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                                            広島芸術学会会報 第95号

 

 

永徳が描いた信長の顔

 「伝」も「派」もつかず真筆と定めて、狩野永徳筆の《織田信長像》(絹本着色、大徳寺蔵)がこのたびの初回顧展・京博に出陳されている。いま、その図録掲出の信長の顔を観察している(同じものが永徳特集の「芸術新潮」11月号にも載っている)。叙述してみる。
 左4分の3向きの面差し、眼球は黒丸に一重の同心円。上瞼ふちは墨太線。睫毛は留意していない。上瞼部、左右不均等のしわ。特に右瞼は不正常で乱れた印象。眉は単調。鼻は不自然に大きい。暈しがあって立体感の意識がある鼻梁の線は額まで伸び、その両脇に額のたてじわ(都合3本)。頭部は概念的で量感 如、特に後頭部。髪は少ない。さかやきを剃っているにしても薄毛。耳、ひきつったように不格好。唇、薄く貧弱。特に下唇には卑しい印象。上下唇の境は左右の端で針でも刺さるかのような細い墨線が附されている。あごは小ぶりに突出。あごひげはなく、上下2ヵ所の口ひげ。
 僕の初発の感想は作者を画学生に見たてて、「キミねぇ、エカキがこんなヤクザみたいなヤツとつきあいだしたらオワリだよ」という老爺心ながらの仮想の説教。まるで品のない絵だ。《伝源頼朝像》の貴品と比べてみてほしい。品位だけでいうと(注目すべき研究に基づく制作年比較を示すと)1582年6月―83年6月の間に制作されたこの信長は1345年の伝頼朝こと足利直義像に遠く及ばない。 「陰鬱な表情」「不気味で病的」とは永徳《檜図屏風》に対する山本英男氏の創見のある評言だが、《檜》に先立つこの《信長像》に向けられてこそ、その批評の焦点が合致すると思う。
信長は元旦の祝宴で、漆を塗り金箔をかけた敵将の頭骸骨を肴にする人物である。延暦寺・興福寺・高野山弾圧、荒木村重一族、家臣への徹底的残虐をはじめとする、敵・離反者だけでなく、自分の家臣・女房たちへの異常な「成敗」。執拗かつ気まぐれに虐殺をたのしむ残酷ぶり(鈴木良一『織田信長』岩波新書)。
 近年紹介されたというこの《信長像》に研究者みな「威圧感」を指摘する(宮島新一『肖像画の視線』吉川弘文館 1996、九州国立博物館「美の国日本」展図録2005)。「どこか近寄りがたい、凄みのある顔立ち」「刃向かう者に対する容赦ない態度と激しい気性」(山本英男、本展図録)。
 信長像には本図のほか、(A)宗秀、1583、長興寺、(B)常信、総見寺、(C)不詳、総見院、(D)不詳、大雲院がある。大徳寺にはもう一幅、江戸期の作があるというがそれは別にして、この(A)~(D)いずれも本図が祖型。しかし、「威圧感」は失せ、柔和化していくようす。(A)の作者は永徳の弟。鈴木良一の新書の口絵など、よく使用されてきた。が、村夫子然として毒がない。凡庸な信長像などは見たくもないが、といって本図の如き凶悪の像と一緒の家にはいられない。気の滅入る嫌な絵。
 再度慎重に見る。永徳は形をよく観察してはいない。狂ったデッサンというより、デッサンをとること、形態を把握しようとする志向がないのである。永徳真筆を承認しその上で言うが、永徳は対象の人間を前にして描く訓練はしていないのだ。1565年9月の《洛中洛外図》の群小人物たちはあれほど小気味よく、スタスタ歩き、走っているのに。省筆の身体は律動的だが、2500人の登場人物の顔は皆、無表情に近い。大人・子どもの弁別は丈の大小に過ぎない。
 《二十四孝図》《仙人高士子図》らの中国人物ら、いずれもぎこちない。普通に目にする人間の表情を彼は生き生きと描けたことがあったか? 格式と体裁ばかりの家門制度のなかの粉本メソッドの英才教育の犠牲としての永徳のマイナス側面。
 ひとつの納得はこの信長像、寿像ではなく、遺像(没後の像)であることだ。秀吉発注の信長葬儀用の像とする説に賛成。描くにふさわしい絵師は永徳以外に誰がいるか。信長の発展的継承者秀吉は永徳の新しいパトロンとなるのだ。永徳は肖像画も即成に描く。スピードと、さらに本図には信長という人物への批評がある。誰が病的狂的に残虐な信長に真実の敬愛を捧げていたか。この点、秀吉、永徳はひそかに一致する。恐れと嫌悪。戦戦恐恐と忍従してきた歳月…。永徳の信長像は秀吉への迎合ともなるのだった。批評がおもねりに、あるいはおもねりが批評的表現となる。永徳の御新規の阿諛追従が始まる。
 重ねて図を目をこらして見る。信長の左眼の下部に涙が見える。
 「永徳、そんな生き方でいいの? キミの表現者たる自立は?」

