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広島芸術学会会報 第94号
展示の空間 展示される空間も美術作品の一部だ、という考え方がある。事実、作品がどのような環境に置かれるかによって、その印象は大きく変わってしまう。そのため、展示空間とは作家とその他の展示に携わる者にとって、大きな関心事なのである。 たとえば現代美術におけるひとつのジャンルであるインスタレーションとは、空間における配置のされ方自体を重要な要素とする表現であり、非常にポピュラーな表現方法のひとつとなっている。また、絵画をはじめとする平面作品であれば、その作品の何倍もの面積の壁面に1点だけ展示されていることも少なくない。贅沢な空間の使い方だが、これが適切な展示方法とされることもある。つまり、作品以外の要 が鑑賞に影響しないことが求められている。あるいは逆に、ひとつの作品がいかに大きな空間に緊張感を与えられるか、という点を表現の強度と捉える見方も可能だろう。より多くの作品を見せることよりも、それぞれの作品をよりよく見せたい。そんな理由によって、ゆったりとした展示が行われることも多い。 ただし、それが唯一の方法ではない。たとえば大竹伸朗という作家。絵画作品のみならず、写真や廃材、印刷物などを素材としたコラージュや立体作品、そして絵本制作、音楽活動まで、さまざまな領域で、さまざまな手法を駆使し、膨大な作品を生み出し続けているアーティストである。このたび、広島市現代美術館では9月15日から11月25日にかけて、「大竹伸朗展 路上のニュー宇宙」と題した展覧会を開催する。本展で紹介するのは未発表作160点あまりを含む約630点の絵画、水彩、 描、彫刻などである。3万点を上回るともいわれる大竹伸朗の創作のスケールと比べると、この作品数はほんの一端を垣間見せるにすぎないものだが、私たちの美術館としては異例の点数である。 しかし、それ以上に強調したいのは、その密度だ。展示室は作品で埋め尽くされ、ゆったりと余白を持たせた展覧会とは全く異なる体験をもたらすことになるだろう。コーナーによっては、個々の作品の独立性が失われ、まるでひとつのコラージュのように作品が影響しあうかもしれない。そのような空間は通常我々が演出するものとは全く異なる意味を持っている。このエッセイを書いている時点では、その展示空間がどのようなものとして成立し、機能するのか明らになっていないが、より多くの人々に衝撃をもって受けとめられることを期待している。松岡 剛(まつおか たけし 広島市現代美術館学芸員)広島芸術学会第21回大会報告★研究発表① 日本近世における「養生」思想について ―貝原益軒『養生訓』を中心に―発表:広島大学大学院 福光 由布 本発表は、江戸前期の儒家貝原益軒の『養生訓』に焦点を当て、まず「養生」という概念が中国から日本へ輸入された経緯とその受容を明らかにし、さらに『養生訓』における「楽」「私慾」「富貴」の解明を通して、貝原益軒養生論の意義を改めて論ずるものである。 氏は、まず中国における養生という概念の発展を医術・養生術・五行・?緯などの方術を伝統的に継承している道家的養生と、理気二元論を包摂することで諸器官連鎖論と精神主義養生論を支えた儒家的養生によって、把握する。道家的養生は、生命の永続と賦活を目的とし、身体・精神両面の健康を保持・増進しようとするものであり、儒家的養生は、「礼」の実践による「修心」の結果(「仁」)として長生がもたらされ、人間の天与の本性を涵養するものであり、道家的養生と儒家的養生が中国においてそれぞれの仕方で展開されたと指摘した。 こうした中国の養生論の日本における受容について、氏は次のようにまとめた。まず、中国の養生論、特に道家的養生論は、古代期の日本の養生論の基調となった。そして、十七世紀末から十九世紀中頃まで、古代期に受容された道家的神仙医学に対する儒医学の立場からの批判が現れ、また、織豊時代に朱熹の性理説に基づいて形成された「李朱医学」の輸入によって、中国の養生書を祖述したものである田代三喜、曲直瀬道三らの『摂養要訣』『延壽撮要』の養生書が書かれた。後に、曲直瀬一門による説が観念的認識にすぎないと批判され、より経験的、実証的な診断、治療を標榜する「古医方」学派が形成された。益軒の『養生訓』は、このような背景のなかで著された。 益軒の『養生訓』について、氏がまず指摘したのは、益軒の養生論は、伝統的儒家の養生説の範囲を越え出ではいないが、その一方、積極的に道家の養生術を取り入れた。さらに、氏は、益軒の「養生の要訣」としての十二個の「少」は、孫思?の「十二少」を継承しながら、「笑」「楽」「喜」の諸項目が削除されたことに注目した。そこで、氏は、この三つの項目が削除された理由を掘り出すことによって、「楽」を用いて養生を説いた益軒の養生論の独自性を見出そうとした。 