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                                            広島芸術学会会報 第97号

 

 

サイト・スペシフィック + ヒロシマ

 「サイト・スペシフィック」という概念を特に意識していた訳ではなかった。しかし、広島に来た時から、「この地で個展を開くなら、被爆建物で」という思いは持っていた。それまでも行っていた、東京の美術館やギャラリーとは異なる「ここでしかできないこと」をしたかった。それが実現するまでに14年もかかってしまった訳だが、私にはそれだけの準備期間が必要だったということだろう。彫刻的な力量の向上やテーマの考察と明確化、そして何よりも人との出会い、それらの機が熟し、昨年末、広島市立本川小学校・平和資料館(被爆建物)で個展「REALITY OF LIFE AND DEATH / HIROSHIMA《ヒロシマのピエタ》」を開催させていただくことができた。
 「サイト・スペシフィック」という言葉については、美術手帖(2008年4月号、特集「現代アート事典」)に、「モダニズム以後における美術作品の自律性という主張は、ホワイトキューブという語が典型的に示す通り、作品が置かれる『場』を非-場所的なものとして抽象化する。これに対し、『場所の特殊性』へと向かう主張は、作品と、作品が置かれる場とを分節せずに、両者を不可分なものとしてとらえる思考である。」とあるが、この語はロバート・スミッソンやクリスト&ジャンヌ=クロードといった「ランド・アート」の文脈の中で語られているので、正確には、私が行ったことは当てはまらないのかもしれない。
 しかし、未熟ながらも私自身がこれまで追ってきた 「REALITY OF LIFE AND DEATH」」というテーマの彫刻作品を、原爆投下により多くの方が亡くなった建物自体に展示するという試みをしたかった。そしてそれは、命を軽んじる事件が頻繁に起きている現代社会だからこそ、広島から発信する意味があるのではないか、と考えていた。先術書の中で「サイト・スペシフィック」には、2つの方向性があるとされ、1つは、「作品を設置することで場を読み替え、特殊な場を生成すること」、もう1つは、「場の特殊性を所与の条件とし、それに沿うように作品を生成させること」とあるが、私の場合は被爆建物という場所性と、「命」「生」「死」等のテーマ性という点で、どちらのアプローチにも当てはまるような気がする。私が行いたかったのは、被爆建物である「場」が持つ強い力を借りながら、そこに生や死をテーマにした彫刻作品を展示・配置することにより、会場全体を作品化してみることだった。
 元々、このテーマは生や死に関わる私的な体験に端を発しているが、例えば、アウシュヴィッツやニューヨークのグランド・ゼロ、ベルリン等で見、感じたことも含めて、これまで自分が接してきた様々な出来事、人々からインプットしたものを、私なりの方法でアウトプットしたものであった。この度の展覧会は一応の帰結点ではあるが、今後も「生きる意味」を、彫刻制作しながら考えていきたいと思う。
 会期中、第52回ヴェネチア・ビエンナーレ日本代表の岡部昌生さんをはじめ、本当にたくさんの方々が会場を訪れてくださったことに心から感謝している。

一鍬田 徹 (広島大学教育学研究科准教授・ひとくわだ とおる)



第82回例会報告

研究発表①
湿潤の風土に培われた日本絵画の空間性 
―何故「雲」は描かれ続けたか
発表:広島市立大学大学院芸術学研究科日本画専攻 山浦めぐみ

 山浦氏の発表の眼目は、表題に端的に示されているように、日本絵画(明治以降の西洋画または洋画に対抗する区分として普及した言い方としての「日本画」ではなく、概ね唐様に対して和様が成立したとされる10世紀後半以降から江戸末までの絵画)が、その特質を獲得し、それが連綿と維持され、それゆえ日本独自の絵画様式として大きな絵画的成果を上げた原因として、「湿潤」という気候風土があるのではないか、ということである。
 まず、山浦氏はそもそも日本絵画の成り立ちから論を起こし、それは西洋の額縁に入った単独の絵画とは異なり、日本においては生活の場で実用を兼ねて制作された平面作品がもっぱらであったことを挙げ、具体的に神殿 りや武家造りの居住空間における襖や障子の機能に注目された。その襖には絵が描かれ、そこに居住する人は、その襖絵の題材による独自の空間に遊ぶだけでなく、その開閉するという襖の機能により、視覚的にも(実際にはその場では見えない空間も感覚的に感受できるのだが)空間移動という点からも空間の多層性と、固定することなく移り行く感覚を得ると指摘された。論者はこれらを「しつらい」「見え隠れ」や「気(き)」と「気(け)」あるいは「うつりゆき」という概念で説明された。
 これらの概念や感覚は、日本人が湿潤な気候風土の中で、長年かけて獲得した生理的あるいは観念的記憶でもあり、心的特質にもなっているといってもよいものである。絵師たちは、それらは「雲」というモティーフを使うことによって、絵画空間の中に有効に表現できることを発見した。雲によって風景や人々の暮らしぶりは「見え隠れ」し、その雲の向こう側の見えないところに気配(「気(け)」)や匂いや季節の「うつりゆき」を感じたり、想像することができるのである。山浦氏は、これが湿潤な気候風土に暮す日本人が、日本絵画に「雲」を描き続けた理由であると結論づけられた。
他にも、膠を使う日本絵画の 材や技法が日本の湿度や温度に適していること、岩絵の具の乱反射する柔らかい光の効果が、湿潤な気候風土を描くとき親和的であることなど、日本絵画が現在まで連綿と描き続けられている理由も述べられた。
 私は、日本絵画における「雲」の表現を、何気ない絵画における一様式としてしか考えていなかったが、今回の発表でこれが日本の気候風土や生活習慣の奥深いところで繋がっていることを知ることができた。