大井 健地(おおい けんじ・広島市立大学教授)



広島芸術学会第21回大会報告(会報94号に未掲載分)

研究発表②
ラ・トゥール作《聖ヨセフの前に現れたる天使》について
発表:ふくやま美術館 平泉千枝

 ふくやま美術館の平泉千枝氏はナント美術館にあるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの《聖ヨセフの前に現れたる天使》に関して研究発表を行った。ラ・トゥールは、16世紀末ロレーヌ王国に生まれた画家である。当時、ラ・トゥールの明暗画法(闇の画面)に対する評価は高く、名声を得ていたが、死後200年名声が失われていた。この間に多くの作品が失われ、現在確認できるのは40点ほどである。1915年になり再発見され、ヘルマン・フォスがラ・トゥールの作品4点を確認し、そのうちの一つがこの作品であり、彼によって《聖ヨセフの夢に現れた天使》とされた。しかし、この作品の主題には様々な説があがり、定まっていない。そこで、平泉氏は発表において、主題の問題について検討した。天使の像、聖ヨセフ、ろうそくについて順次取り上げ、それらのことから最終的にこの絵の主題が何であるかを示した。簡単に発表内容をたどる。
 まず、主題に関して、この絵はヨセフが り込んでいるところへ天使が夢の中でお告げをする場面だとするフォスの説に対し、それに異論を唱えた3つの説を取り上げ、最終的にフォスの意見が有力であることを示した。そして次に、同時代の聖ヨセフに関する絵と比較してもラ・トゥールのものが特異であり、この人物像が聖ヨセフであった場合でも、聖ヨセフの複数ある夢のエピソードの中でもどの夢なのかという問題が残る。このことを考察することで、図像の特異な点を検討することでこの作品にこめられた意味を探った。
 まず、一つ目の考察モチーフは天使。この時代に翼なき天使を描くことは異例な選択であるため、ここで翼なき天使が描かれているということは、何らかの特殊な宗教的思想、特定な鑑賞者が想定されていることを指摘した。次の考察モチーフは、聖ヨセフと蝋燭。この二つは14世紀の聖女ヴェルギッタによる『キリストの降誕に関する黙示』という著作でヨセフの蝋燭の光が非常に重要なモチーフとして扱われたことにより、後にこの図像が多く描かれることになったとのことであった。また、蝋燭の火を消す道具が置かれているが、蝋燭の火を消すことが当時宗教的な教訓の中で肯定的に受け止められていたことに留意しなければないとの解釈も示された。
そして最後にこの絵の全体の構図にもどり、天使の右手がヨセフの手にかかるのと同時に、炎を覆い隠してしまっていることにも言及がなされた。この<覆い隠し>の構図はラ・トゥールの作品の特徴である。この<覆い隠し>の構図は当時の神秘主義の思想と重なる部分があるため、神秘思想とラ・トゥールの絵の関係はさらに深く検討されるべきであるということである。
 以上のことを考慮して、ヨセフが光を消して暗闇に身をしずめ、神の光を見るために試練に耐えているように見えることから、平泉氏は本作品を、神の光が到来する以前、つまりヨセフの最初の夢であると最終的に結論づけられた。
 今回の氏の発表は謎解きのように進行していった。そのため、いつのまにか話に惹きこまれ、自ずと納得していた。今後、神秘思想とラ・トゥールの絵画の関係の謎が解けていくことで、このストーリーの続編を期待できるであろう。とてもスリリングで、すとんと腑に落ちる発表であった。美術史の面白さが存分に味わえた。

(報告:広島大学総合科学研究科 博士課程前期 船本菜穂子)



