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広島芸術学会会報 第93号
<広島芸術学会第21回大会資料>
●シンポジウム「美術作品と場所」の趣旨説明 広島県立美術館 松田 弘
美術作品が誕生する契機はさまざまである。古代ギリシアにおいては神殿に奉納されるために制作された。神に捧げるために創られたのである。中世ヨーロッパにおいてもやはり神の威光を称えるために大聖堂や無数の教会堂を飾ることとなった。ルネサンス以降も、キリスト教会からの制作委託により美術品が創られ、同時に時の政治権力を握った王侯貴族たちの注文にも応じて制作されていった。 それが、17世紀に入ると、特に富裕な市民層が出現したオランダにおいて、市民たちがあらかじめ制作された作品を、画廊を通じて購入するという事態が生じた。いわゆる絵画市場と画廊の成立である。これにより作品の制作の契機が宗教的、政治的な権力からの注文だけでなく、画家自身の意思に内在するようになったのである。以降、近代から現代に至るまで、画家の自発的な制作衝動が創作上の大きな契機となっている。 そしてこのような作家の自由な制作の契機の中に実は「場所」というファクターがあることを見逃してはならない。この「場所」という要
は、作者たちに完全なフリーハンドを与えることを拒むと同時に、作者自らがこの「場所」の持つテーマ性に大いに感化され、霊感を与えられ、制作上の重要な契機となることがあるのである。 今回のシンポジウムはこのことに焦点を当て、特に「広島」という「場所」性が作品の誕生にどのような影響を与え、かつその誕生以降もどのような関係性を持つに至ったかを、具体的な事例をとおして提示してみたい。そのことによって、「広島」が持つさまざまな意味と局面、つまり時間、空間、都市、政治、人道などが、美術作品とどのように関わってきているのかを知ることになるだろう。それは広島に住む我々にとって、好むと好まざるとに関わらず永遠の課題であり、これからも我々が「広島」という場所を考える時の契機ともなるはずだ。 最後に、今回のシンポジウムによって、芸術と人間と場所の本質的な関係性に少しでも触れることができれば望外の幸いである。
●箏奏者・木原朋子氏のプロフィル
14歳より箏を始める。若岡史子氏に師事。2000年くすのき文芸の里箏曲コンクールにて優秀賞受賞。高校より地唄三味線を始める。04年エリザベト音楽大学演奏学科箏専攻で入学。大学にて脇節子氏に師事。同年NHK邦楽オーディション合格。05年沢井箏曲院教師資格試験首席で合格。現在エリザベト音楽大学4年に在学中。沢井箏曲院教師。若岡史子主催ことのは会、ことのは合奏団所属。
●研究発表レジュメ
①日本近世における「養生」思想について ―
貝原益軒『養生訓』を中心に ― 広島大学大学院総合科学研究科博士課程後期2年 福光由布
今日まで「養生(ようじょう、ようせい)」という語は、東洋においてきわめて広義的に用いられてきた。 例えば中国において「養生」とは、肉体延命をのぞむような神仙医学、つまり道家的立場では、個の人間の「生」を充実させていく理念、ひいては永寿や不老不死などという人類の永遠の理想を語る語として用いられる。一方で、『孟子』に「養其性、所以事天也(『孟子』「巻第十三 盡心章句上」)」とあるように、儒家の立場では、精神的側面における自然的な本性を養う語、つまりは「養性」「修身」の語として用いられている。 近世の日本では、こうした中国における道家的神仙医学の「養生」論を一部受容しながらも、それを〈精神-肉体〉〈欲望-倫理〉の相関に深く配慮していないものであるとして批判した儒(医)学の立場が出現する。儒学者達は、非医療人である俗人を対象に〈医学的啓蒙〉として「養生」論を展開し、それは出版文化の盛行や俗人の生活様式の変化にあずかりながら十七世紀末から十九世紀中頃まで、長く支持された。しかし、この「養生」思想は、近世末期、西欧医学体系が導入されるにつれて次第に終息することになる。 以上のような「養生」論の経緯を鑑みて、今回発表者は、道家的、儒家的、或は日常生活の医学的啓蒙、この三項を明確に区分して「養生」を語らなかった儒学者、貝原益軒(1630-1714)の「養生」論に着目する。古楽を愛好したという彼の考える「養生」とは「楽を失なはざる」ことであり、「詠歌・舞踏」などをして「心を楽しましめ」る術であった。つまり、益軒の思い描く「養生」とは、肉体と精神それぞれに対応するものではなく、身心両面の相関を想定したものだったのである。本発表では、益軒が晩年に著した『養生訓』を主に取り上げ、彼の目指した「養生」観について詳しく検討したい。
②ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 《聖ヨセフの前に現れたる天使》について ふくやま美術館 平泉千枝
フランスの17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作の《聖ヨセフの前に現れたる天使》(ナント市美術館)は、画家の最も完成度が高い作品であると同時に、謎を秘めた作品ともいえる。じつは本作については、その主題の解釈すら完全に定まっているとはいえず、今まで「聖マタイと天使」や「聖ペテロと天使」、または「祭司エリとサムエル」といった様々な主題の候補が挙げられてきた。現在は、「聖ヨセフの夢」、つまりイエス・キリストの養父ヨセフと、その夢枕にお告げに立った天使の姿を表わしたものとする説が最も有力である。ラ・トゥールはこれ以外も聖ヨセフを主題とした《大工の聖ヨセフ》(ルーヴル美術館)を描いており、また「聖ヨセフの夢」という主題も、聖ヨセフ崇敬が盛んであった当時は度々描かれた主題である。しかし本作における問題点は、天使とされた画中左の人物の姿である。美しい少年または少女のような姿で描かれた画中の人物には、ニンブス(光輪)や翼といった、通常天使のそなえる表徴が何一つ見あたらない。これは同時代の天使像と比べても、極めて異例な姿であるといえる。発表では、伝統的な天使の図像や、同主題の図像との比較を通して、ラ・トゥールの作品の特異性を明らかにするとともに、その意味について考察してみたい。
③1930年代中盤のハイデッガーにおけるasthetischの問題 ―
感性の在処と美への問い ― 同志社大学大学院博士後期課程 近岡資明
美学Asthetikという学問領域において、その扱う対象を表すasthetischという語には曖昧な規定が与えられてきた。この語は近代美学の確立者であるカントの用法に照らしてみても、「感性的」「美的」といった二つの意味で用いられている。カント以降の美学においては、もっぱらこの二つの意味のどちらかに意味が限定され議論が展開されてきた。 本発表は、1930年代中盤のハイデッガーの思想を通して、asthetischへの考察を試みる。これまでは彼の芸術論である「芸術作品の根源」(1935-36)の後記で表明されたアイステーシス批判、つまり感性的な受容に対する批判がよく知られており、ハイデッガーにおいてasthetischは「感性的」という意味にのみ限定されると考えられてきたが、同時期のテキストには「美的」なものに関する発言も多く見られる。そこでハイデッガーによるこの二つの意味を貫く包括的なasthetischへの洞察を取り出すのが本発表の目論見である。
④アレクサンドル・チェレプニンについての研究 ―
中国と日本における活動を中心として ― エリザベト音楽大学大学院博士後期3年 王 文
アレクサンドル・チェレプニン(Alexander Nicolayevich Tcherepnin 1899 ? 1977)はアメリカ国籍を持つロシア人作曲家・ピアニストである。1934年に演奏旅行のために極東にやってきた彼は、数週間のみ滞在する予定だったが、当時の中国と日本における音楽状況と中国伝統音楽に深い興味を持ったというきっかけで、数週間の滞在予定を三年間も延ばすようになった。彼が滞在中に両国の音楽を研究し、またその素晴らしさを認め、若い作曲家たちに民族性を持つ音楽を創作することを触発、鼓舞した。 今回はチェレプニンの活動を中心にして発表する。チェレプニンの活動内容を演奏活動、交流活動、作曲コンクール、出版活動、執筆活動の五つに分けて順に紹介していきたい。