益軒において、本来自身に備わった「内の楽」の発揚が、耳目を満足させ、情操を豊かにする「外の楽」の助けをもらった際、自身の元気を保持することができる、というような養生における楽の働きが構想される。一方、「外の楽」にも人間に苦しみや不利益を与え、「私慾」へと駆り立てその身を損わせる「世俗の楽」が含まれる。こうした人を苦しめる「楽」がさらに「富貴」と結ばれて「富貴」を求めすぎることが先天的に存する「内の楽」までをも失わせてしまうと説かれる。こうした人を苦しめる「楽」の存在に対して、益軒は「きはまりなき楽」を天地自然のうちに自身が見出せる「楽」と見なし、「身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽し」み、「身に病なくして、快く楽」み、「命ながくして、久しくたのしむ」ような人身の健康保持にきわめて有効的な「三楽」を唱え、「三楽」と養生との関係を明示した。ここで、益軒の目指した養生とは身心両面の相関を想定し、「心」が「和楽」であるという精神的保養と血気をめぐらすために「身」を動かすという肉体的摂生との調和によるものである。こうした心身の一元的「楽」を提唱した益軒が賞賛するのは、音楽、詠歌、舞踏であった。音楽、詠歌、舞踏などによる精神的、肉体的「楽」が「人のむまれ付きたる天地の生理」であり、これを積極的に楽しむことが「天地の道理」と主張されたのである。 氏は、以上のような益軒の養生論の最たる特徴は、この「楽」を古楽や舞に適応し、心身両面の「楽」が養生の道へ繋がると強調したところにあると結論付け、西欧医学体系が導入された今日における益軒の養生論の意味を提起した。中国と日本における養生の発展を辿りつつ、益軒の養生論の意味を論じた今回の発表は、非常に興味深いものであり、様々な面において考えさせられた。(報告:広島大学大学院 陳 貞竹)★研究発表④ アレクサンドル・チェレプニンについての研究―中国と日本における活動を中心として―発表:エリザベト音楽大学大学院 王 文 アメリカ国籍を持つロシア人の作曲家・ピアニストであるチェレプニン(1899-1977)は、1934年に演奏旅行として極東を訪れた。その際、中国や日本の音楽状況および伝統音楽に興味を持ち、数週間の滞在予定を3年間へと大幅に延長した。彼はその間両国の音楽について研究し、結果若い作曲家たちに多大な影響を及ぼした。今回の王氏の発表は、「作曲家」あるいは「ピアニスト」としてではなく、「教育者」としてのチェレプニンの側面に注目し、彼の両国での具体的な活動に関する詳細な調査報告であった。以下、その内容について簡単に紹介しよう。①演奏活動:中国における二つの演奏会「歓送斉爾品(チェレプニン)先生音楽演奏大会」(1935/1/19)「歓迎斉爾品先生演奏会」(1936/6/26)、および日本での「近代音楽祭」(1936/10/5~10)にて、自身あるいはロシア人の作曲家のみならず、両国の作曲家の作品を初めて演奏プログラムに用いた。②教授・交流活動:中国では国立音楽専科学校の名誉教授として教鞭をとり、それ以外に個人レッスンも実施した。また日本では個人レッスンのみならず、「新興作曲家連盟」に属する音楽家たちと交流を持ち、影響を与えた。③コンクール:両国での滞在中に自費で作曲コンクールを開催した。中国の「徴求有中國風味之鋼琴曲(中国的ピアノ作品募集)」と日本の「チェレプニン賞」(伊福部昭の《日本狂詩曲》が有名)である。その目的は、両国の「国民的音楽創作」の奨励にあった。④出版活動:チェレプニンは、日本および中国の若い作曲家の作品の出版を依頼したが、興味が無い、難しいとの理由で出版社に断られた。そこでチェレプニン自らが機関を設立し、全39巻からなる「チェレプニン・コレクション」として出版した。この出版事業は、経費や売り上げから考えて決して「ビジネス」ではなく、純然たる慈善・教育的活動であった。⑤創作・執筆活動:チェレプニンは、中国・日本において「自国の」民族音階に基づいたピアノ教則本が無いことを憂い、すぐさま研究し創作した(日本では未完だったようである)。また、両国の音楽・音楽家に関し、欧米の新聞・雑誌に紹介の意味で記事を寄せた。 以上から窺えるように、チェレプニンは多岐にわたって両国の音楽教育活動に精力的であったようだ。今回の王氏の発表は、あまり知られていない「教育者」としてのチェレプニンに関する、氏の丹念な調査に裏づけされた極めて具体的且つ詳細な報告であったが、当然そこからは、両国の西洋音楽教育の黎明期における、史的視座からのチェレプニンの意義・役割が問われよう。もっともそれは氏自身も次の課題として自覚しており、研究の本来の目的はむしろそこにあるとのこと。チェレプニンという個人の問題を史的枠組みから捉え直すことで、より広がりを持った研究となることが期待されよう。先行研究もまだなされていないようなので、今後の成果を待ちたい。