、午後1時にシンポジウムは終了した。折しも海の日のお昼時、会場を出ると陽射しは眩しく、広島・大手町は祝日の買い物客で、大変な賑わいであった。
芸術展示 第10回展「 不在の存在論 」出品のお願い
隔年で開催されている「芸術展示」を今年度も開催致します。テーマは「不在の存在論」です。広島では、原爆投下により多くのものが失われましたが、それにもかかわらず、私たちのそばに残り続けるものがあるのではないかと思います。 本展では、「不在」であるが故に、逆説的に存在感を持ち得るような作品を展示したいと考えています。必ずしも、「広島」をモチーフとする必要はありませんが、結果として、広島の地において活動をしている本会ならではの展示が出来るのではないかと思います。芸術の諸ジャンルを網羅するような幅広い内容を目指しておりますので、多くの皆様にご出品いただければ幸いです。なお、会場には会員外の若手作家の作品も並べながら、展示に緊張感・広がりを持たせたいと考えています。 □会期
※サイズや材質・技法などについては、計画段階のもので構いません。 〒730-0014広島市中区上幟町2-22広島県立美術館 山下寿水 siestafesta365@gmail.com (企画担当:山下寿水、松田弘、大島徹也) ─事務局から─ ◆ 会費の納入、住所・所属変更のご連絡について 平成28年度会費の納入をお願いいたします。なお、当学会の会計年度は、毎年7月1日から翌年の6月30日までとなっております。 納入にあたっては、同封のゆうちょ銀行払込用紙をお使いいただきますと、手数料が学会負担になりますので、どうぞご利用ください。納入期限は明確には設けておりませんが、9~10月中に納入いただけると有難く存じます。なお、過年度の未払い分につきましても、同一の払込用紙で合わせて納入していただけます。 会費の納入状況を確認なさりたい方は、事務局にお問い合わせください(fax : 082-424-7139,e-mail : hirogei@hiroshima-u.ac.jp)。
ご住所、ご所属等の変更がありましたら、郵便、fax、e-mail等で事務局までお知らせ下さい。 ◆ 新入会者のお知らせ(敬称略) 村上 敬(むらかみ・たかし/日本近代美術、工芸・デザイン、芸術とサブカルチャー) 安部すみれ(あんべ・すみれ/近現代日本画、現代日本の写実絵画) 吉川咲子(よしかわ・さきこ/19世イタリアでのジャポニズムの受容)
─会報部会から─ ・チラシ同封について 会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1,000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は、11月中~下旬の発行を予定しています。 ・催しや活動の告知について
会員に関係する催しや活動を、会報に告知・掲載することが可能です。こちらについても、ご遠慮なく、下記までご連絡、お問い合わせください。
研究発表募集 本学会は、随時、研究発表を募集しています。研究発表申し込み手順については、下記をご参照ください。その他詳細は事務局までお問い合わせください。次回の発表機会は12月の例会となります。
事務局宛てに、郵送またはE-mailにて、お申し込みください。 (2)委員会で研究発表の主題および要旨を審査の上、発表を依頼します。
― 次回第116回例会のご案内 ― 下記のとおり第116回例会を開催いたします。お誘いあわせの上、多数ご参加ください。 歴史の町・呉で『この世界の片隅に』を体験! 季節の変わり目、会員の皆様いかがお過ごしでしょうか。 さて、広島芸術学会の次回第116回例会は、現在、呉市立美術館で開催中の特別展「マンガとアニメで見る こうの史代『この世界の片隅に』展」の鑑賞と、関連のトークイベントへの参加です。 マンガ作品『この世界の片隅に』は、広島市の江波で生まれ育った主人公すずが、呉の海軍軍法会議所に勤める北條周作のもとに嫁ぎ、戦中の窮乏生活の中、毎日を一生懸命生き、本当の自分の居場所と幸せを呉で見つけるお話しです。 広島市西区に生まれ、井口高校で久保田辰男先生に美術を習い、広島大学を経て東京で漫画家になられた こうの史代さんのこの作品が、アニメ化され、この11月12日に全国公開されるのに先だって、この展覧会は企画されました。 展覧会の鑑賞とともに今回ご参加いただくトークイベント「市民と創るアニメーション映画」はまさに、この映画の完成に協力した広島と呉の市民のみなさまにご登壇いただきます。映画という芸術作品が生まれる時、市民にできることは何かをお話しいただく予定です。 なお、時間に余裕のある方は、大和ミュージアム、入船山記念館、呉市立美術館の3館セットチケットを土日限定で、大和ミュージアムのショップで販売していますので、足を延ばされてはいかがでしょう。
日時:2016年9月18日(日)
14:00~15:30 トークイベントへの参加 会場:呉市立美術館(呉市幸町入船山公園内) アクセス:JR呉駅から徒歩15分程度 ※同封の展覧会チラシをご覧ください 集合場所:
展覧会のチケットをご購入の後、13:00に1階のロビーにご集合ください。 館長の簡単な解説の後、展覧会をご鑑賞いただき、その後、時間までに各自トークイベン ト会場の地階講座室に移動をお願いします。 参加費:特別展のチケットが必要です。(一般1000円、大学生600円 他) 参加申込:事前の申込は必要ありません。 その他:ご都合によっては、先に14:00から始まるトークイベントに参加された後、展覧会をご覧になられても結構です。 問い合わせ:呉市立美術館(tel.0823-25-2007) 松田まで。
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