第79回例会報告
5月12日(土)、広島芸術学会野外例会は尾道散策だった。JR尾道駅に10時20分に集合。全員で15名。さっそく、タクシー4台に分乗し、なかた美術館へ。私の知らない美術館であったが、桜並木の川沿いにある予想外のすてきな美術館であった。 この美術館、故・中田貞雄氏のコレクションをもとに作られた美術館である。 第一展示室はポール・アイズピリの後期の作品が展示してあった。鮮やかな色彩と大胆な描写でどこか突き抜けたような天真爛漫な作品群であった。第二展示室はアイズピリの30代の作品で、こちらは観念的で思索的な作品が展示してあった。これらの苦悩の時期を乗り越えて魂が浄化され、後期の作品群につながったのだろう。もう1人、ピエール・クリスタンの作品群があった。耳が不自由な中で創作された作品群は形より光におしゃれな魅力を持っていた。きっと女性にもてたに違いないのだが、彼の恋人になった女性たちは彼の感受性にふりまわされたのではないかなどと勝手に想像しながら観賞した。 第三展示室は尾道を描いた作家たちの作品の競演。尾道という街はかくも芸術家の魂を揺さぶる街なのだろうかと驚いた。私の知らない作家たちばかりの作品であったが、私以外の会員のみなさんはこれだけの作家たちの作品をよく収集できたものだと感嘆していた。もちろん、作品のレベルは高い。彼らの視線を通してみる尾道は極めて美的な視点で再構成させてくれる。個人的には中根寛の「尾道黎明」という200号の大作には圧倒された。彼の表現した尾道はかくも美しくイデア的な作品だった。 続いて常設展示。ルオー、コロー、ルノワール、デュフィ、ブラマンク、ユトリロ、キスリング、ドンゲン、マリー・ローランサンというエコール・ド・パリを代表する作家たちの作品が一つの展示室に展示してある。作品のおかれている高さもちょうどいい。額縁もすてきだ。お互いの作品が共鳴しあっている。そこに徐々に興奮していた私を自覚した。 最後の一室は小林和作の作品群。大胆な筆致はたくましい精神性を感じさせた。 そして、ランチ。これがまた、おしゃれですてきだった。すぐれた作家たちの精神との饗宴を楽しみながら味わって幸福なときを過ごした。そして、庭園散歩。山の一角が庭園となっている。日本の庭園っていいなあと感じる。心地よい風とほんわかした陽射しが私を幸福にしてくれる。 13時にタクシーでふくミューゼ(29musee)へ向かう。元々江戸時代の脇本陣で、時代を感じさせる内装だ。いかにも元本陣らしい作りの建物を突き当りまで進む。すると1787年生まれの女性作家、平田玉?の歳時記と思われる屏風に出会う。しばし、観賞。洒脱な筆致に時代を超えた精神ののびやかさを感じる。壁の上にはなぎなたと槍があった。やはり、時代を感じさせる建物だ。別室には鶴を描いた作品が2つ。こちらは高い精神性を感じた。3階にはディズニーの絵本がいっぱい所蔵してあった。また、
画監督大林宣彦の資料もいっぱいあり、興味深かった。圧巻は漫画家・園山俊二の弟さんの園山春ニさんが焚いてくださった4畳半の部屋でのお香。得も知れぬ甘美で柔らかい香りで全身が臭覚を中心に再構築される。初めて、お香の魅力を発見。また、床の間には一抱えもある大きな沈香木が置いてある。これだけ大きな沈香木はお目にかかったことがない。これだけでマンションが買えるとか、貴重な品に出合えて感激である。次の目的地へ向かうため、外へ出て、建物の全体を眺める。近代的なるものと本陣的なるものが融合した建物であり、外観へのこだわりが感じられた。 続いて、歩いて5分、江戸時代の豪商、橋本家の別荘であった爽籟軒の庭園へ。平らな日本庭園である。これで別荘かと思うとため息が出る。穏やかな天気に恵まれ、私も豪商になったつもりで庭を散策。とてもいい気分になった。面白かったのが、庭にある池。現在は少しの水しかなかったが、昔は海の潮の満ち干きによって水位が変わったと伝えられているそうだ。これは村上水軍の動きを庭に居ながらにして把握した装置ではないかとの意見をくださった会員がおられた。言われればそんな気がする。