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                                            広島芸術学会会報 第96号

 

 

インドの光と影

 広島経済同友会のインド経済視察団の団長として初めて成長著しいインドの土を踏んだ。11月17日から総勢21人のあわただしい8日間の旅だった。
17日午前8時前、広島駅を出発、福岡空港11時45分発のタイ国際航空機でバンコク経由、デリー午後11時前到着。(日本との時差は3時間半、日本時間では翌日の午前2時半)
 24日までの8日間、デリー市内観光(アグラ城、タージ・マハル)、ベナーレスへ飛んでガンジス河岸の沐浴を見学。その後インド最大の都市ムンバイ、さらに「インドのシリコンバレー」と呼ばれるインド南部カルナタカ州の州都バンガロールを視察し、バンコク経由で関西空港へ帰国した。
 その間、主な市内観光やデリー郊外のスズキの子会社「マルチスズキ」のグルガオン工場をはじめ、バンガロールではインドを代表するIT企業「インフォシス・テクノロジー」の本社などを視察。また、各都市で日本人経営者やインド駐在員との昼食墾談会、ムンバイ日本国総領事館・日本人会理事との懇談会を持った。
インドは日本の国土の9倍、人口は12億人を超える。中国に次ぐアジア最大の大国である。ただ短い期間だったが、予想以上の貧富の格差に正直驚かされる。大都市のどこへ行っても街にあふれる路上生活者。インド最大の都市で人口1,600万人のムンバイでは、700万人がスラム、路上生活者100万人、住居不定が20万人と半数以上が定職がない状態。路上生活者に混じってヒンドゥー教の聖なる生き物として別格扱いの野良牛が歩き回る。その他野良豚、犬、ヤギ、ラクダ、猿などもあちこちに見られる。
 インドを語る時、光と影、成長と貧困、渋滞、雑踏、猥雑、喧噪・・・あらゆる表現ができる。ただ、どんなに貧しくても路上生活者の表情は明るい。
限られた時間ではあったが、「生きる」ということを改めて考えさせられた旅であった。

山本一隆 (やまもと かずたか 中国新聞社)



第81回例会報告

研究発表①
「性格のない人間」における身体の一考察
R・ムージルの小さな物語をめぐって
発表:郵便事業株式会社広島支店 大山智徳

 第一次世界大戦前夜のヴィーンの閉塞した精神風土を風刺的に描きながら、いかなる「特性」にも甘んじることなく未来の可能性を追求し、神なき時代を生き抜く人間の内面に迫ろうとする実験として、巨大な断片『特性のない男』を残したオーストリアの作家ローベルト・ムージル。その掌篇「性格のない人間」に描き出されるのは、固有の性格を追い求めながら、結局は自分を社会的に認知されたアイデンティティにおいて同定する視線を、肥満してゆくみずからの肉体において引き受け、ついには身体を同定されうる形姿で近代の社会的空間のうちに現出させる規律と訓練──まさにミシェル・フーコーが、人間の身体を近代的な権力の効果として現出させるとしたあの「規律=訓練」である──を要請するに至る、あまりにも現代的な人間である。大山智徳氏の研究発表「『性格のない人間』における身体の一考察──R・ムージルの小さな物語をめぐって」は、そのような一人の男を主人公とする、反教養小説とも言うべきムージルの掌篇を記号論的分析の俎上に載せ、それがどのような記号として身体を描いているかを浮き彫りにすることで、この作品を、身体を語る言説の可能性の場として読みなおす見通しを切り開こうとするものである。
 大山氏は、とりわけロラン・バルトによって洗練された記号論に独特の解釈を加えながら、「固記号」、「閉記号」、「開記号」という記号の三様相を、身体のありようと重ね合わせようとしている。そうすることで、言説の効果として身体が記号として現出する次元に開かれた視座を確保するとともに、そこにある内部と外部の転換をとらえようとするのである。そのように身体を記号としてとらえる見方を、ムージルの作品に適用したとき、作品世界の内部にどのような身体像を見届けることができるのか。この問いが、大山氏の発表のライトモティーフをなすものであろう。
 大山氏によれば、ムージルの「性格のない人間」は、近代の統合された、一つの閉じた記号としての身体が形成される手前で、どのような言説が力として作用するのかを描き出すとともに、統合された身体において一定のアイデンティティを担う人間像を超越論的シニフィエとする近代的な「個体」の概念が、実は虚構にすぎないことを暴き出してもいる。自分の身体を社会的に認知された性格の場として規律し、訓練する権力のまなざしを、固有の性格の断念とともに引き受ける主人公の姿は、身体解釈としての権力の言説が身体を可視化する近代の空間を浮かびあがらせるとともに、そこに現出する身体が中心をもたないことを示しているのだ。そうであるがゆえに、ムージルの作品においては、近代の社会空間のただなかに、宙づりの身体が現われる。大山氏が「差異身体」と呼ぶ、身体技法によって統御されえない身体が、そこで浮遊し始めるのである。
 このように近代の空間を内側から揺さぶるムージルの作品は、大山氏によれば、近代的な身体像を相対化する視座を提供すると同時に、現象学的な身体論をも乗り越える身体論の可能性を暗示するものである。それは、情報によってさらに内側から管理されようとしている現代の身体にどのように切り込んでいくのか。身体論の今後の展開を楽しみにさせられる発表であった。