(報告:広島県立美術館学芸課長 松田 弘)


研究発表②
ゴッホの農民画について ~ミレーの影響を中心に
発表:財団法人ひろしま美術館学芸員 水木祥子

本発表は、田園風景や農耕作品を扱った作品をテーマとした展覧会「田園賛歌~近代絵画に見る自然と人間」(ひろしま美術館では2/23(土)~4/6(日)開催)の展覧会カタログに寄せられた水木氏のエッセー「ゴッホの農民画~ミレーの影響を中心に」がもととなっている。

 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890年)はオランダ南部の小村に生まれ、37歳でこの世を去ったが、その短い人生の中でも画家として活動したのは1880年(27歳)以降の僅か10年間である。しかしその間にゴッホは、 描も含めると実に2000点以上にもなる大量の作品を残している。とりわけ農民はゴッホの画家人生において彼の心を捉え続けた主題だった。それでは何故ゴッホは農民に心惹かれたのか、そして如何に表現しようとしたのか。これらの点について水木氏は、ゴッホが特に影響を受けていたと考えられる19世紀フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875年)との関係を中心としつつ、ゴッホの書簡をもとに考察された。
 ゴッホの画業は、オランダに滞在し主に暗い色調で描いた時代(1881-1886年)と、その後フランスに移り、独自の明るい色彩で描いた時代(1886年-1890年)に大きく分けて考えることができる。とりわけオランダで活動した最初の5年間の絵の主題は農民が中心だった。1870年代は農民の生活を描いた絵が大流行しており、中でもゴッホはミレーに影響を受けた。1880年には既にミレーの複製画を部屋に飾り、「この巨 を真剣に研究しようと努力」(書簡135)している。ゴッホは「炎の画家」といわれるように情熱的な画家のイメージがあるが、実際はこつこつと勉強していくタイプの画家だった。事実、ゴッホが制作を開始した最初期、彼はミレーの複製画を碁盤の目を用いて正確に模写したり、モデルに同じポーズを取らせて素描の勉強をするなどしている。そんなゴッホにとって、慎ましく勤勉に働く農民の姿は理想の姿でもあった。また、ひたむきに働く農民の姿を描いたミレーは憧れの存在だった。こうしたミレーへの憧れは、ミレーを貧窮の中で描き続けた不遇の芸術家というイメージに仕立てたアルフレッド・サンシエの評伝によってより強められた。ゴッホの書簡の中には、サンシエがミレーについて語った「彼の農民は種をまいている土で描かれているようだ」という言葉がくり返し引用され、自らも土の匂いのする農民画を描くことを理想としていた。そして、そのためには解剖学的、構 的に正しく描くことよりも、情感を込めて描くことが必要であると考えていた。
 ゴッホの絵に大きな変化が現れたのは、1886年にゴッホがフランスに移って以後である。パリで印象派や日本の浮世絵に出会うことによって、ゴッホの絵は明るい画風へと転じている。フランスではしばらく鮮やかな色彩を用いて麦畑や積みわらのある風景を描くのだが、その後再び≪種まく人≫で人物画を再開する。この作品では、ゴッホはミレーの作品を自分の色彩を用いて描き直している。ゴッホはミレーの作品を模写することで、ミレーが農民に見出していた宗教的な深い精神性を再現するとともに、自分なりの色彩を用いてそこに新たな「解釈」(書簡607)を加えようとしたのだ。こうした色彩を用いた模写は晩年までくり返し行われた。
 ゴッホにとって、農民の勤勉な姿は芸術家としての理想像でもあり、生涯を通じて描くべき対象であった。また、農民の姿に深い精神性を表現したミレーを手本としながら、感情を表す独自の色彩によって自らの世界を表出させようとしたのである。

