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広島芸術学会会報 第90号
マンガとMangaのあいだ清永 修全 マンガ・ブームである。98年にドイツに足を踏み入れたばかりのときは、まだそこまでのものではなかったように思う。むしろ、一部のアジア・オタクの非売品といったイメージの方が強かった。それが今ではちょっとした名の知れた大きな駅のキオスクでマンガ・コーナーを設けていないところなど珍しくなくなった。たとえば、あるマンガ専門の出版社で2002年までの7年間に売り上げは40部近くに跳ね上がったという事実にも、そうした《変容》の一端を見て取ることができよう。2005年には、ドイツの出版市場においても最も成長した部門となり、目下年間800を超える新刊が陸続と翻訳されているという。その実、もっぱらマンガの翻訳で食べている知人もいるほどなのだ(マンガの《翻訳》も聞くところ、かなり面白そうな世界なのだが)、80年代『はだしのゲン』に始まったドイツにおけるマンガの翻訳・輸入は90年代『アキラ』や『風の谷のナウシカ』、『スラムダンク』や『ドラゴンボール』といったメジャーな作品の出版を経て、今ではほとんど脈絡もないまま次々に新たなものが市場に出されるようになった感すらある。『子連れ狼』のようないわば《古典》と聞いたこともない最新のマンガの翻訳が書店に並んでいるのである。ドイツ人の心情とはおよそ縁のなさそうな『めぞんー剣』のような作品も割合売れているようだ。そうこうするうちに、ドイツの若者達も自分でマンガを書き 始めたと聞く。しかしである。ここでマンガを読むという行為には、端で見ていて何とも言えぬおさまりの悪い《違和感》が付きまとう。そもそもドイツには、マンガを読むという《伝統》はない。まだちゃんと本の読めない子どものための幼稚な読み物にすぎないというコンセンサスと根強い抵抗感が大人達にはある。マンガを真剣に受け止めようとする事が、だからかえって真剣さの欠如として取られかねない。マンガが持っている文化的位置価値が根本的に違うのだ。日本におけるマンガにしても、他の様々な出版物との相対的な関係の中にその存在が意味を持って現れ、かつ消費されていると思うのだが、目下のドイツでのマンガ・ブームは、そうしたコンテクストに小さな変更を加えようとしているようだ。それも、もはや単なる《輸入品》の消費としてではない。そこにあらかじめあった文脈に割り込んでいって、そこで得た独自の位置価値を通して自らの存在を主張しようとしているように思われるのである。おそらく、先の違和感も実はそうしたズレから来ているのではなかろうかと思った。つまりマンガならぬMangaが生まれつつあるのではないか、ということだ。してみると、ここでも私達は《文化の輸入》に伴う根本的な現象と向き合っていることになる。(きよなが のぶまさ・ ハンブルグ大学大学院博士課程)第76回例会報告野外例会「海の見える杜美術館」見学大山 智徳 10月14日、第76回広島芸術学会例会は、「海の見える杜美術館」の「京都画壇-師風の継承とその変化-」の観賞旅行でした。 秋晴れの下、会員18名がそれぞれの車に分乗し、目的地「海の見える杜美術館」へ向かいました。宮島の対岸の山の中腹に見える立派な建物です。宮島からのフェリーでは何度となく、見ていたのですが、美術館への道のりは工事中の道もあり、まるで、カフカの「城」のようにわかりづらかったです。 ようやく駐車場へたどり着き、シャトルバスに乗って美術館入口に到着。駐車場から入口まではかなりの急勾配だったので、シャトルバスに感謝です。 さて、観賞開始。今城学芸課長が最初から最後まで丁寧に説明してくださいました。ありがとうございました。すべての作品の感想は無理ですから、私の印象に残った作品を中心に書いていきます。最初の部屋は彫刻のコンペ作品の展示でした。 材と形、構成等個性的な作品ばかりでした。 さて、いよいよ特別展。第一展示室は塩川文麟、幸野楳嶺、竹内栖鳳の作品展示がありました。漠然とした言い方ですが、日本画っていいなあと改めて思いました。それから、いろいろな流派があることも驚きでした。この展示の中では、塩川文麟の「蘭亭曲水之図」がユートピアのようで、ついつい、私の魂が幽体離脱して作品の中に入り込んでいきそうになりました。幸野楳嶺の「鳳凰図」も強く印象に残りました。 第二展示室は動物画でした。この中では、西村五雲の「獅子図」のライオンの静かなたたずまいにもかかわらず、大胆で迫力ある作品に圧倒されました。また、竹内栖鳳の「白猿」も孤高な感じのするすてきな作品でした。 第三展示室は幸野楳嶺門の四天王の作品展示でした。とりわけ、谷口香?の「若竹図」はみごとでした。全作品中、この作品が私はもっとも好きです。