(報告:広島市立大学国際学部准教授・柿木伸之)


研究発表②
画家の残したスケッチブック ─児玉希望に関する新出資料紹介
発表:広島県立美術館 永井明生

 安芸高田市(現在)出身の日本画家児玉希望〔明治31(1898)?昭和46(1971)〕は、その画風の多様さなどから一貫性がない、通俗的などと批判されることもあるが、広島の日本画界の礎であり、指導者であっただけでなく、近代日本画壇においても伊東深水らとともにリーダーの一人であったと高く評価されている。永井氏はそうした希望の芸術の解明に取り組み、研究を続けておられるが、本発表では永井氏が調査され、新たに紹介が可能になった、希望の120余冊にのぼるスケッチブックをはじめとする資料の概要と新知見の報告がなされた。
 永井氏はまず、希望の画業を戊辰会、希望画塾、日月社など、概ね時代順にたどり、その作風変遷を作品をとおして紹介され、この変遷の内実の解明が希望研究の課題の一つであることを示された。
 次に、広島県立美術館における3度の回顧展や泉屋博古館分館(東京)における最新の展覧会などをとおしてなされた希望研究の現状を報告された。それによると日本画、水彩画、油彩画など、変化に富むこの作家に関して、未だ所在不明作品が存在しているような状況ではあるが、初期作品や渡欧時の資料の確認などもなされ、更に資料が見出されつつあるということである。今回紹介されたスケッチブックはそうした中でも、今後の希望研究に大きな進展をもたらす重要なものと位置付けておられる。
 そして、2007年2月に5日間にわたって行われた調査の成果の一端が、120冊のスケッチブックの一覧として纏まられ、示された。それを拝見すると、スケッチブックの法量、図の数、希望の書込み等が詳細に記録され、綿密な調査が行われたことが伺える。発表においては、No.18とされたスケッチブックの内容が細かく紹介された。このNo.18は法隆寺における、特に夢殿の救世観音像の写生と、それに基づくと思われる観音像制作の各種構想図からなっている。中には「決定」の書き込みのある図もあり、作品制作におけるモデルの写生、構想、決定という流れを想像することができる内容であった。
 この後、永井氏は研究の今後の課題として、さらなる資料の調査、精査、所在不明作品の探索、滞欧時の足跡の解明などが必要なことを指摘された。
今回の発表の中心であった大量のスケッチブックの分析も始まったばかりということであったが、スケッチブックが作家の制作活動の源泉であり、創 の秘密が籠められたものであることは改めて言うまでもなかろう。その分析・研究が着実に進められ、児玉希望の芸術世界がさらに明らかにされることを期待したい。

(報告:広島大学 菅村 亨)

                             

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