(報告:広島大学大学院教育学研究科博士課程前期一年 田村桂子)



投稿・エッセイ

百聞不如一見
広島大学 袁 葉 

 数年前に、テレビ番組で次のような実験を見た。日本人女性が道端で落としたコンタクトレンズを探している。さて、通行人はどう反応するか? 日本では、しばらくすると声をかけてくれる人が現れ、一緒に探し始め、それがやがて四、五人になる。タイでもほとんど同じ、さすが微笑の国だ。ブラジルでは、たちまち十人くらいになり、野次馬を含めると二十人を超えている。しかも見つかると、全員で「パラパラ」を踊りだした。次は華の都-パリだ。遠く低く構えたカメラの画面に、次から次へと紳士・淑女の脚が現れては消える。結局、そのまま30分が経過し、実験は打ち切り…。
 その一年後、あるフランス人教授に食事に招待された。奥さんは日本人で、かつてフランスに8年間住んでいた。この番組のエピソードを話し、「フランス人はアジア人に対して冷たいのでしょうか?」と尋ねたら、奥さんからこんな答えが返ってきた。
フランス人は徹底した個人主義であり、他人のことに関しては基本的にはノータッチだ。が、自分がいた時、近所の学校から日本音楽の紹介を依頼され、ピアノ演奏をしたりしていた。アジア蔑視どころか、異文化に関しては興味津々だった。
 そして、病気の時は現地の友人が家族同様に看病してくれた。だから、本当に困っている人になら、援助の手を差し伸べるという感じ。現に、世界のどこかで災害が起きると、フランスはEUでは一、二を争う速さで現地への医師団の派遣や物資の援助を行っている。
 そう言えば、昔から亡命者受け入れにも積極的である。
 昨年、北京に里帰りしていた時、こんな記事を目にした。79年にシラク前大統領は、かつて植民地だったベトナムの中国華僑を養女にした。
 07年の年末に夫とフランスを旅行した。パリのセーヌ川にかかる橋を渡っていくつかの角を曲がると、鉛色の空の下に白亜のノートルダム寺院が現れる。荘厳な姿にアーチ型の門と花形のステンドグラスからは、優雅な香りが漂っている。入場を待つ列の私たちの前は、スラブ系の男女、後ろはドイツ語で話す若者が四、五人。
 祭壇で手を合わせたあと、右側の通路へ進むと、スポットライトの下でガラス張りのケースを囲んで、何かを書いている人たち…。見ると、4色のメッセージカードが置いてある。
「Message of peace― Message de Paix」
壁側の豪華なステンドグラスに気を取られて通り過ぎる人は別として、そのまま立ち去る人は一人としていなかった。ケースの中には色とりどりのカードの山、一枚また一枚と増えていく。
 肌・眼・髪の色、言語も信仰も考え方も、イデオロギーもアイデンティティも異なるにも関わらず、「平和」への想いとなると、自然と一つの「輪」になる。
 これまで、色んな国で幾十もの教会を訪れたことがあるが、このような空間は初めてだ。フランス人の平和を希求する心に、世界中からの人々が応えている。
 赤いキャンドルの数々をバックにした目の前の光景から、なぜか金子みすずの詩を思い出していた。
「みんなちがって みんないい」



広島芸術学会事務局から

*5月18日の野外例会には会員でない方も大歓迎です。お友達をお誘いの上、どうぞ。

*広島芸術学会 第22回大会は2008年7月26日(土)を予定しています。内容は研究発表とシンポジウムです。

*広島芸術学会主催の次の芸術展示は2009年1月13日(火)~1月18日(日)を予定しています。ジャンルは問いません。どうかふるってご出品ください。出品規定など詳細は後日送付させていただきます。

*会報の次号発行は7月初めです。掲載ご希望の展覧会案内や原稿がありましたら、どうぞ事務局・大橋(TEL082-506-3060)までご一報ください。

*広島芸術学会ではいつでも新会員のご入会をお待ちしています。関心がおありの友人・知人がおられましたら、事務局までご連絡ください。会報(無料)や年報(1500円)のバックナンバーもそろっています。

 

                             

                             〒739-8521 
                             東広島市鏡山1-7-1広島大学大学院総合科学研究科人間文化研究講座気付
                             TEL 082-424-6333 or 6139 / FAX 082-424-0752 / E-Mail  hirogei@hiroshima-u.ac.jp

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