金屏風に日本画の特有の光沢を放つ青緑色、葉と竹の交差したデザイン、全体のバランス・・・。すべてがあまりに魅力的だったので饒舌な私もしばし沈黙してしまいました。 第四展示室は師風の継承者の方々の作品がありました。ここでは、上村松園の「紅葉可里図」が印象に残っています。たおやかというか、なんとも言えぬ気品と色気の融合した美人画でした。 第五展示室は池田遙頓邨の展示でした。「ぐるりとまわって枯山 山頭火」はユーモラスで思わず、心温まる作品でした。 あと、前回の特別展の一部として畳の上に置かれた物語絵が貼り付けられた金屏風がありました。漫画の起源のような印象でした。以上、一市民の率直な感想です。ふと、考えたのですが、作品を観ただけの場合と、作品とその背景を言語で説明するという行為、つまり、作者と鑑賞者と作品という近代の芸術構 と学術的な言説のクロスがあった場合では作品への理解度はずいぶん異なるのだと確信しました。 こうして、館内の展示物をすべて見た後、お茶をするために展望喫茶室へ移動。宮島が一望できるテラスで、テーブルの関係で3グループに分かれて着席。心地よい秋風を受け、立派な椅子に座り、さわやかな気分でさて、飲み物を注文と思って、メニューを見たら、唖然。コーヒーも紅茶も普通の喫茶店の約2倍だったのです。心の中で高いと叫んだと同時に「高い。」と声が出ていました。風景代込みだからしかたないなあと思って味わいながら飲み終わった後、今度は和菓子とお茶が出てきました。これにはびっくり。風景代、椅子代、さわやかな風代と和菓子付き。トータルで、適正価格と納得しました。 駐車場と美術館の行きはシャトルバスでしたが、帰りは庭を散歩しながら下りました。この庭がとても美しく 敵でした。心が洗われ、駐車場で解散。それぞれの道で帰途につきました。 展示物もさることながら、美術館の建物、テラスからの眺望、庭とぜひ、再訪したいと思える美術館でした。まだ、行かれたことのない方は迷いながらでもぜひ、行ってみてください。寄稿・エッセイプリペイドカードの旅袁 葉 北京に住む親友Dさんの息子は、長年日本のアニメにハマっている。独学で五十音図を習得して、いつの間にか日本の歌も歌えるようになった。息子の影響で、Dさんまで日中辞典を使いこなせるようになったそうだ。 そんな話を聞きながら、しおりにでもどうかなと思って、日本の使用済みテレホンカードやバスカードを見せたら、「酷!」(Cool=かっこいい)「酷!」の連発だった。それ以来、日本からのお土産として かせない存在となっている。 昨年春の新学期、里帰りから戻ってきた私に「いつも日本のどんな物をお土産にしていますか?」とある同僚の日本人の先生が尋ねた。「そうですね。以前は日本の物なら何でも良かったのですが、今では大抵の物は中国にもあるので、おまけに、甘い物を気にする人も出てきているし、何にしたらいいのかが悩みの種になりました…。そうそう、意外と使用済みのプリペイドカードがうけるんですよ」と何気なく答えた。 そして夏休みの里帰り前、その先生は「はい、どうぞ!」と私に封筒を手渡した。いっぱいプリペイドカードが入っている。なんと、教え子たちに声をかけたら、たちまち集まったという。 目の前のカードの由来を聞いて、Dさんの目が潤んできた。しばらく沈黙した後、「(!)いいことを思いついた」と言った。一ヵ月後Dさんの職場、中国マスコミ省で文化芸術祭が行われる。日本のプリペイドカードを風景や美術工芸品、アニメ、動植物など、ジャンル別に整理して展示に出そうというアイディアだ。「小さなカードだけど、日本文化を紹介する一つの切り口にもなる」と言った彼女に、「そこに,見知らぬ日本人からの厚意によって、この展示ができたとも書いてください」と私。「いいですね」「そして、日本ではこのカードを国内外の収集家に売って、発展途上国への食料援助や医療支援をしていることも、一筆付け加えてくださいね」「任せてください!」さて、夏休みが終わり、後期の授業初日にいつも学生に話す「最新北京情報」に、このエピソードも含まれていた。 秋が過ぎ、年末最後の授業のあと、一人の男子学生が教壇の方にやってきた。恥ずかしそうに、「先生、まだプリペイドカードを集めていますか?」「ええ、集めていますけど」「良かったら、これをどうぞ」と、カバンから百枚近くのカードを取り出した。そのカードは、今年の春休みに「中国マスコミ大学」で講義をしたあとに学生たちに分けてあげた。「二枚いただいてもいいですか?」と尋ねた女子学生の笑顔が忘れられない。寄稿・イベントリポート明日の神話について出原 均 岡本太郎の壁画≪明日の神話≫の落ち着き場所が決まっていない。幅30mもの大作を収容する空間は、既存施設で簡単に対応できるものではないし、新たに器を建てるとなると相当の費用がかかる。