研究発表③
1930年代半ばのハイッデガーにおけるasthetisch概念のもつ意味
発表:同志社大学大学院 近岡資明

 asthetischという語は美学(Asthetik)を扱う上で外せない語彙であるが、これまで「美的な」、「感性的な」など多岐に渡る解釈がなされている。本発表では、特にマルティン・ハイッデガーのasthetisch(Martin Heidegger,1889‐1976)の解釈に着目し、彼の美学に対する態度を明らかにした。ハイッデガーにおいては、このasthetischという語は自身の美学思想を展開する上で重要な鍵となる。というのも、ハイデッガーは、1936-37年に行ったニーチェ講義を通して、ニーチェの積極的解釈を試みると同時に、asthetischという語を「考察様式と研究方法」を指す語として捉えた上で、自身の美学思想を展開しようとしているからだ。具体的に、ハイッデガーは、美によって、触発された感情状態をニーチェの言う陶酔(Rausch)であると述べ、この感情状態こそが、美的根本状態であると述べる。そして、この陶酔状態は身体を介した現存在が、主観-客観という枠組みを越えて、存在するもの全体(「自然」)へと広がりをもつとする。
 さらに、このハイッデガーの言う存在論は真理の問題とも関わってくる。というのも、ハイッデガーの唱える芸術論においては、存在のあらわれとしての真理が、存在するもの全体へと問いを向けることにつながるからだ。それゆえ、彼はそれまでの美学に見られるように、芸術をもっぱら美に関係づけるのではなく、真理との関係において捉えようとしている。このことは、それまでの美学における性格、つまり、感性に限定された体験としての芸術省察というプラトニズムに傾倒したありように異を唱えることを意味する。つまり、存在論的真理にまで深化させて美を捉えようとしたハイッデガーにとって、このような美学のありようは批判すべき対象であると同時に、克服すべき問題だったと考えられる。
 以上のことから、ハイッデガーにとって、asthetischという語は何より、それまでの美学におけるasthetischという語の適用範囲に、新たに存在論的な問いを立てる方法論を表す鍵概念としてあったであろうと推察される。
 このように、ハイッデガーは、ニーチェの思想に最大限の評価を与え、自身もニーチェに傾倒しつつ、自身の芸術論を展開させようとした。しかし、実のところ、ニーチェの思想は、ニーチェ自身、反プラトニズム的立場をとりながらも、プラトニズムの枠組みに囚われていた。ゆえに、ハイッデガーにとって、それまでの美学同様、ニーチェの立場をも克服すべき対象にせざるを得ないという矛盾した立場に追い込まれる。1930年代半ばのハイッデガーは、asthetischな考察様式の点では美学に身を置きつつも、根本において反プラトニズムの立場に立つがゆえ、結果的に美学から身を引かざるをえなくなる。以上のように、1930年代におけるハイッデガーの美学に対する態度は理解されるであろう。
 今後の課題として、発表者は、30年代において提唱されたasthetischな方法論がそれ以降の彼の思想にどのように影響を与えているのかを考察、検討することを挙げている。

(報告:広島大学大学院 総合科学研究科 博士課程前期 片山理美)



シンポジウム
テーマ:美術作品と場所 
-作品の誕生とその存在に広島はどのように関わってきたか-
パネリスト:竹澤雄三(前広島市現代美術館副館長)
       木村成代(ギャラリスト)
       前川義春(広島市立大学教授)
       松岡 剛(広島市現代美術館学芸員)
       石丸勝三(石の彫刻家)
司   会:松田 弘(広島県立美術館総括学芸員)