庭の説明をしてくださったおばあさんはとても温厚でその存在自体で心が温かくなった。 15時30分。歩いて千光寺公園行きのロープウエー乗り場へ行く。待ち時間にすぐ近くの艮(ウシトラ)神社へ行く。境内の樹齢900年の巨木に圧倒される。また、縦横5メートルくらいの巨大な石も祀ってある。絵を描いている高校生もおり、和んだ空気が漂っていた。 ロープウエー3分で頂上へ。そこで、みんなで大きな木製の長いすに座り、なかた美術館に展示してあった尾道の作品の視点と重ねつつ尾道の景色を眺めながら、ソフトクリームを食べる。私は桜とバニラの2色のソフトクリームを食べたが、量も多く、満足。 そして、尾道市立美術館へ。ポスター作家のレイモン・サヴィニャック展を観る。残念ながら私にはポスターを観るという観賞技法が完全に
落しており、作品の価値はわからなかった。ただ、彼のポスターには多くの人を引き付け、動かす力が宿っていることは会員の方々の観賞態度から伺うことができた。その後、美術館の喫茶室でお茶をし、ここで解散。 たまたま浄土寺で開かれる広島文化賞を受賞している尾道薪能があることをポスターで発見。観賞したいという6名の会員と尾道ラーメンを食べいという会員で歩いて山を下り、船着場のすぐ横にある中国料理店で全員、海鮮塩ラーメンをいただき、2度目の解散。 私もせっかくなので薪能を観賞することにした。薪能を観賞するグループは急いで浄土寺に向かう。会場は700名でいっぱい。能のファンの多さに驚かされる。狂言「呼声」で笑った後、仕舞「玉鬘」「小鍛冶」で「動」の身体を観賞。あたりが暗くなり始めた頃、薪に火がつけられ、幽玄なムードの中、最後に能「花月」を観る。能の基本的な知識さえない私だが、しだいに音楽と舞いで非現実と現実の境界で魂が幽体離脱を起こし始める。日本で600年以上続く、伝統芸能をしばし堪能。8時終了。 余韻の残る中、これで、尾道とお別れとなった。私は何度も尾道を訪れているが、私の知らない尾道を教えていただいた貴重な1日となった。いつも周到な準備をしてくださる事務局のみなさん、ありがとうございました。
(広島中央郵便局 大山智徳)
インフォメーション
★「西部国展」の紹介と観覧のご案内 (広島芸術学会第21回大会が開催される7月28日、同じ広島県立美術館で同時開催中)
日本の抽象から具象まで絵画
形表現分野で活躍する作家が多数所属する公募団体、在野団体最大規模の国画会を母体として、西部国展は広島以西の出品者で構成された公募団体です。 出品者約70名、大作約110点余を一堂に展覧、西日本においての美術文化の振興発展に寄与することを目的としています。西部国展の沿革は、九州では知られた抽象画家宇治山哲平を中心に、1985年、国展本展が大分で開催したことが土壌となり、1996年広島以西の国展出品者約40名が一堂に会し、田川市美術館において第1回西部国展がスタート。以後、九州各県で毎年開催される。昨年は、第11回展を広島で開催して新たな局面を見せることとなり、今年の第12回も引き続き広島での開催となっています。ところで本年の国展は、六本木にある新設の国立新美術館、貸し会場(5部門室内約10,000㎡、野外1,260㎡東京都美術館時代より約3倍)で全室借り切り、第81回国展を開催しました。観客者数も倍増し推定8万人を超える大規模な展覧会となっています。日本での新たな美術動向を示す国展の一つの局面である西部国展を紹介したい。
(西部国画会事務局 吉井
章)
★資料展、シンポジウム、ミニ・トーク案内 「広島に帰ってきた峠三吉の『原爆詩集』の草稿」