太郎の財団が公のところに無償で贈与するという有難い申し出にも、財政的に苦しい多くの県や市は、なかなか手を挙げることができない。広島市も同様である。 そこで、広島市民の中で、誘致準備委員会が設立されたのが今年の7月21日(会長:山本一隆中国新聞副社長)。「準備」とするのは、より大きな組織である誘致会を想定し、その暫定組織だからである。当広島芸術学会も将来、誘致会参加を目指し、大橋啓一事務局長を委員に送り込んだ。また、今年から市役所の文化担当に配属された私は、職務でこの問題を検討する立場上、オブザーバーとして様々な面で協力することになった。 署名活動、イベント開催、ホームページ開設が誘致活動の3本柱であり、誘致会昇格時に市民、市、太郎の財団それぞれにアピールするため、大きなイベントを実施することになった。場所は、準備委員会が設置場所と考える市民球場。で、その内容は?偶々私が思いついたのが、実物大ジグソーパズルを作り、参加者に組み立ててもらおうというもの。パズルの組み立てと誘致活動がともに市民の手になることを願ってである。この提案は委員の心を捉えたようで即OKが出た。こうなると、志を同じくする者の動きは早い。球場の借用、資金集め、パズル作成(経費上、ジグソー型ではなく、矩形に落ち着く)、広報、ボランティア集めと、作業が瞬く間に進められていった。私はたんにきっかけを作ったに過ぎず、実現に漕ぎ着けたのは委員の情熱と献身の賜物である。 10月27日の当日は公式発表で二千人が参加(当学会も何人かが参加)。内野グランドに設けられた壁画と同サイズの枠の中に参加者が順番にパズルを置いていく。6時30分スタートした組み立ては、2時間後に完成し、盛り上がったイベントは、記念撮影で幕となった。翌日のほとんどの新聞にはこのイベントの記事が載り、アピールとしては大成功といってよいだろう(なお、イベントに多大な労力を費やしたため、誘致会昇格は12月に延期)。 最後にひとこと。この春の現代美術館での「“明日の神話”完成への道」の巡回展に、修復中の壁画の実物大複製を追加展示したので、私がかかわった実物大の複製は今回で2つ目である。市民も2つを見たことになる。次は、そろそろ本物が広島に来てほしいものだ!インフォメーション■PLANET STREET - 2000年後に発掘された〈駅~まち~美術館〉柴川敏之 SHIBAKAWA TOSHIYUKI●日時:2006年11月7日(火)?12月24日(日)営業時間、定休日は場所により異なります。詳しくは下記のホームページをご覧ください。(日曜日、月曜日はお休みが多いのでご注意ください)観覧無料http://www.wican.org/2006/sakura/●場所:京成佐倉駅?栄町?佐倉市立美術館●主催:佐倉市立美術館+Wi-CAN(千葉アートネットワーク・プロジェクト) ●協力:京成佐倉駅前栄町商栄会●問合せ先:佐倉市立美術館〒285-0023 千葉県佐倉市新町210 TEL:043-485-7851http://www.city.sakura.lg.jp/museum/身の回りのものが2000年後、化石として発掘されたら…?京成佐倉駅と佐倉市立美術館。そして、それらをつなぐ通り沿いのお店に、柴川敏之さんの作品「2000年後に発掘された現代の化石」が出現します。のぼり旗を目印に「2000年後の化石」を探してみましょう! スタンプラリーやワークショップ等も盛りだくさん。さて、一体どんな化石に出会えるのでしょうか!?■自由美術広島からのお知らせ差し上げます。追悼文集「小間 野生穂 追憶」2005年9月、自由美術広島で活躍してきた、小間野生穂が亡くなりました。この度、追悼文集「小間 野生穂 追憶」が完成し、好評を得ています(B5判 白黒32ページ 写真・カット24枚)。この文集は、金田晉先生からも原稿を頂き、22名の文章を収録しております。文集を希望される方がいらっしゃいましたら、無料で送付致しますので、下記の連絡先へご連絡下さい。併せて、小間野生穂の遺作展として、本人に多大な影響を与えた二人を加え、「灰谷正夫・清水勇・小間野生穂 三人展」を企画致しました。戦後自由美術広島の系譜を示す貴重な展覧会になると期待しております。是非ご覧下さい。会 期:2007年3月27日(火)~4月1日(日)場 所:広島県立美術館 県民ギャラリー1・2・3室連絡先:〒732-0026 広島市東区中山中町3-36 西尾 裕TEL082-280-1420
〒739-8521 東広島市鏡山1-7-1広島大学大学院総合科学研究科人間文化研究講座気付 TEL 082-424-6333 or 6139 / FAX 082-424-0752 / E-Mail hirogei@hiroshima-u.ac.jp
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