 本シンポジウムでは、広島県内にて芸術作品の制作活動に関わっている5名のパネリストからの事例報告をもとに、「芸術作品」と「場所(広島)」の関係性についての検討がなされた。「美術作品と場所」という一見広範とも思われるこの議題は、本シンポジウムにおいては主に以下2点の場合に限定して語られたと言えるだろう。まず一つは、広島という場所が作品制作の契機になり得るという場合での両者の関係性であり、もう一つは、制作を終えて制作者の手を離れた作品と、その後にそれが設置された場所とを考える場合での両者の関係性である。
 司会の松田弘氏による議題説明は以下の通りである。芸術作品が或る権力者からの委嘱によって制作されることが無くなり、市民層による絵画市場が成立して以来、創作活動とは、芸術家たちの自由な発想によってなされるものとなった。今日に至ってもそれは変わらない。しかし、全ての芸術家たちの手に全くの自由が与えられているというわけではない。松田氏は、その大きな要 の一つとして「美術作品と場所」という問題がある、と提言する。例えば絵で言うと、制作者たちは、描く題材或いはモチーフとして特定の「場所」を扱い、そして描こうとするとき、その「場所」のもつ歴史的な背景などからある程度の制約を受ける。しかし創作過程においては、「場所」のもつ制約をネガティブな意味で捉えるのではなく、むしろ積極的に捉えることでインスピレーションを得ることが大いにあるのだ、というのが氏の主張である。
上記のような司会の松田氏の導入の言を受け、5名のパネリストからの事例発表が行われた。まずは竹澤雄三氏(前広島市現代美術館副館長)が「岡本太郎《明日の神話》」について報告を行った。2003年にメキシコ・シティー郊外で見つかった岡本太郎作の巨大壁画「明日の神話」(縦5.5m、横30m)とは、メキシコ人の実業家からの依頼を受けた岡本太郎が、1968年~69年にかけて何度も現地に足を運んで完成させた作品である。原爆の炸裂する瞬間をモチーフとしたこの作品「明日の神話」からは、原爆を受けた広島という場所が絶望の瞬間を迎えはしたが、残された人々は明日への希望を信じ続けて生命を紡いでいくのだという岡本太郎自身の原爆と被爆者(地)に対する真に迫った想いが窺える。竹澤氏は最後に広島という場所と芸術について、被爆六十周年に現代美術館で展覧会を開催したときに寄せられた三宅一生の言を借りて、以下のように括った。「悲劇の上に悲劇を重ねても悲劇の街が強調されるだけ」であり、「広島に必要なのは光を見つけること」「広島は平和のメッセージを伝える発光体のような存在であってほしい」と。岡本太郎と直接の交流が深かった竹澤氏ならではの貴重な報告であった。
 竹澤氏に続いて木村成代氏からは、昨年12月に設立された岡本太郎「明日の神話」広島誘致会(TARO’s Port Hiroshima)の活動報告がなされた。本学会の会報90号、出原均氏のイベントリポートに触れられていた「明日の神話」誘致会は、木村氏によれば、昨年12月に誘致会に昇格し、今年4月から積極的に活動をはじめたとのことである。報告は、作品「明日の神話」を広島(という港)へ迎え入れるために署名活動ほか様々なイベントを開催しているという内容のものであった。
 次に、広島市立大学の前川義春氏より、広島市立大学芸術部による一連の展示活動の写真がスライドによって紹介された。ここでは、広島県内外での広島市立大学芸術部の制作活動の様子について、制作者の現場での言葉を交えながら報告がなされたので、非常に興味深く拝聴することができた。
 第三に、松岡剛氏(広島市現代美術館学芸員)の報告、「広島平和記念公園とその周辺の作品」が行われた。本報告で松岡氏は、広島平和記念公園や平和大通り周辺に置かれた芸術作品を時代順に紹介しながら、慰霊碑や噴水、花壇、時計などの記念碑と芸術作品(例えば或る彫刻家の作品など)が物理的、機能的にも隣接して存在するという場合を特に取り上げられた。はじめに作られていた慰霊碑や記念碑などの周辺に、例えば彫刻家が作った彫刻作品を設置者が置く。すると、作者や設置者の意図の有無とは無関係に、その両者の境目が曖昧になっていくのである。そうした両者の絶妙な「共存」に焦点を絞った松岡氏の報告は、広島という土地が背負う重い歴史と、それをモチーフにした芸術作品が極めて自然に共存し得ることに改めて気づかされるものであった。
 最後に石丸勝三氏は岡部昌生の手掛けた第52回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の展示について報告された。本報告において紹介された岡部氏の作品は、広島港にある旧国鉄宇品駅のプラットホームを擦り取った1,400点ものフロッタージュ、そのネガフィルムを挟み込んだライトボックス、植物標本が埋め込まれた鉄製のグリッド、これら全てを会場の壁面に取り付け、中心に、広島倉橋島産の被爆石を直線的に配したというものであった。
 以上の4件の事例発表は、どれも広島に関連する具体的芸術作品に即する形でなされたこともあり、広島という場所のもつ可能性を深く考えさせてくれる貴重な契機となった。広島という場所は、私たち住人が日常生活をただ繰り返すことだけで日々変容していくが、芸術作品もしかり、制作者の手を離れて広島に設置された作品は、この土地で生活する人間と共に変化していくのだろう。それがまた新たな広島の歴史や文化を育み、風土となっていくのではないかと感じられた報告であった。 

