「サイト・スペシフィック」という概念を特に意識していた訳ではなかった。しかし、広島に来た時から、「この地で個展を開くなら、被爆建物で」という思いは持っていた。それまでも行っていた、東京の美術館やギャラリーとは異なる「ここでしかできないこと」をしたかった。それが実現するまでに14年もかかってしまった訳だが、私にはそれだけの準備期間が必要だったということだろう。彫刻的な力量の向上やテーマの考察と明確化、そして何よりも人との出会い、それらの機が熟し、昨年末、広島市立本川小学校・平和資料館(被爆建物)で個展「REALITY
OF LIFE AND DEATH / HIROSHIMA《ヒロシマのピエタ》」を開催させていただくことができた。 「サイト・スペシフィック」という言葉については、美術手帖(2008年4月号、特集「現代アート事典」)に、「モダニズム以後における美術作品の自律性という主張は、ホワイトキューブという語が典型的に示す通り、作品が置かれる『場』を非-場所的なものとして抽象化する。これに対し、『場所の特殊性』へと向かう主張は、作品と、作品が置かれる場とを分節せずに、両者を不可分なものとしてとらえる思考である。」とあるが、この語はロバート・スミッソンやクリスト&ジャンヌ=クロードといった「ランド・アート」の文脈の中で語られているので、正確には、私が行ったことは当てはまらないのかもしれない。 しかし、未熟ながらも私自身がこれまで追ってきた
「REALITY OF LIFE AND DEATH」」というテーマの彫刻作品を、原爆投下により多くの方が亡くなった建物自体に展示するという試みをしたかった。そしてそれは、命を軽んじる事件が頻繁に起きている現代社会だからこそ、広島から発信する意味があるのではないか、と考えていた。先術書の中で「サイト・スペシフィック」には、2つの方向性があるとされ、1つは、「作品を設置することで場を読み替え、特殊な場を生成すること」、もう1つは、「場の特殊性を所与の条件とし、それに沿うように作品を生成させること」とあるが、私の場合は被爆建物という場所性と、「命」「生」「死」等のテーマ性という点で、どちらのアプローチにも当てはまるような気がする。私が行いたかったのは、被爆建物である「場」が持つ強い力を借りながら、そこに生や死をテーマにした彫刻作品を展示・配置することにより、会場全体を作品化してみることだった。 元々、このテーマは生や死に関わる私的な体験に端を発しているが、例えば、アウシュヴィッツやニューヨークのグランド・ゼロ、ベルリン等で見、感じたことも含めて、これまで自分が接してきた様々な出来事、人々からインプットしたものを、私なりの方法でアウトプットしたものであった。この度の展覧会は一応の帰結点ではあるが、今後も「生きる意味」を、彫刻制作しながら考えていきたいと思う。 会期中、第52回ヴェネチア・ビエンナーレ日本代表の岡部昌生さんをはじめ、本当にたくさんの方々が会場を訪れてくださったことに心から感謝している。