(報告:広島大学大学院 上野 仁)★エンターテインメント木原朋子さんの箏演奏と現代箏曲についての覚書井野口 慧子 広島芸術学会の発表の中で、楽しみなのが音楽家によるミニコンサートだ。このたびも緊張した研究発表による言葉たちの森の中を、涼やかな風が吹き抜けた。奏者は箏の木原朋子さん。会員の画家、木原和敏さんのお嬢さんである。エリザベト音楽大学4年生。現在ただ一人、箏を学んでいる。14歳から箏、高校から地唄三味線を始めた(実は私も過去20年余り、地唄三味線の稽古に通うだけは通ったのだが、あまりに上達しないので、先生がお気の毒で、ついに昨年見切りをつけた)。木原さんは2004年、NHK邦楽オーディションに合格、05年沢井箏曲院教師資格試験を首席で合格。現在、沢井箏曲院教師、若岡史子主宰“ことのは会”「ことのは合奏団」所属。 彼女の演奏を5月30日(水)、アステールプラザで(伴谷晃二先生作曲)聴かせていただき、ソロ演奏を聴いてみたいと思っていた矢先だった。曲目は10年前に他界された現代箏曲で知られる沢井忠夫の「讃歌」。留め袖の着物地を洋服に仕立てた衣裳で現れて、たちまち沢井の世界へ私たちを引き込んでいった。 20年前、かつて生田流のお姫様といわれた野坂恵子さんが、伝統的な箏の世界を飛び出して、アメリカでの模索時代の後、日本の各地で小さなコンサートツアーをされた。当時、白いシャツ、黒のパンツルックで立ったまま二十弦の箏を叩いたり、はじいたり、谷川俊太郎の詩を朗読しながらの演奏や、キース・ジャレットのケルンコンサートの曲を再現させたり・・・目の醒めるような現代箏曲との出合いだった。(連れて行った当時4、5歳だった次男が帰るなりピアノを体ごと叩いたり、ぶつかるように音を出したり、かなりの影響力だった)。 沢井忠夫夫人の沢井一恵さんの演奏は、5、6年前、住職で画家でもある碓井真行さんの光明寺(広島市東区牛田)で大鼓方の大倉正之助さんとのコラボレージョンを、真ん前で聴いて圧倒された。まるで何かに憑依されたような激しさで、渾身の力を込め、身をよじりながら、あちらの霊を呼び出すような・・・そんな演奏だった。広島芸術学会で一度演奏していただいたこともある榊 記彌栄さんも、その時お会いしたが、昨年、広島三次会での演奏を久しぶりに聴き、一恵さんの流れを継ぐ、女の悲しみ、喜び、情念といった言葉を超える円熟した自然との一体感のある表現に感動した。 また三次出身の元広島テレビ取締役、エッセイストで活躍中の吉村淳さんの姪の吉村七重さんの二十弦箏は、海外でも高い評価を得てきた。つやのある凜とした鍛え抜いた確かな技法で魅了する。 さて、そうした現代箏曲の流れにあるまだ若い、これからの木原朋子さん。その演奏が始まるとたちまち風のそよぎ、木の葉のゆらめき、光の舞いなど・・・心身が浄化されていくようなイメージが湧いた。透明な音色とやさしい響きに、彼女の持つ独特の資質、天性といったものが、垣間見えてきた。演奏後の曲の内容について“自然讃歌”との説明に思わず頷く。もっと聴きたいような余韻を残しつつ終了。 学会後の打ち上げの時、“沢井忠夫は青、一恵は赤と言われる”と木原さんから聞いて納得した。青の流れの今回の音色から、まだ若い彼女の色はどのように変化していくのだろう。楽しみである。ご活躍を心から祈っている。(2007年8月)*研究発表②と③およびシンポジウムの報告につきましては、都合により次号に掲載。インフォメーション■林 晶彦 平和を求める祈りコンサート2007日時:9月17日(月・祝) 17時開演(16時30分開場)会場:ウエストプラザ5階サロン (紙屋町交差点みずほ銀行南側・広電紙屋町駅徒歩1分)料金:3500円(前売り3000円)内容:宮沢賢治の舞台音楽や「エヴァンゲリオン」のピアノソロを手掛けたことで知られる林 晶彦さんのピアノ演奏会。「心にしみわたる」という表現がぴったりの澄んだ音色をお楽しみください。申し込み・問い合わせ:グリンSHATSU(常田裕生)TEL:082-262-2152(10時~19時)E-mail:htnejhdj@yahoo.co.jp■川崎理恵 心の部屋日時:9月19日(水)~25日(火)10時~18時30分(初日は正午~、最終日は16時まで)会場:ギャラリーブラック(広島市中区鉄砲町4-5)TEL082-224-4569■西条・酒まつり 左手のピアニスト・智内威雄の「蔵シックコンサート」日時:10月13日(土)14時~、10月14日(日)11時~、14時 合計3回公演会場:賀茂泉酒造(東広島市西条上市町2-4) 入場料:2000円(全席自由席)問い合わせ:賀茂泉酒造 TEL082-423-2118■事務局から年会費の振込用紙は次の会報送付時に同封いたします。
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