(報告:広島大学大学院・福光由布)



第80回例会報告

 第80回例会広島芸術学会例会は大衆演劇観劇だった。広島芸術学会初の試みだ。場所は大衆演劇専用劇場の清水劇場。参加者は16名。9月22日11時40分に集合し、エレベーターで3階の劇場へ。大衆演劇は初めての会員が多い。月代わりで一座が代わる。今月は劇団花吹雪。私たちの予想に反し、198席の椅子も大入り満員のため補助席が用意された。事務局長が10席予約していたのだが当日参加の会員もおられ、席がたりず補助席で観劇する会員も。見回すと年配の方が多い。劇場の内側に「女形大会」「ニューハーフショー」などの垂れ幕がある。うーん、いい味だ。
 12時開演。まずは、演劇。演目は「男の花道」。ヤクザの兄弟分3人のうちの1人が二代目親分に襲名するのだが、そのうちの1人が嫉妬で任侠道一筋の桜春之丞演じる主人公を罠にかけ、妻を殺させ、それに気づいた主人公が最後は敵討ちに成功するのだが、同時に自らも殺されるという悲劇であった。
 このように書いてしまうと身もふたもないのだが、主人公を演じる桜春之丞がいい。飛び切りの美男子で、何より華がある。侠(おとこ)道まっすぐな役にぴったりだ。これから舞台に立つたびにますます磨かれるのだろう。悪役の2人もいい。役とはいえ、憎たらしい限りである。また、劇の途中でアドリブが飛び出す。余裕である。近代演劇を見慣れた会員にとっては、軽妙に観衆との心理的距離を縮めるこのアドリブという制度の意味が不明だったようである。このとき、私が声をかけようかと思ったが、お花の用意をしていなかったので遠慮しておいた。このサービス精神が大衆演劇の魅力の一つである。主人公が目隠しをされ、献身的な自分の妻とも知らず突き刺すシーンでは後ろの席からすすり泣きが聞こえる。大衆演劇ファンは泣き所を知っているのだ。それから、この劇団の特徴でもあるのだろう、切った切られたでは真っ白な着物に赤い血のりがべっとり。リアリズムである。大衆演劇では初めて観た。時々、観客席にスポットが当たり、そこに俳優がいることもしばしば。身近に来られると、そのオーラに圧倒される。さすがプロだ。
 主人公が敵討ちを果たして最後に舞台中央奥で腰から徐々に落ちていき、白い着流しに血まみれで死にいく様は今でも強烈に印象に残っている。
 ここで幕。ホッと一息。こんなにシリアルでリアルな大衆演劇は初めてだ。
 座長挨拶。しばらく舞踊ショーまで時間をいただきたいとのこと。その間に、前売り券を先ほどまで舞台に立っていた俳優さんが売り始める。前売り券は飛ぶように売れていた。実はこれも大衆演劇の魅力なのだが、初めての会員には新鮮な驚きだったようである。
 15分の休憩後、今度は舞踊ショー。いなせで力強い男踊り、女性以上に色気のある女形の妖艶さ、一瞬たりとも止まらず、流れ続ける身体のしなやかで艶やかな踊り。この媚態に満ちた踊りに観客は魅了されるのだ。特に女形。首が少しずつ左を向き、そのまま目が徐々に左に。まさに流し目。これには参った。魂が身体から離脱するかと思った。たぶん、3秒見つめられると私の魂は帰り場所を失っただろう。それくらい凄い。するとおもむろに観客の1人が扇形に開かれた1万円札を9枚もって、この俳優のもとへつかつかと近づく。そして、左胸に。「おー、お花だ。」と思うとすぐに同じく9枚扇形の1万円札を右の胸元へ。計18万円のお札が円を描くように胸に輝き、なおも踊りが続く。会場は拍手の渦。現場で観ると何ともいえぬ高揚感に包まれる。こうした光景がしばしば。1500円の入場料の100倍はかかっている。うーん、やはり、大衆演劇には近代演劇には見られぬ魂を離脱させる神がかり的な力が宿っているのだと思う。恐るべし大衆演劇。
 今回、特別に宝塚ショーというのがあった。妖艶な美男子たちが宝塚ショーを演じる。先ほどまでヤクザものをやっていたのに今度は洗練された宝塚ショーを演じている。動きがまるで違うのだ。プロって凄い。するとちょうど私の横の通路にスポットが当たる。元星組未央一さんの歌。歌の次元が違う。本物の宝塚の歌だ。そして、スタイル抜群、目はパッチリ、姿勢もしぐさも決まっている。さすが元宝ジェンヌ。なるほど、これが宝塚の魅力か。
 こうして、約3時間半の講演は終了。
 会場の出口には俳優さんたちがお見送り。気安く握手もしてくれる。こんなところにも気配りが感じられる。
 会員は一様に感激。みんなが口々に感激の様を何度も語る。このまま黙って帰るわけにはいかないと残った7人で近くの居酒屋へ。歩きながらサービス精神に感激したとか、衣裳が凄かったなど、感激をそのまま口にする。居酒屋で一杯飲み、二杯飲むにつれ、演劇の脚本に話題が行く。なぜ、あの賢老人である叔父貴は最初だけ登場したの? なぜ主人公は二度も裏切られたの? ちょっと脚本にアドバイスをしたら等々。突然、シューベルトを十八番にしていた宮廷歌手Gerharut Huschが数十年前に勇壮でいなせな夏祭りを見て言った言葉「着流しは高からず低からずへこ帯を結ぶ」を思い出された会員もおられた。近代演劇を見慣れた目には大衆演劇を論理的に眺めるという制度に縛られているようだ。そんなことは小さなこと。少々の論理矛盾やギリシア的知性を期待してはいけない。大衆演劇は義理人情が主題だ。それさえ伝わればそれでいいのだ。大衆演劇はギリシア的演劇とは違った系譜の演劇なのだ。
 大衆演劇はそれを観る観客とともに内容も変わる。今回の劇団花吹雪の俳優さんはみんな若い。新しい時代のニーズに応じて大衆演劇も変化していくのだろう。ずっと残っていて欲しい部分、大衆とともに歩んでいただきたい部分、それぞれあるが会員の皆さんもたまには大衆演劇に接していただきたいと思う。案外、近代演劇の相対化を図ることができるかもしれない。
 それにしても女形の流し目になんと色気のあったことよ・・・。