昨年(2006年)の11月に峠三吉の『原爆詩集』の刊行直前のものと見られる草稿が峠三吉の甥・峠鷹志氏宅で見つかり、「広島に文学館を!市民の会」に寄託されました。かつてこの原稿を見た人はいたようですが、皆高齢化し、あるいは故人となっていて、長らくその所在が不明でありました。今回の再発見と市民の会への寄託を受けて、その重要性に鑑み、広島平和記念資料館と相談し、同館の東館地下1階情報資料室で5月15日から8月20日まで展示することになりました。なお、土・日・祝日は閉室ですが、8月4?6日は開室されます。 『原爆詩集』は1950年6月の朝鮮戦争勃発と、その後の朝鮮半島での南朝鮮(韓国)を支援する国連軍の苦戦を受けて、アメリカのトルーマン大統領による原爆再使用声明(同年11月)がなされ、緊迫した状況下に書かれました。当時の日本は敗戦後のプレスコードによって原爆を悲惨なものとして描くことは許されませんでしたが、広島で被爆した峠三吉は原爆の再使用を許してはならないという強い思いによって『原爆詩集』の刊行を決意し、翌年夏(「あとがき」には1951・6・1となっています)孔版(謄写版)印刷で出版しました。 今回発見された草稿の「あとがき」には1951・5・10とありますが、赤インク、青インクや鉛筆で多くの書き込みがなされ、推敲の跡がよく分かるとともに、緊迫した状況下にあっても統一された丁寧な字で書かれていて、彼の沈着な精神の激しさとねばり強さを如実に感じることができます。この草稿を中心に、「広島に文学館を!市民の会」は平和記念資料館と広島市立中央図書館と共同して、資料展「ちちをかえせ ははをかえせ??『原爆詩集』のできるまで」を開催するとともに、シンポジウム「峠三吉を語る」(6月30日:午後2時より、平和記念資料館地下1階・会議室(1)にて:パネリストは御庄博実、相原由美、池田正彦、海老根勲)ならびにビデオとミニ・トーク「みつめなおす原民喜・峠三吉」(7月14日:午後2時より、平和記念資料館地下1階・会議室(1)にて:講師は水島裕雅)を開催いたします。 『原爆詩集』は戦後の日本を代表する詩集の一つであり、核兵器の開発と核戦争の危険が去らない現在において今なお重要な詩集であります。どうぞ皆さま、被爆63年目の夏、また峠三吉生誕90年の年に、峠の詩集とその業績を振り返るために平和記念資料館にお出かけ下さい。(なお、シンポジウムとミニ・トーク当日は土曜日ですが平和記念資料館の計らいで情報資料室は午後開室してもらえることになりました。入場は無料です。)
(「広島に文学館を!市民の会」代表 水島裕雅)
★金属工芸「木本一之展」
会期:2007年9月11日(火)~16日(日) 11時~20時(最終日17時まで) 会場:gallery
G(広島市中区上八丁堀4-1 公開空地内(TEL082-211-3260) 内容:鍛鉄技法を用いて制作した作品や鋼板を溶接で組み立てた新作「鉄のオブジェ」 約15点を展示します。
★藍染めのワークショップ 「第8期 野で育て創り還す~蓼藍の生葉染から沈澱藍まで~」
古代より藍染をする民族はたくさんいますが1つの国で含藍植物が4種類も成育している国の民族は他にいないと思います。日本にはマメ科のインド藍、キツネノマゴ科の琉球藍、タデ科のタデ藍、アブラナ科の大青が自生や栽培されています。このワークは、栽培が易しく唯一の1年草のタデ藍を育て、色を貰う6日間ワークです。
主 催:アースネットワーク 共催 西光寺 日 時:7月17日(火)10時~7月22日(日)16時 会 場:三次市吉舎町敷地610 西光寺 講 師:角 寿子(染織家) 天然染料顔料会議理事 参加費:30000円、宿泊1泊2500円 食 事:<精進カフェ>1日3食2500円 材料代:無漂白布と麻生平、絹布、摺り刷毛、渋紙など実費 問い合わせ・申し込み先: ①
西光寺 三次市吉舎町敷地610 TEL0824-43-3029 ② アースネットワーク広島(常田)TEL082-262-2152 広島市南区段原2-18-11グリンSHIATSU内
*作業工程の関係で1日のみの参加は不可。 *生葉染は絹、顔料摺り染めの布は全て無漂白綿か麻生平を使用します。 *受講生の方にはテキスト集や秋に藍や日本茜の種、他を配布します。 *2006 ユネスコ天然染料シンポジウムの報告や資料等用意しています。
■事務局から 会報第92号に掲載の寄稿文のタイトル「一見如故(y jinr g)」は「一見如故(「yi jianru gu」、文中の『白黒』は(白黒)の誤りでした。訂正してお詫びいたします。
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