(報告:郵便事業株式会社 大山智徳)



インフォメーション

広島芸術学会作家会員お二人の個展です。

■村中保彦 金工展

日 時:11月22日(木)~28日(水) 最終日は17時閉場
会 場:福屋八丁堀本店7階美術画廊
(広島市中区胡町6-26 TEL82-246-6111)
「金属を素材にして動物や雲をモチーフに、生活の中で安らぎが感じられる物づくりを心がけています。オブジェから生活の中で使える小品まで制作しました」
(村中保彦 金工展DMより)


■REALITY OF LIFE AND DEATH
《ヒロシマのピエタ》一鍬田 徹彫刻展

日 時:<展覧会>11月23日(祝・金)~12月16日(日) 会期中無休
【月~金】9時~17時、【土・日・祝】11時~17時 
<コンサート>①11月25日(日) ②12月9日(日)の 14時~14時30分
テーマ:「ピエタ(哀悼・慈悲)」
演 奏:大下詩央(ヴァイオリン)、須藤千晶(ピアノ)
会 場:広島市立本川小学校 平和資料館(被爆建物)地下室
(広島市中区本川町1-5-39) 
入場料:無料

「本展はREALITY OF LIFE AND DEATH《ヒロシマのピエタ》と題された彫刻の展覧会です。なぜ生きるのか、どう生きるのかといった哲学的な問題は、(意識しているかどうかは別として)常に私たちのすぐそばにあります。しかし昨今の痛ましい事件は、命の重みとはまるで逆のベクトルで頻繁に起こっています。現代ほど、この当たり前の問いがゆらいでいる時代もないのではないでしょうか」(リーフレットから抜粋)

 

                             

                             〒739-8521 
                             東広島市鏡山1-7-1広島大学大学院総合科学研究科人間文化研究講座気付
                             TEL 082-424-6333 or 6139 / FAX 082-424-0752 / E-Mail  hirogei@hiroshima-u.ac.jp

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